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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。

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ジェッター3その後

2007年08月06日

4月14日のエントリーで紹介したコンサドーレ札幌PR大使の「ジェッター3」に激震が走りました。8月5日の彼らのブログでシンヤとイケチンが脱け、今後のジェッター3はアツシ1人で活動を続けるとか。3人での音楽活動は12日のライブが最後になるそうです。どんな事情があるのか、分かりませんが、新たな道にそれぞれ進む若者たちに幸多かれとエールを送ります。

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思えば、7月28日に厚別で見たのが彼らの最後の勇姿となるわけですね。ホーム側のゴール裏からはうまく撮れませんでしたが、彼らのコンサドーレを応援する気持ちがひしひしと伝わるパフォーマンスでした。彼らの貢献は決して忘れません。今後もコンサドーレの応援し続けると誓ってくれている彼らとともに、まずはJ1昇格の夢をかなえたいものです。



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19:29

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アウェイドールズ

2007年08月01日

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キックオフ1時間前のコンサドールズの踊りに、スタンドから花を添えるのが正式な名前は分かりませんが、アウェイドールズです。本物のドールズの出番が近づくと、アウェイ側のゴール裏に自然発生的にどこからか現れ、数十人がドールズとともに踊り、終わると疾風のように去っていきます。確か出没し始めたのは2003年からだったと思います。それまではホーム側ゴール裏で自作のポンポンを持って自席で踊っていた人がいましたが、突如として出現した集団は脚光を浴びました。私自身は恥ずかしいので踊ったことはありませんが、被写体として面白いので、よく撮影させてもらいました。最初は10人程度と思っていたら増え続け、多いときは100人近くいたのではないでしょうか。厚別でも札幌ドームでもすっかり名物として定着。相手サポにも注目を浴びて、一緒に踊り出す人や写真に撮る人もいましたね(現在はJリーグの分離政策強化でそんなほのぼのとした交流は不可能になりましたが)。呼び名はほかにもニセドールズなどとも呼ばれ、会場MCのグッチーさんはバックスタンドダンサーズと呼んでいますね。その存在はすっかり本物のドールズにも知られ、確か昨年でしたか、札幌ドームではドールズのユースやジュニアのメンバーも一緒に踊っていたので驚きました。写真は6月2日、厚別で撮影しました。あえて後ろ姿です。踊りたい方は勝手に集まれば良いようなので、参加してみてはいかがでしょうか。



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20:54

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ファンクラブ会員来場プレゼント

2007年07月20日

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7月28日の第31節、厚別での鳥栖戦はファンクラブ感謝デーです。ファンクラブdozeの会員なら忘れてはならないことがあります。会報誌gene64号の最終ページについているプレゼント引換券です。もらえるのは選手のサイン入り集合写真です。わが家にはJ1だった2002年からあり、04年は2回もらえたので昨年まで写真の計6枚があります。02年を見ると、佐藤尽や小倉、バーヤック、森下仁志、ジャディウソンら懐かしい顔触れ。引退した選手も多く、いまは誰もチームに残っていません(佐藤尽は強化部所属ですが)。今野(FC東京)や藤ヶ谷(G大阪)はJ1で活躍しており、ビジュは先日、水戸に入団しましたね。バーヤックは発売中のワールドサッカーグラフィックという雑誌の「菊とフットボーラー」欄で最近の活躍ぶりを見ました。実は今年は既に4月11日の第8節、福岡戦でもプレゼントがありました。東京・西が丘でしたので、私は行けず、もらいそこねました。

これらはわが家の家宝としてファイルに入れて保存してあります。プレゼントは必ず試合会場に行かなければもらえません。今後も10年、20年と応援に通い続けてお宝を増やしていきたいと思っています。会員の皆さんは28日に応援に駆けつけるとともに、くれぐれも引換券をお忘れなく!

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21:48

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中尾康二

2007年07月16日

最近、チームのイエローカードが増えています(ジャッジの問題もありましたが)。昇格がかかる終盤戦に向けて、無用なイエローやレッドは極力避けたいものです。イエローカードでいつも思い出すのが中尾康二です。四日市中央工高を卒業して当時J2のコンサドーレに入団。主にボランチや右サイドなどをこなす、守備的なMF、DFの選手でした。その年は出場1試合、J1に上がった翌01年は3試合出場にとどまり、この年の11月からブラジルへ短期留学に赴きましたが、帰国直前の翌02年1月に試合中に骨折してしまいます。出場機会のなかった02年は途中で当時J2の横浜FCにレンタル移籍、7試合に出場しました。翌年は復帰し、ちなみにこれは同時期に福岡から復帰した河村優とともに、レンタルからの出戻り第1号だったようです。03年はJ2で24試合、そして運命の04年は背番号10を背負って20試合に出場した後、8月にあの事件で新居辰基とともに解雇されました。

プレースタイルは決してうまい選手ではありませんが、豊富な運動量でガツガツと相手の攻撃の芽をつぶす役割を担いました。ただ、やや雑というか、接触プレーで相手を止めることが多く、イエローカードコレクターといわれるほど、しょっちゅうカードをもらい、退場させられたことも少なくありません。技術不足によるラフプレーはほめられたものではありませんが、あえて擁護すれば、もっと接触プレーに寛容な欧州リーグならこんなにカードをもらうこともないでしょうし、どうも審判にも偏見というか、先入観で見られていた気がします。あの事件のことはかばうことができませんが。

ひたむきな武骨なプレーぶりはわが家では人気で、イエローをもらってもどこか憎めないキャラクターでした。とりわけカミさんは佐藤洋平がいなくなってからは中尾に期待していたようです。確か04年1月のキックオフイベントで上の娘がサインをもらい、その時のサインと写真はわが家の宝物としてしまってあります。

解雇後はFC静岡を経て、06年からFC岐阜に所属。FC岐阜は今季、JFLで4位以内に入れば、J2に昇格します(現在3位)。コンサドーレはJ1に昇格するため、来季、戦うことはないでしょうが、Jリーガーに復帰した中尾をまた見たいと思っています。

残念ながらトレカは出ていないようです。


スポーツ新聞

2007年07月10日

スポーツ新聞は定期購読していません。なぜならプロ野球が好きではなく、競馬もやらないので、コンサドーレとサッカー、あとはせいぜい芸能ニュースぐらいしか読むところがないからです。でも、試合の翌日は別です。勝利の翌日は道新スポーツ(道スポ)、日刊スポーツ(日刊)、スポーツニッポン(スポニチ)、スポーツ報知(報知)の4紙をいわゆる大人買いしています(合計510円)。残念ながら引き分けか、負けた翌日は道スポと日刊だけ(計250円)を買います。

