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北海道から出発してどんどん西へ向かい 2018年はついに国外へ出てしまったが また西の端へ戻ってきた。 9歳、11歳、14歳、そしてhousanと いっしょに暮らしています。 このブログでは日々のつぶやきを 公開中。
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2008年10月23日
先週末、さわやかな秋晴れのなか子どもたちの園の運動会が行われた。 新しい園なのでまだ第3回目。年々「運動会」らしい種目(?)が増えているように思う。 youは担任の先生にだっこされて登場。最年少児として紹介されていた。 いつも人の顔を見るとぴかぴか笑顔を返してくれるyouだが、当日は日差しの中で暑いし眠いし騒がしいし、で下を向いてぼーっとしていた。もちろん観客席にいる両親の存在には気づかず。4カ月児なんて、そんなもの。 tomoはトンネルをくぐって出てきて台(30cmくらい)の上からジャンプして降りるというのを披露した。まず両親がいる観客席とは全く違うところへ向かって笑顔で手を振りアピール!(謎)トンネルくぐりもジャンプもふつうにやっていた。母親の感想としては「ふーん、できるんだね。」 tomoは運動は好きになるかな。練習次第かな。いろんなことに挑戦して体を動かす楽しさを知ってほしい。
2008年10月08日
母乳についてわかったことをいくつか。 ・どんな母親でも適切なケアによって母乳は出るようになる。 ・母乳は一度出なくなっても適切なケアによって再び出るようになる。 ・適切なケアをするには時間がかかる。 ・母乳育児に関して宗教的信念をもつ人々がいる。 母乳は血液からつくられるので、母乳で育てた場合にはまさに「血を分けた子ども」ということになるわけだ。 授乳中はどれだけ食べても太らない、どころか食べても食べても体重が減っていくくらいだが、何を食べてもよいわけではない。書き仕事をしているとつい甘いものを食べすぎてしまうが、自重すべきだな。おいしい母乳のためには何よりもバランスのよい食事が大切だ。 何事も体が資本だと思うが、特に音楽や文章や芸術作品など新しいものを生産する仕事では、身体をどう扱うかが大きな問題になるようだ。 このとき2つのタイプがあるように思われる。 ひとつは、身体を究極まで追いつめることで新しいものを生み出そうとするタイプ。これには薬物依存なども含まれる。こっちの方向に流れる芸術家は多い。破滅型。 もうひとつは、ストイックに身体的健康を維持していくタイプ。福山雅治とか村上春樹とかがこの例に当てはまるだろう。 さて何が言いたいかというと、母乳育児と論文執筆は両立するのか、ということだ。私は、研究者は新しいものを生産するという意味では芸術家に通じるところがあると思っている。もし上に挙げたタイプの後者を選ぶなら、よい論文を書きながらおいしい母乳もつくれる、ということになるのか?
2008年07月16日
生まれて1、2カ月くらいだと傾向&対策で子育てが可能だ。 どのくらいの間隔でお腹が空くのかとか、眠りにつくときの癖とか。 昨日・今日は少し机に向かうことができている。それだけでも気持ちに余裕が出る。 でもさすがに2歳半という年齢の子どもには傾向&対策ではうまくいかない。 最近のtomoの行動はこちらから見ると単なるわがままと感じられる。 トイレに行きなさいと言っても行かないとか お風呂に入りなさいと言っても入らないとか 着替えなさいと言っても着替えないとか 可能な限り本人の気持ちを尊重したいと思うが、はっきり言って何をしたいのかわからない。単に「反抗」がしたいだけなのか。 反抗期ってめんどうだな。
2008年07月15日
昨日youの1カ月検診へ行ってきた。 体重は2230gから3375gにまで増えていた。 寝ているときに、ぎゃおーぎゃおーと鳴くのでうちではミニ怪獣と呼ばれている。 祖母が帰って1週間。寝不足の日々が続いている。 産休中だからという理由で保育時間が削られてtomoが早く帰ってくるので、昼間の時間がとても短い。家事をこなすだけで精一杯で自分の時間なんてほとんどとれない。論文‥‥どうするんだろう。 子どもが二人いるとどちらにも集中できず、どちらにも中途半端にしか関わっていないのではないか、という気がして落ち込んでしまう。でも、母親の関わりなんてこのくらいが最適で、あまり濃密すぎない方がかえって子どもの精神衛生上はいいのかもしれないとも思うけれど。 夏休みの予定を立てた。今回は長めに実家へ帰って子どもを祖父母に預けて仕事をするつもり。実際にはどこへいっても子どもの世話から解放されるわけはなく疲れて帰ってくるだけかな。暗いな。 本当は仕事のことなんて考えないで休みたいし、tomoやyouとも思いっきり遊びたい。でもこの論文には人生がかかっているから。けっしておおげさではなく。