こうした習慣が身に付いたのは、そんなに昔ではありません。もともと、かつていた職場では道スポがあったので、コンサドーレの記事はよく読んでいました。買ってまで読むことはほとんどありませんでしたが。それが一変したのは2004年12月12日の天皇杯5回戦、J1の大分トリニータを撃破した試合です。翌日の日刊は1面で熊本まで駆けつけたサポーターが万歳している姿を報じていました。しかも、知人のサポも写っているではありませんか。この年のコンサはJ2リーグ戦でわずか5勝の暗黒時代。そこに差し込んだ一筋の光明に感激しました。以来、1面を飾ったスポーツ紙を買うことにしました。翌年は最初、道スポで2、3回、1面を飾りましたが、そのうちに我慢できなくなり、勝てば道スポと日刊を買うようになりました。勝てば4紙、引き分け・負けは2紙という行動様式が定着たのは昨年からです。これらの購入したスポーツ紙は04年12月12日の試合以降、コンサのところだけ切り抜いて、A3ファイルに入れて大切に保存しています。

明日は後半戦開始となる厚別での福岡戦。翌日はぜひとも4紙を買いたいと願っています。今季はあと何度、4紙の大人買いをできるでしょうか。さらに昇格を伝えるスポーツ紙は保存用にも買おうかなどといまから楽しみにしています。


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21:10

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福沢恵介さん

2007年06月24日

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福沢恵介さんは札幌在住のシンガー・ソングライターです。古くは「野風増(のふうぞ)」(1984年)のヒット曲で知られています。今月20日の北海道新聞(道新)でうれしい記事を見つけました。練習場の宮の沢白い恋人サッカー場がある札幌市西区の住民が「コンサ通り」を核に応援しようという取り組みに賛同して、福沢さんがファンの応援歌「12番目の風になって」を作詞作曲したという内容でした。そして歌の発表会が23日にコレクションハウスで行われたことが今朝の道新で紹介されていました。

福沢さんはもともと熱心なコンササポだったそうで、1998年2月には自ら作詞作曲したコンサドーレ応援歌「北の風になれ」のCDを発売しています。コンサドーレで初めて作られた応援歌だったようです。写真のCDは確か2001年ごろでしたか、近所のコーチャンフォーで奇跡的に見つけて購入したものです。今では見なくなった8センチのCDシングルで、曲調は行進曲風。スローバージョンやカラオケも入ってました。コーラスには河村通夫さんや鈴木一平さん、南月寒サッカー少年団などが加わっていました。

実は「北の風になれ」の3番の歌詞に、すでに今回の曲につながる「12番目の風になれ」というフレーズが入っていました。残念ながら、まだ新曲の「12番目の風になって」は耳にしていませんが、8月にもCDが発売される予定だそうで、今から楽しみです。ぜひ悲願の昇格を果たした時に、みんなで歌えるといいなあ、と心から願っています。



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17:46

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録画と保存

2007年06月20日

コンサドーレの試合は現在、ホームでもアウェイでも必ずスカパーや地上波(アナログですが)を録画しています。どんな負け試合でも、あるいは生観戦した試合でも、最低1度は見るからです。もちろん、良い試合は2度、3度と見ることもあります。

本格的に録画を保存するようになったのはスカパーに入った2003年シーズンからです。ゲーム中に余計なCMが入らないので、保存を思い立ちました。ただし、残すのは勝ち試合のみです。ビデオ(VHS)の3倍速で1本に3試合を保存していました。例外はこの年の4月12日、室蘭での福岡戦でウィルのハットトリックなどで5-0の快勝。これは標準で1本に録画し直しました。この年は13勝ですから、例外の1本を合わせて5本に収録されました。しかし、翌04年はわずか5勝で、2本に収まってしまいました。05年は17勝で6本。先ほど、勝ち試合だけと書きましたが、04年3月13日の開幕戦で甲府と引き分けた試合は柳下アクションサッカーに感服し、逆に05年11月23日の甲府戦も悪夢のロスタイム3失点の2-4敗戦を忘れてはいけない試合と思い、残してあります。

05年の暮れに念願のハードディスク(HDD)つきのDVDレコーダーを購入し、06年シーズンからはいったんHDDに録画し、残す試合のみDVD-Rに焼くようにしています。06年は20勝で20枚、それに天皇杯の準決勝を含む3試合の3枚が残りました。そして今年はすでに14勝。このまま行くと、30枚ぐらいに増えそうで、カミさんからは「また物が増える」と厳しい目を向けられているようです。そんな迫害にはめげず、チームにはどんどん勝ち星を増やしてもらい、保存枚数を増やしたいと思っています。ただ、来年からは画質を落として、1枚に2試合保存しようかなんて考えてはいますが。いずれにしろ、DVDコレクションがどんどん増え、そして悲願達成の永久保存版が今年こそできるように心から願っています。


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19:41

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デジカメ

2007年06月09日

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デジタルカメラを初めて購入したのは確か1998年ごろだったでしょうか。エプソン製の詳しいスペックは忘れましたが、100万画素もあったかどうか。主に年賀状用に家族のスナップ写真を撮っただけで、ほとんど活躍することなく、お蔵入り同然でした。なぜなら、ズームなしの単焦点で、日常の撮影に役立たず、結局、3倍ズームのついたフィルム式のコンパクトカメラを使っていました。それでもコンサドーレの試合を見に行ったりするうちに、3倍ズームでは物足りなくなりました。若い頃、1眼レフを使っていたことがありますが、とてもあの重い本体とレンズは持ち歩きたくありません。なかなか解決策が見つからないままでした。

そこは日進月歩、秒進分歩のデジタルの世界。そんなときに知ったのがコンパクトデジカメで12倍ズームが付いたPANASONICのFZ1でした。手ぶれ補正付きなので、ズームしても失敗が少ないと評判を聞き、2003年に購入しました。値段は4万円台でした。以来、コンサドーレの試合や練習見学などには必ず持参し、撮影を楽しむようになりました。ズームの威力でピッチの遠くにいる選手も撮ることができ、しかも軽いので1眼レフと違ってぶら下げていくのに最適でした。200万画素で今なら物足りない画質なほか、若干、ピンが甘い感じでしたが、そんな欠点も気にならないほど気に入りました。それでも毎年のように新製品が出て性能がアップし、昨年、ついに我慢できなくなり、同じ12倍ズームのFZ7に買い替えました。これも4万円ほどでした。サイズが一回り大きくなってしまいましたが、最大600万画素にグレードアップし、ピントも合うのが早く、現時点ではほとんど不満はありません。1眼レフを除けば、このサイズでこれだけズームできるのは素晴らしいと思います。引き続きコンサドーレ専用機として活用しております。

すでにFZ8という新製品が出ていますが、当分はこれで十分だと思っています。オリンパスから出た18倍ズームがちょっと気になっていますが。試合の時は始まる前と終わった後に撮るのが中心です。試合中は応援に夢中だから、ほとんど撮ることができません。今年は選手、サポ、ドールズと歓喜の様子を大量に撮ることができ、うれしく思っています。ぜひ今年、昇格を決める試合で、決定的な瞬間を撮りたいと今から楽しみにしています。



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15:33

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「ONE & ONLY」

2007年06月01日

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アンオフィシャルコンサドーレ札幌10周年記念誌「ONE & ONLY」は昨年6月に刊行されました。ゴール裏の応援をリードし続けるウルトラスサッポロ(US)が自費出版したA5判、235ページです。内容の中心は2005年11-12月のホームゲームでサポーターにアンケートした回答です。最も貢献した選手や一番応援した選手、ベストゲーム、自分自身変わったこと、理想のクラブ像などで、400人近いサポーターが熱い思いを語っています。私も確かネットでアンケートに答え、「真栄パパ」の名前で答えが載りました。USのホームページから予約して6月24日の厚別競技場の外で購入しました。その際は600円だったのですが、すぐに売り切れとなり、増刷した結果、経費がかかるため1000円に値上げしたようです。現在はホームページを見ても、扱っていないようです。

プロが作った本と違って、正直、文字が小さいし、慣れない横組みとあって、年配のおじさんが読むのは、ちょっとつらいものがあります。誤字脱字も少なくありません。でも、そんなことは気にならないほど、この本にはサポーターの喜怒哀楽や情熱が詰まっています。読めば読むほど、ウルウルしてくるものがあります。アンケート結果のほかに、USメンバーの声や現在はライターをしていらっしゃる斉藤宏則さんや笹田啓子さんの寄稿、さらには吉原宏太、大森健作、古川毅ら元選手たちからのメッセージも。とりわけ札幌では怪我に泣いた三原広樹の「札幌のサポーターは自分の中で世界一。怪我から復帰したときの感動は忘れられない」「引退したら、今度一緒にバモり!ます」という言葉にはホロリとさせられます。このようなサポーターの思いを本に残してくれたUSの皆さんに感謝しています。



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22:01

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赤黒箸

2007年05月28日

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2戦連続の逆転勝ちにうかれて、今日はしょうもない話で。要は赤と黒の箸(はし)です。2年前に2度目の単身赴任に旅立つ際、カミさんから「赤と黒だから、いいでしょ」と持たされたのが赤い箸と黒い箸の2膳でした。何のことはない、安っぽい箸でした。実はコンサドーレグッズの箸=写真下=は持っていたのですが、もったいなくて飾ってあります。カミさんの言葉をヒントに、その赤と黒の箸は同じ長さだったので、私は1本ずつ組み合わせて赤黒で1膳として使っています。「そんなつもりではなかったのだけど」とカミさんもあきれています。すでに1膳目はだめになり、2膳目を使っていますが、そろそろ塗りがはげてきたので、カミさんに言うと、百均で少しラメのような模様が入った赤と黒の箸を買ってきてくれました=写真上=。今度からまた赤黒に組み合わせて使おうと思っています。こうして、コンササポの日常は赤黒度がさらに増していくのでした。めでたし、めでたし。



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19:41

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コンサドールズ

2007年05月20日

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先日のエントリーでドーレくんの満10歳の誕生日を祝ったのですが、もう一つの10歳を忘れていました。チームコーディネーターの金子桂子さんご自身がドールズブログで紹介していますが、われらが勝利の女神、コンサドールズも10周年を迎えました。当時、コンサドーレがJFLだった1997年5月15日、大塚戦が行われた厚別競技場でデビューしました。今でこそあちこちのJリーグで同じようなチアリーディングチームがありますが、コンサドールズは日本サッカー史上初のオフィシャルダンスドリルチームとして誕生したのでした。当初、コアなサッカーファンからは「サッカーには似合わない」といった声もあったようですが、コンサドーレのホームゲームで見て、対戦チーム側がうらやましかったのでしょう。いまは本当に増えましたね。でも、他のチームのことはよく分かりませんが、ちらりと見る限り、コンサドールズはかなり踊りのレベルが高いように思います。

レベルが高いのもそのはず。もともと金子さんが主宰するダンススタジオ「NEO」に依頼し、実績のあるダンスチームだったそうです。その後もコンサドールズになるにはオーディションが行われ、現在はコンサドーレと同じようにドールズもメンバーがトップとサテライトに分けられ、以前に見た記事などによると体脂肪率なども含め厳しく体調が管理されているそうです。さらにユースやジュニア、キッズと養成コースも充実しています。実は私も娘2人をドールズにしたいと思ったものですが、娘らは「無理!」と拒否。父親の夢をあっけなく粉砕したのでした…。

ドールズの衣装や音楽、踊りは毎年のように変わります。主な出番はキックオフ50分前とハーフタイムの2回。テレビの中継でもその踊りはほとんど見ることはできません。ぜひ厚別や札幌ドームに生観戦とドールズを見に足を運んでください。おやじ目線でじっくり見たい方はぜひ特等席のメーンスタンドのSS指定席を購入してください。そして、昨年からは勝った試合限定の「勝利のラインダンス」が復活し、試合後にホーム側ゴール裏の前で踊ってくれます。写真は今年5月6日の厚別開幕戦、仙台に勝利した後の踊りです。よくこんなに足が上がるものだと毎回、感心していますが、今年はあと何回、ラインダンスを踊ってくれるでしょうか。J1昇格を決めたときにはどんな踊りを見せてくれるのか、勝利のダンスをいまから楽しみにしています。



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17:43

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ホームゲーム来場記念プレゼント

2007年05月12日

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4月22日、聖地・厚別開幕戦の仙台戦で初めてdoze(ファンクラブ)会員が対象の来場記念プレゼントが当たりました! スタジアムに通うこと苦節ウン年。ついに手にすることができました。ご覧の通り、集合写真にキャプテン芳賀のサイン入りです。もう1枚のダビの写真との選択でしたが、こちらを選びました。会員番号の下3桁で1試合に5人ですから、確率的には200分の1。単純に言えば、10年ぐらい通い続ければ1回は当たるということでしょうか。プレミアム会員なら下1桁ですので10分の1。1シーズンに2回当たる計算ですね。うらやましいです。

いつからこのプレゼントが始まったのか、そもそもファンクラブに入ったのが2002年からですから、詳しくは分かりません。でも、昔のスタンプラリーでスタンプを押してもらう際や現在のポイントを入れてもらう際に、いつも当選番号をチェックしていたのですが、まったくかすりもせず残念に思っていました。今年の運を使い切ったかもしれません。本当はわが家は全員が家族会員になっていますので、カミさんと娘も行けばもらえたのですが、この日は私だけの参戦だったので、かえすがえすも残念ですね。

なお、当選番号は後日の会報誌「GENE」に数試合分がまとめて掲載されます。当日、確認を忘れた方も、チケットの半券かシーズンチケットを会員証とともにファンクラブ事務局に持参すると、プレゼントがもらえるようです(郵送も受け付けている)。必ず誰かが当たっていますので、確認をお忘れなく!



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18:32

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ドーレくん

2007年05月05日

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いわずと知れたコンサドーレ札幌のマスコット「ドーレくん」です。誕生日はJFL時代の1997年5月4日、室蘭の入江競技場で初めて登場。そうです、昨日がちょうど10歳のバースデーでした。おめでとう!