2008年06月24日
子どもの誕生は家族にいろいろな変化をもたらす。 子ども0人から1人への変化が大きいのはもちろんのことだが、1人から2人への変化もそれなりなものがある。 まずtomoの体がとても大きく感じられる。今まで小さい、小さい、かわいい、かわいいと思っていたのが急に大人になってしまった。2週間の入院生活を経て精神的にも自立しつつある。これにはtomo自身が実際に変わった側面ももちろんあるだろうけれど、こちらの受け止め方の変化が大きいように思う。 これまではtomoだけを見てtomoだけに愛情をかればよかったけれど、これからはそうはいかない。あの最もsweetな時間は終わってしまったのだ。終わった今思えば、なんと甘美な時だったのか。(1人っ子の場合はこれがずっと続くのだろうか?)長子との関係はやっぱり特別なのだ。 だからと言ってyouのことがかわいくないわけではない。youとの関係づくりはまだこれから、という感じがするだけだ。 でもこのあたり、housanはとてもナチュラルに二人に接している気がする。
2008年06月18日
気質研究のピークはとっくにすぎたけれど、気質という概念で捉えることのできる子どもの姿というのは確かにある気がする。最近気質研究について調べたばかりなので、特にそういう目でyouを見てしまう。 tomoは、有名なトマス&チェスの気質カテゴリでいえばディフィカルトな子どもに近い。刺激に過敏だし(特に音)おっぱいも飲むのが下手だった。睡眠と覚醒のスイッチもうまくいかない。こっちも最初の子どもでどう扱ったらよいかわからないことが多かったから、なんでも二人で練習した気がする。 youの場合は、最初からおっぱいの飲み方も上手で、よく寝て、排泄も定期的で、たぶんイージーな子どもの部類に入るだろう。 でもイージーかディフィカルトかなんて分けたところで、それだけでは大した意味はない。そしてこれが気質研究がすたれていった原因のひとつかもしれないなどとも思うのだけれど、気質はあくまで子どもの側の初期値、デフォルト値にすぎなくて、そこからどんな親子関係がつくられるのか、とか、どんな性格の子どもに育つのか、なんていうことは気質だけからは予測はつかないのだ。だからたぶん気質だけを調べていてもおもしろくないのだと思う。 ディフィカルトな子どもが育てにくいとも限らないし(実際、親の実感としてはtomoは育てやすい子どもなのだ)。 ただし、子どもの気質を見極めてそれに適応していくのは、親としては必要かもしれない。 今、病院に看護科の学生さんが実習に入っていて、授乳を見せてくださいというので見せてあげたら「わぁ、飲んでる!」と感動していた。学生ってかわいいなぁ。![]()
2008年06月15日
6月11日11時01分、無事女の子を出産。2230g。 tomoよりちょっとだけ大きかった。 すごく大きな声で泣いてくれて安心した。 そしてまた術後、驚異的な早さで回復中。 開腹した次の日に歩けるヒトは珍しいのだとか。 そういえば前回は歩いたのは2日目だったな。 名前は「陽(よう)」と付けた。 tomoのときと違って今回はいろいろ迷ったけれど。 いくつかあった候補の中から決定。 人類にとって太陽がなくてはならないように、ひととひとを繋げる、そんな人になってほしいと思う。 tomoはお姉ちゃんになった。 ここ何日かで本当に大人びたと思う。 いろいろ考えているのかな。
2008年05月13日