公式HPによると、「北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』をモチーフにいたしました。ゴールマウスを見つめる大きく鋭い瞳は“知性と想像力”を、新雪のように美しい白い体は“フェアプレー精神”を表しております。フクロウ独特の安定感(信頼)のある重厚な体格を、直線的なタッチを用いてスピード感のある精悍なイメージで表現しております」とあります。私が初めて生ドーレくんを見たのは初観戦した翌98年4月4日、室蘭でのG大阪戦。いい年した中年おじさんが子供たちに混じってハイタッチしてもらいました。以来、観戦のたびに活躍を見てきましたが、徐々に芸達者ぶりが進化しています。得意の側転をはじめ、キックボードやミニバイクまで乗りこなします。圧巻はコンサドールズとの競演で、ラインダンスまで踊ります。踊れるドーレくんは別人(別フクロウ)という説があるようですが、きっと気のせいです(笑)。写真は昨年8月26日の厚別で、キックボードを持っていますね。

ドーレくんのグッズはいろいろ発売されていますが、ぬいぐるみは近年、変身ドーレくんや着せ替えドーレくんなどが発売され、サポ心をくすぐり、HFCも商売上手になったものです。キャップや羽根まで売り出され、わが家でも増殖を続けています。以前にはビッグドーレくんも売り出されましたね。初期のころに比べると、明らかに顔立ちがかわいらしくなったと思います。そういえば、2002年にキッズドーレくんが登場しましたが、ドーレくん自身の子供時代だそうで、家族ではありません。最近、キッズドーレくんのグッズが出ていないようです。

今年2月11日にあったサポーターズ集会でHFCの児玉社長が「ドーレくんが社員になりました」と報告していました。オフの間もドーレくんは幼稚園や保育所を訪れてPRするなど、チームに貢献しています。社員となって生活も安定したことですし、10歳になって成人(成フクロウ)となったドーレくんにそろそろお嫁さんを見つけてあげてほしいと切に願っています。



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21:47

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希望ナンバー

2007年04月30日

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11年乗った赤黒シートカバーのトヨタ・イプサムがだいぶガタがきましたので、3月に車を買い替えました。今度はホンダ・エアウェイブです。日常乗るカミさんの希望は赤色でしたが、すでに廃色だったため予定外の黒色になりました。「黒なら在庫があり、お安くしときますよ」というディーラーさんの言葉に夫婦とも弱かったのでした。私の人生において5台目(うち2台は中古)の車になりますが、ホンダも黒色も初めてです。「赤黒」命だから、黒でもいいかと自分に言い聞かせています。

初めてなのはもう一つ。希望ナンバーです。もちろんサポなら「12」番! 抽選かと思ったら、あっけなく取れました。ディーラーさんには「どういう意味があるんですか」と聞かれ、カミさんが「夫がコンサドーレのサポーターなので」と説明しました。写真のナンバープレートカバーは昨年の10周年記念グッズで買っておいたものです。ようやく役立ちました。

まだ車内にはミニフラッグとエアフレッシュナーぐらいで、コンサ度があまり高くありません。これからカミさんの目を盗んではいろいろグッズ類を増やしていこうと思っています。そういえば、先日、シースペースや試合の時の売店で車に張るステッカーを探したのですが、どちらにもなかったような。現在は売っていないのでしょうか。ぜひともコンサドーレをアピールしたいのですが。



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12:49

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訓(クン)ちゃん

2007年04月23日

昨日の興奮冷めやらぬなかですが、先日、4月13日の北海道新聞朝刊札幌市内版にうれしい記事が載っていました。コンサドーレのジュニアサッカースクールに初の女性コーチが誕生したという内容でした。そしてその名前を見ると、なんと宗像訓子(さとこ)さん。そうです、クンちゃんの愛称で親しまれた元サブマネージャーです。道女子短大サッカー部主将としてMFで活躍し、1997年にHFCに就職し、裏方としてチームを支えました。練習や試合の時に遠目から眺めて知っていただけですが、2002年春にHFCを退職し、Lリーグ(現なでしこリーグ)の強豪、伊賀フットボールクラブくノ一に入団。選手として日本代表を目指す夢に向かって旅立ったのでした。その心意気に感動し、陰ながら応援しておりましたが、そのクンちゃんがHFCにまた戻って来てくれたのです。記事によると、04年から厚真町の「FCアドゥーマ」に所属して選手としても活躍しているようです。

中年おじさんから見ると、まだ若いと思っていたクンちゃんもいつのまにか30歳。今年のコーチ5人を紹介したホームタウン推進部のブログによると、本人の今年の目標は「彼氏を作る」ことだそうです。サッカースクールで子供たちにサッカーの魅力を伝えるとともに、選手としても活躍し、そしてプライベートでは良い伴侶が見つかるように、父親のような気持ちで願っています。


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18:25

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ジェッター3

2007年04月14日

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九州出身の3人組ロックバンド「ジェッター3」は2000年に結成されたそうです。HFCから04年11月23日から、コンサドーレ札幌の宣伝普及活動を行うPR大使に任命されています。写真はその日、札幌ドームでのお披露目時に撮影したものです。正直言って、私のような中年おじさんには縁のなさそうなバンドです。イケメンとはいいにくい風体で、見た目から入る娘たちは「イケてない」と連れない反応でした。

実は彼らのことはその年の夏、たまたま目にした北海道新聞の石狩地方版でコンサドーレ応援ソング「追いかけて」を作り、当別町(池内や新居を生んだ町ですね)でプロモーションビデオを撮影したという記事を見て、知っていました。その時は「北海道に縁もゆかりもないのに、変な奴らだな」程度にしか思っていませんでした。PR大使になった当初は、どのぐらい応援してくれるのか、半信半疑で、ネット上でも「ジェッターヨ」などと冷やかしの声が多かったように思います。

ところが、その後の活動ぶりは目を見張るほどでした。厚別やアウェイにまで応援に駆けつけてくれ、ライブでもコンサのレプリカユニを着て演奏。オフィシャルブログにも登場し、熱い気持ちを語ってくれています。最初、疑った私が間違っていました。メンバーには申し訳なかったと謝りたいと思います。

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05年10月22日には7連敗中の天敵、山形戦の応援に雨の函館まで駆けつけてくれました。そのかいあってか、見事に勝利。会場に響き渡った「追いかけて」のフレーズが耳について離れなくなり、札幌に戻って「追いかけて」が入っている彼らのミニアルバム「虹」(4曲入り、1000円)を探しました。ところが、大型店2、3軒を回ってもなく、アマゾンにもありません。あきらめかけていたころ、なんと単身赴任先の岩○沢で、インディーズコーナーにありました。おそるべし玉光堂。

11日に西が丘であったホームの仙台戦で土砂降りの雨のなか、赤黒に塗ったギターが台無しになる覚悟で熱演してくれたそうです。本当に頭が下がります。彼らがメジャーになるよう陰ながら応援します。コンサがJ1昇格を果たしたとき、彼らと一緒に喜びたいと願っています。



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19:21

思い出 コメント(9)

Jカード2007

2007年04月09日

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先日発売された今年のJカードのコンサドーレ札幌の5枚です。上段左からキャプテン芳賀、西谷、大塚、下段左から砂川、曽田。レギュラーカードはJ1なら1チーム11枚ですが、残念ながらJ2は5枚だけです。芳賀、西谷、大塚はコンサでは初登場、砂川と曽田は4年連続の登場です。

早くJ1昇格を果たし、Jカードで11枚、さらにはチームエディションで全選手がカードになる日を楽しみにしています。



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21:27

トレカ コメント(6)

室蘭での観戦記録

2007年04月01日

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昨日の勝利から浮かれたままの真栄パパです。室蘭で勝ったのはチームとしては2003年4月12日以来、4季ぶりとか。私が生観戦した試合ではいつ以来かと思って、室蘭での観戦記録をあらためて調べてみました。

私は転勤で1997年春から3年半、室蘭に住んでいました。初観戦はJリーグに昇格した98年4月4日のG大阪戦で、私の初の生コンサでした。バルデスのゴールで見事、1-0で勝利しました。リーグ戦ではありませんが、この年の12月5日のJ1第3参入クラブ決定戦で福岡に0-3で敗れて涙し、サポになる決意をしました。J2に落ちた翌99年3月28日の鳥栖戦は2-3でVゴール負けでした。2000年は有珠山噴火の影響もあり、見に行けずじまい。その年の秋に札幌に転勤となり、J1となった01年と02年は週末に忙しい職場のため観戦できませんでした。そしてかえすがえすも残念なのが03年4月12日の福岡戦。ちょっと無理をすれば行けたのですが、怠け心が勝って自宅観戦したところ、なんと初めてブラジルトリオ(ウィル、ホベルッチ、ベット)がそろい踏みでウィルのハットトリックなどで5-0で圧勝。この試合を見逃したのがトラウマとなり、10月25日の大宮戦に頑張って遠征するも0-1で討ち死にしました。04年は行けず、05年7月16日の京都戦、06年3月25日の横浜FC戦とも0-1で敗れました。そして07年3月31日、ついに1-0でJ1からの降格組のC大阪を撃破しました。こうして振り返ってみると、通算で2勝4敗。要するに、初観戦の98年以来の2勝目。9年ぶりだったんですね。

室蘭での観戦では最初、バックスタンド(現在のSA自由席)が芝生席だったので、家族で敷物を敷いてまったり観戦。参入決定戦だけはホーム側ゴール裏の端っこでした。03年以降はメーンスタンドのホーム側端のB自由で応援しています。昨日は目の前で決勝ゴールを決めたカウエを芳賀らみんなでボコボコにして祝福していました。試合中は興奮していてほとんど写真を撮ることは少ないのですが、珍しく撮ることができました。札幌からの遠征は03年こそ車でしたが、05年はJR北海道様の特急コンサドーレ号、昨年からは日本旅行様のバスツアー(チケット込みで4200円の格安です)を利用しています。そういえば、昨日の入場者は4990人と観客動員的には厳しい数字だったようです。私にとって室蘭は忘れられない試合会場でもあり、運営に当たる地元のサッカー協会様の尽力もあります。コンサが札幌だけでなく、北海道のチームとして愛されるためにも室蘭や函館(可能なら、将来的には旭川や帯広などでも)でも開催を続けてほしいと願っています。



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16:16

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平間智和

2007年03月26日

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サッカー素人の中年おじさんにとって、記憶に残る選手というのはゴールを決めるなど目立つ選手、活躍した選手です。あまり活躍できなかったのに、なぜか鮮明な記憶に残っている選手の1人がMF平間智和です。横浜Mでデビューし、山形や仙台でJ2を経験、いったん横浜Mに戻ってから2002年にコンサへ来ました。実は入団前は全く知らない選手でした。コンサでもJ1だった02年に15試合出場、無得点、J2に落ちた03年も8試合出場、無得点と、活躍したとはいいがたい成績でコンサを去りました。しかし、そんな彼ですが、練習試合などではものすごい活躍で「白恋のセレソン」「宮の沢の帝王」などと呼ばれていたようです。その実力の片鱗を見たのが忘れもしない02年9月29日の札幌ドームでのジュビロ磐田戦。先発した平間はキレキレで、ドリブルで切り込んで、当時J1最強だった磐田のDF陣をずたずたにしました。そして放った強烈なシュートは惜しくもクロスバーか、ポストに阻まれましたが、磐田側は間違いなく冷や汗を流したプレーでした。「あのジュビロをきりきり舞いにさせている」と、生で観戦して本当に興奮したシーンでした。結局、平間は電池が切れ、後半に交代。試合もVゴール負けしました(まだ磐田には公式戦未勝利です)。それともう一つ、記憶に残るのは03年4月9日、アウェイの大宮戦。開始早々に1点先制され、敗色濃厚の試合。途中から出場した平間は後半41分、左サイドから鋭いクロス。年代別日本代表のGK川島永嗣をして前に弾くのが精いっぱいで、詰めていたウィルが難なくゴール。引き分けに持ち込む価値あるアシストでした。一部の掲示板では「あれはGKが捕れない魔球だ」などと盛り上がったのを覚えています。あと、どの試合か忘れましたが、厚別の試合で、ペナルティーエリアの左側で後ろに相手DFを背負って受けたパスをO脚でスルー、左サイドを駆け上がった和波が抜け出しフリーでボールを得ましたが、残念ながらオフサイド。忍者・平間の名を高めました。出場時間が少ない割に、意外なほどプレーが印象に残っています。

コンサを退団した後、04年にJ1の新潟で1試合のみ出場。05年にJFLのFCホリコシ、06年から故郷に戻り、JFLのソニー仙台に所属。今年で30歳。自分で納得いくまで現役で頑張ってほしいと願っています。

写真の左はJカード、右はイレブンスターズです。



田渕龍二

2007年03月16日

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「龍ちゃん」と呼ばれ、サポに愛された背番号2番が田渕龍二でした。大塚製薬(徳島ヴォルティスの前身)から1997年に入団、「2」を6年間にわたって背負い続けました。ポジションは右サイドバック。地味な存在でしたが、決してさぼらない堅実な守備でチームに貢献しました。自ら目立とうとはせず、「寡黙な職人」といったタイプでした。ついつい攻撃の方に目が行くサッカー素人の私にはあまり印象に残る選手ではありませんでしたが、彼が主役になった試合がありました。J2の2年目の岡田コンサドーレが降格してきた浦和レッズと対戦した2000年7月29日の厚別。私はテレビ観戦だったのですが、テレビでこれほど興奮した試合はそう多くありません。前半にクビツァ(コンサと相性がいいのか、随分決められた記憶があります)に先制を許しましたが、後半18分、エメルソンからのパスを受けた田渕が相手DFをかわし、右45度から見事なミドルシュート、同点に追いつきました。意外な人物のゴールに思わずバンザイを叫びました。そして後半41分には左サイドをやはりDFの大森健作が持ち上がり、逆転弾をたたき込み、テレビの前で飛び上がって喜んだのを覚えています。J2優勝、J1昇格を決定づけた大一番だったと今でも思っています。

その田渕も2002年シーズン限りで戦力外となり、いったん現役を引退。ところが、翌03年のシーズン開幕後、右サイドバックが足りなくなった当時J1の神戸からオファーがあり、チームがJ2に降格する中、1人J1昇格を果たしたのでした。結局、この年限りで引退。出身地の徳島県に戻って自動車教習所の教官をしながらアマチュアチームに所属、昨年には県代表で国体に出場したそうです。

コンサ時代は口が重い、寡黙なイメージでしたが、昨年10月21日に札幌ドームで行われた10周年感謝デーのサンクスゲームに出場した際はインタビューに饒舌に話すのにビックリしました。徳島ヴォルティスがJ2入りした05年以降、地元テレビ局で解説者を務めたりしているそうなので、堂に入ったものなのでしょう。明日17日にアウェイで行われる徳島戦でスカパーの解説者を務めてくれます。田渕の解説を聞くのは初めてですので、今から楽しみです。もちろんコンサも連勝を飾ってくれるものと期待しています。

写真のカードは上段と下段左端はJカード、下段の残り2枚はイレブンスターズです。



ほくせんサポーターズカード

2007年03月11日

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借金は怖いものだと教え込まれ、いつもニコニコ現金払いに徹してきた中年おじさんとしては、クレジットカードは好きではありません。ついつい使いすぎてしまいそうで、今でもちょっと怖い存在です。しかも2年目以降の年会費も払いたくない者としては、持っているカードはいずれも年会費無料の3枚だけです。

そのうちの1枚が「ほくせんサポーターズカード」で、チームスポンサーのほくせん様が2002年3月から発行するカードです。サポーターズの名前通り、カード利用額の1%がHFCに寄付されるというスグレモノです。実はわが家はこのカードができる前からカミさんが利用額に応じてもらえる商品券目当てにほくせんカードを使っていました。サポーターズカードができたというニュースを見て「これは入らないとサポではない」と、商品券に目がくらんでいて、しぶるカミさんをなんとか説得。いつからかは忘れましたが、割と早く従来のカードからサポーターズカードに切り替えることができました。何と言っても写真のように、カードのデザインもサポ心をくすぐります。カミさんが上のゴール裏、私が下の赤黒のデザインのカードを使っています。といってもわが家では定期的に払っているものとしては灯油代やスカパー代などで、ほんの微々たる額ですが。

ほくせん様は毎年12月に還元分をHFCに寄付しており、昨年12月には05年9月1日-06年8月31日分として219万799円を贈り、これで02年からの累計は735万8374円となったそうです。1人1人の力は小さくとも結集すれば大きくなる好例だと思います。これからも微々たる額ですが、少しでもチームのために利用したいと思っています。

なお、コンサ関係のクレジットカードとしては、私が知っている限りでファンクラブのニコスdozeカードとスポンサー様のJALカードがありますね。残念ながらいずれも2年目から年会費が必要なようで、私は入っておりません。ごめんなさい。



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18:28

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新監督+新戦力のトレカ

2007年03月03日

開幕直前までに、今年加わった新監督と新戦力のトレーディングカード(トレカ)がそろいました(サインカードや配布カードなどを除く)。開幕戦勝利の後に紹介しようと思ったのですが、残念な黒星スタートとなりました。


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まず三浦監督とGK高木です。上段は2005年と06年のJカードチームエディション、下段左端はカルビー2005年のエクステンション、右2枚は05年のJカードチームエディションです。三浦監督は大宮をJ1に昇格させた手腕をぜひともコンサドーレでも発揮していただきたい。高木は今日の京都戦でも2、3度、好セーブを見せていました。ザスパ草津で昨季、全試合出場の実績と経験を生かしてほしいですね。


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次はブルーノクアドロス。上段と中段は05年と06年のJカードチームエディション、下段左2枚は05年と06年のカルビー、右端は06年のJカードです。京都戦ではかなりパウリーニョのスピードに振り回されてしまった印象ですが、セレッソ大阪で2年、不動のセンターバックとして活躍した力をぜひとも発揮してほしいと願っています。



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22:31

トレカ コメント(4)

開幕戦

2007年02月25日

開幕戦は、シーズンの行方を占う意味でも、長い48試合のうちの1試合という以上の重みがあると思います(とはいえ、昨季の横浜FCは初戦の敗戦で監督のクビが切られ、その後、J1昇格を果たすとは夢にも思いませんでしたが)。北国のコンサドーレの場合、地元で練習ができず、長いキャンプが余儀なくされて迎えるだけに、選手たちは苦労が絶えません。しかし、冬が厳しければ厳しいほど、春を待つサポーターの気持ちは高ぶります。

コンサドーレにとって、長く開幕戦を道内で行うのが夢でした。2002年まではアウェイで開幕が当たり前で、最初のホームゲームも高知県春野や仙台などで開催。3月末か、4月初めに室蘭で道内開幕を迎えるのがやっとでした。私が見た室蘭の道内開幕戦は1998年4月4日のJリーグ第4節、ガンバ大阪戦(1-0で勝利)と99年3月28日のJ2第3節、サガン鳥栖戦(2-3Vゴール負け)で、いずれも天候に恵まれましたが、やはりまだ寒かったと記憶しています。J1に昇格した2001年と02年はいずれもホーム初戦を高知県春野にお世話なりました。この頃は合宿にも訪れたこともあり、高知県側も「高知県後援会」をつくり、後押ししてくれました(その後解散し、今はホームページだけが残っています)。高知から寄せられたご好意には今も感謝しています。

03年3月15日、長年の悲願が実ります。そうです、札幌ドームで開幕戦のJ2第1節、横浜FC戦を迎えることになりました。2週間前の3月1日には屋外で雪に覆われていたホバリングステージ(サッカーピッチ)をサポーターたちが除雪しました。そして迎えた開幕戦に、J2に落ちたとはいえ、気持ちが高ぶるサポたちが札幌ドームに続々と詰めかけ、入場者は2万3590人を数えました。わが家もワクワクドキドキしながら家族全員の4人で参戦し、「前年最下位のチームをたたいて昇格ロードへ」と意気込んだのですが、夢にも思わぬ1-3で敗れて出鼻をくじかれ、結果的に9位に終わるシーズンを予感させたのでした…。

今季のホーム初戦は3月10日、サガン鳥栖を迎えます。恒例となった除雪は3月4日に行われます。私はまだ除雪に参加したことはありません(カミさんに「家の除雪さえきちんとやらない奴はダメ」としかられています)ので、参加者の皆さんに感謝しながら、ホーム初戦では力いっぱい応援したいと思います。札幌にプロチームがあり、この時期に試合ができることを心から喜びながら、1人でも多くの人が札幌ドームに集まることを願っています。


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16:17

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三原会応援ダンマクプロジェクト

2007年02月19日

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2004年5月2日、J2第9節・アビスパ福岡戦が行われた厚別競技場である極秘プロジェクトが決行されました。三原広樹ファンのうに丸さんが主宰する「三原会」が三原を応援する巨大ダンマクをバックスタンドSB席アウェイ寄りに選手入場時とハーフタイムに掲げたのでした。三原会はインターネット上の秘密結社で、実際の活動は試合や練習を見て「みはらさま~!(ハート)」と叫ぶものだったようです。10人以上の女性陣が密かに活動していたようで、うちの上の娘も入会が許され、会員ナンバーまでいただいていました。

三原はこれに先立つ4月3日の湘南戦で大けがを負い、左ひざ前十字靭帯断裂及び外側側副靭帯損傷で全治9カ月と診断されました。このけがに涙した会長のうに丸さんが製作したのがこの写真のダンマクです。「再びピッチを駆ける7を信じている!いつまでも待ってるぜっ!」という立派なものでした。かなり大きなものですから、三原会のメンバーらに掲げるのを手伝うよう呼びかけがあり、うちの娘も参加させていただきました。写真の右下が娘です。さて、写真の通り、ダンマクとしてはかなり巨大なのですが、いかんせん、左側下方にはビッグフラッグが掲げられており、気づいた人は必ずしも多くはなかったかもしれません。参加した娘はたくさんの人たちと知り合え、「楽しかったー!」と興奮気味に語っていました。私は写真を撮っただけですが、こういう、けがをした選手を励ますようなダンマクっていいなあ、選手に思いが届くといいなあ、と思ったものです。

余談ですが、三原がいなくなった上の娘は最近、専門学校の実習が忙しくなったこともあり、ほとんど観戦につき合ってくれなくなりました。やはりひいきの選手がいなくなったカミさんや下の娘も観戦熱が冷めてきています。今年はどの程度、家族で観戦できるでしょうか。



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14:15

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サポーターズ集会

2007年02月12日

サポーターが集まり、クラブや応援方法などについて話し合う13回目の「サポーターズ集会2007」が2007年2月11日、札幌コンベンションセンターで開かれました。私も初めて参加してみました。正午から5時半ごろまで開かれたそうで、残念ながら所用があって開始から2時間ほどで中座しましたが、三上強化部長からチームの様子などについて詳細な報告があり、ますます期待が高まりました。

この集会の歴史をちょっと調べてみました。コンサ・デ・コンサによると、最初の集会は1997年12月27日、札幌市教育文化会館で開かれました。JFLで優勝し、Jリーグ昇格を控えながら経営難が表面化したなかで、4つのOSC(オフィシャルサポーターズクラブ)の代表らが企画し、HFC役員らを招いて話し合ったのが始まりだそうです。サポなら誰でも参加できるというのは画期的な集まりで、現在でもクラブ側とこうした集会を定期的に開いている例は少ないと思います。当初は「サポーター集会」と呼んでいたようです。翌年は2月と6月に開くなどしましたが、2002年の第8回からは年1回、2月開催が続いています。一時、2月12日を「サポーターの日」にしようという提案もあったようですが、04年からは祝日の2月11日開催が定着しています。

正直、私自身がこの集会に参加したいと思うようになるとは自分でも思っていませんでした。だんだん自分のコンサ病というビョーキが悪化しているようです。集会の詳しい内容を記録した議事録は05年まではコンサ・デ・コンサにあり、04年からは楽援コンサで紹介されています。サポが不満に思うことや批判も、この議事録でHFCの説明を読むと、一部は誤解だと分かることがあります(それでも納得いかない点も残りますが)。こうした集会で真摯に答える社長以下のスタッフに敬意を表するとともに、集会を企画・運営するサポの皆さんに心から感謝します。今後もフロントとサポを近づけるためにも、ずっと続いてほしいと願っています。来年は最後まで出席したいと思います。


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22:54

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佐藤洋平

2007年02月04日



コンサドーレで守護神といえば、私が思い浮かべるのは佐藤洋平です。ディドも好きでしたが、なにせ生では2試合しか観戦しておらず、熱心に応援し始めたときにゴールマウスを守っていたのが洋平でした。あの鹿島アントラーズで正キーパーを務めた後、コンサには1999年から2003年半ばまで所属。J2で79試合、J1で56試合に出場しました。とりわけJ1昇格を決めた2000年シーズンと翌01年のJ1では相手FWとの1対1のピンチを神がかりのセービングで何度も防ぎ、J1昇格と残留に大きく貢献しました。寡黙ながら、気迫のこもったプレーが見ていた者にも確かに伝わりました。強いハートがあったと思います。文字通り「神」として堅守速攻のチームを支えました。しかし、02年は守備が崩壊し、自身のパフォーマンスもややダウンしたでしょうか。翌03年には藤ヶ谷がGKに起用されることが増え、シーズン途中の9月にジュビロ磐田に移籍してしまいました。この年、初めてキャプテンを務めたのですが、ジョアン・カルロス監督に選手を代表して意見したため対立したとも言われていました。磐田ではこの年、リーグ戦に出場こそなかったのですが、天皇杯で大ブレイク。5試合に出場し、見事、天皇杯を獲得し、柳下正明監督の胴上げに貢献し、GKに恵まれなかった磐田サポの信頼を勝ち取り、翌年には正GKになりました。

実はカミさんが大の洋平ファンでした。偶然、誕生日が同じ11月22日(何歳上になるかはヒミツだそうです)。今思えば磐田への移籍直前の03年夏、清田区の白旗山での練習を佐藤尽ファンの上の娘と見学に行き、カミさんは洋平と2ショットで撮影し、今も宝物として台所に飾ってあります。背の低いカミさんは洋平の肩の高さほどしかなく、残念ながら目をつぶってしまったのが玉にキズですが。

その洋平が今シーズン限りの引退を表明したそうです。最近は川口能活に正GKの座を奪われているとはいえ、まだ34歳。体力よりも、経験がものを言うGKならまだまだできるとも思いますが、こればかりは本人が決めることですので、悔いの残らない1年となるよう完全燃焼してほしいと願うばかりです。コンサドーレには今季、草津で昨季全試合出場した高木貴弘が加わり、林卓人と佐藤優也と正GK争いを演じそうですが、まだ守護神として安心して見ていられる存在はいません。いっそうの奮起を期待しています。

写真のカードは上段がJカード、中段と下段左端がカルビー、下段左から2、3枚目はパーフェクトイレブン、右2枚はイレブンスターズです。



ポスターカレンダー

2007年01月27日



「ポスターカレンダー」は2003年シーズンから買い始めたようです。なぜ分かるかというと、古いカレンダーも捨てずに、2階の廊下などに場所を移して張ってあるからです。2度目の単身赴任生活が始まった2005年からは2枚買って、単身赴任先の部屋にも張って寂しさをまぎらわしています(本当か?)。

3月から翌年2月までのカレンダーになるのは、Jリーグの日程が発表になるのが例年1月下旬で、試合日程を入れるためには、やむをえないでしょう。選手の顔触れもぎりぎりまで決まらないこともありますから(2004年は清野の入団決定が遅かったので、背番号なしで写真だけが入っていました)。卓上カレンダーも毎年買っていますが、こちらにいたっては、1月-12月といっても、別売りのシール(スケジュールカレンダー)を買わないと役に立ちません。例年、絵柄もドーレくんなどで、移籍するかもしれないので選手の写真は使っていなかったのが、今年は初めて選手ものにしたところ、1月はフッキでした…。

さて、ポスターカレンダーに話を戻すと、サポーターの顔写真を募集して選手と一緒に掲載する「サポーターカレンダー」は06年から始まりました。12番目の選手であるサポが選手と一緒に載るのは、サポとしてはうれしい限りですね。私もレプリカユニ姿で応募し、載りました(相川を囲むサポの中の1人です)。でも、よく見ると、犬とか猫とかも多かったなあ。うちの赤黒犬も出してみようかな。
2年目の今年も1月18日から募集を始めています。今年も早速、応募しました。まだ募集しているようですので、申し込んでいない方は応募されてみてはいかがでしょうか。昨年は確か1月末で締め切ったと思いますので、お早めに。申し込みはこちらへ。



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16:11

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キックオフイベント

2007年01月20日

昨年も書きましたが、キックオフイベント(ファン感謝デー)には2003年から毎年、参加してきました。ところが、明日は仕事が重なり、参加できません。新しい監督や選手たちに会えないのが残念なのはもちろん、変身ドーレくんキーホルダーを買えないのが何といっても残念無念です。

昨年は1月15日に開かれました。Kappaの新ユニホーム披露の時が一番盛り上がりましたね。不評だった某メーカー製から久々の赤黒縦縞の復活でしたからね。明日の新ユニはマイナーチェンジというウワサですが、どんなのかなあ。選手の背番号もどうなるのかな? やっぱり気になりますね。

老婆心ながら、初めて参加される人のためにアドバイスを-。
まず、開場時間前からビョーキの人たちがびっくりするほど長い行列をつくっていますので、驚かないように。入場したら、メーンのステージイベントに向けてまず席取りをします。その後、選手たちの参加している各コーナーを見て回ることになりますが、実は大人が参加できるものは限られています。有料で2ショット券が限定発売されるフォトラマコーナーぐらいでしょうか。あれこれコーナーを欲張らず、お目当ての選手に狙いを定めると良いでしょう。この日売り出されるグッズも必見ですね。変身ドーレくんキーホルダーとキックオフTシャツは買いでしょう。あと、忘れずに持参すべきものとしてはカメラか、ビデオカメラ。サインが欲しい人は色紙かサイン帳、カードにサインペンを用意してください。お目当ての選手をつかまえるのは結構、大変でしょうけど。心構えとしては、恥じらいを捨てることです。「ミーハーになったら恥ずかしい」という気持ちを封じて、ミーハーになりきってイベントを楽しまれることをお勧めします。私をはじめ、行きたくても行けない人も多数いますので、その人たちの分も大いに楽しんできてください。そして、ブログで詳報をお待ちしてます。


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20:14

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サポーターズソング「With」

2007年01月15日



コンサドーレ札幌サポーターズソング「With(ウイズ)」は、2001年に道新スポーツ(北海道新聞社)が企画し、歌詞を一般公募して生まれた応援歌です。応募作1591点の中から最優秀作に選ばれた菅野直人さんの歌詞に、「ペガサスの朝」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの五十嵐浩晃さんが曲をつけました。
1番の歌詞は「さあ歌おう勝利の歌を この大地に集える者の 誇りをかけて 声高らかに 勝利の歌を歌い続けよう うれしいときも 悔しいときも 僕たちはいつもここにいる そう 僕たちはここにいる」で、バラード調で高らかに歌われるスケールの大きな歌でした。
01年11月24日にJ1最終戦のセレッソ大阪戦が行われた札幌ドームで披露されました。CDも制作され、五十嵐さんが歌うフルバージョンをはじめ、サポーターズバージョン、カラオケバージョンなど5曲入り。非売品で道新スポーツで読者プレゼントがあったほか、確か翌年、「月刊コンサドーレ」の定期購読者にもれなく配布され、私も定期購読でもらいました。とてもいい曲なのですが、最近は耳にする機会が少ないのを残念に思っています。

蛇足ですが、コンサドーレの音楽CDとしては公認チームソングとしてヴォイスの「AMBITIOUS-炎になれ」(これは私は持っていません)などがあります。残念ながら、「これがかかればコンサドーレだ」と道民誰しもが分かる決定版といった曲がないような気がします。これまでの曲の中から定着させるのか、はたまた新しい曲を作るのがいいのか、分かりませんが、ぜひ音楽を通じてコンサドーレを道民にアピールできればいいなあ、と思っています。



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18:10

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2006シーズンチケット販売会&トークショー

2007年01月09日



1年前の2006年1月7日、「2006シーズンチケット販売会&トークショー」がサッポロファクトリーで開かれました。トークショーは鈴木智樹と石井謙伍の2回公演。シーチケを購入すると、「オリジナル黒バンド」がもらえるほか、トークショー後の握手会参加券が各回先着200人に配布されました。私は03年シーズンからシーチケを購入しているのにすぎませんが、こうした販売会方式は初めての試みではなかったでしょうか。この日は長いオフでコンサ欠乏症となっているビョーキの患者たちが多数詰めかけ、トークショーの時には写真のように300人くらいの人で膨れ上がっていました。

こうしたシーチケの早期販売は、おそらく債務超過の会社で金を貸してくれるところがないだけに、チーム運営の資金繰りのため貴重な財源となっていると思われます。この前の年の05年シーズンのシーチケにいたっては、前年のシーズン中の04年11月23日に札幌ドームで柳下監督の「アクションサッカー」日本手ぬぐいをエサに先行販売。翌年が早々とJ2と分かっていたからできたことですが、試合会場にとんでもない大行列ができ、買えない人が続出し、後日、あらためて手ぬぐい付きでしばらく販売を継続する騒ぎになりました。

さて、販売会方式2年目の今年は1月6日にサッポロファクトリーで開かれました。ただし、名称は今年からシーズンチケットをシーズンシートと称するように変更したらしく、「2007シーズンシート販売イベント&トークショー」となっていました。トークショーは藤田征也と石井謙伍の2回公演。「オリジナルハンドタオル」がもらえるほか、2人のサイン会参加券が各回200人に配布されました。

シーズンシートは引き続き販売中ですので、運営の資金繰りのためにも、お早めにお買い求めください(決してHFCの回し者ではありません)。



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17:05

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