新人の誕生日が決まった。 6月11日。 手術なのであらかじめ予定を立てられるという点ではよいが、やはり通常分娩のイベント性にはあこがれる。2回も帝王切開だと次も(あるかどうかわからないけれど)きっと手術なのだろうな。そう考えると通常分娩にますますあこがれてしまうのだ。 出産に関しての緊張感はない。 2回目だからどのようになるのかはもうわかっているし、医者を信頼してもいるし、実際その場面になったら自分にできることは何もないのだ。痛みすらない。 手術後しばらく動けないのだけが辛いと言えば辛い。 ただし今回はtomoのことが気がかりだ。 ほとんどのことはことばで説明してわかるようになってきているので、わたしが入院している間もきっと普段通り過ごせるだろう。でもその分、我慢させすぎてしまうのではないか、という点が心配だ。 tomoが大人の辛いカレーを無我夢中で食べてしまったことを思い出す。 某集会で保育を頼んだときのこと。 4歳児・5歳児と1歳児2人に挟まれて2歳児はtomoひとりだけという年齢構成だった。上の子たちにはついていけないし、下の子たちとはあそびが合わないし、で思い通りにならないことが多かったのだと思う。昼は親と一緒に食べたのだが、tomoはママにぴったりくっついて、子どもにしては相当辛いカレーライスをひとりでばくばく食べた。ああ、我慢していたんだな、と思った。ことばには出さないけれど子どもって結構がんばっている。そんな様子を見ると親としては切なくなるのだ。 とはいえ入院しないわけにもいかないので、まぁ今回もがんばってもらうしかないのだけれども。 34週をすぎてお腹がだいぶ下がってきた。 機動力がかなり落ちている。 ちょっとのことですぐに疲れてしまうから休み休みだけれど、地道に仕事をこなしていこう。 あー原稿の締切が‥‥。
2008年02月21日
昨日は保育園の学習会でS先生のお話を聞いた。 何も準備しないで聞くだけなんて、なんて楽なのだろう!というのはさておき。 子育ては第2子が産まれると、ややこしくなる。 第1子は「本妻さん」。そこに突然「2号さん」が現れたら本妻はどんな気持ちになるだろう? こういうたとえ話はおもしろい。 そして、それはまさに今のtomoの状況だ。 ママを独占するのに必死で、パパすらライバル扱い。 わたしとママの二人きりの時間をじゃましないで!と言わんばかりだ。 先日も パパ「パパはtomoちゃんのこと大好きだよ」 tomo「ともちゃんママ好き。パパいらない。」 パパが傷ついたのは言うまでもない‥‥。 いくらなんでもちょっとひどすぎなのでは? 最近の青少年の現状(例えば、ニートや不登校、少年犯罪など)の原因をテレビやゲームといったメディアのせいにして終わり、というのは単純過ぎると思う。一方で、テレビがゲームが今子どもをダメにしているんですよ、という言説を信じて動いている人々がいるということは事実だ。 生活レベルの小さな言説を脱構築したとか言ってよろこんでいても進展はない。脱構築屋さんには、眼から鱗のもっとデッカイものをぶっこわしてほしいものだ。
2008年02月06日
今、清家竜介「フランクフルト学派の批判理論」(仲正昌樹ほか著『現代思想入門:グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』PHP)を読んでいる。そこでは、ハーバーマスが、フランクフルト学派第一世代が乗り越えられなかった「主観・客観図式」をいかに乗り越えようとしたかについて説明されている。ここでいう「主観・客観図式」とは、巨大な自己反省する主観、つまり理性が客観である自然を表象し、それに働きかけることで目的合理的に利用していくという理論モデルのことである。 理性がいかに自然(身体)を統制していくか。 実はこれは2歳児の発達課題なのではないかと思う。 乳児は身体的情動や欲望をことばという理性によってコントロールすることで幼児になってゆく。 今朝のtomo。 母が先に起きていなくなった布団の中で夢うつつに母を捜して動いているうちに頭をベッドの柵にぶつけてしまった。ぶつけて頭が痛かったのと母が自分をおいて行ってしまったことに対して泣いて激しく訴えた。「ママがいなくなったからわたしが頭をぶつけて痛かったんだ」と。 そんなこと言われてもこちらとしては、早起きでもして準備をしなければ朝ご飯も食べられないし保育園にも行けないし、困るのはあなただよ、と言いたいのだけれど、それはさておき。 ここ何日かは、激しい怒りにとらわれるともう自分でも何を言っているのかわからなくなり相手のことばも耳に入らない状態になってしまっていたtomoだったが、今朝は母が「わかったよ。ママがいなかったから頭ごんごんしていやだったんだね」と言うとスッと気持ちがおさまったようだ。そしてそこから自分で泣くのをやめていくことができた。情動をことばで表象することで方向転換させたのだ。 これは理性が身体を統制する、その未発達な形態なのではないか、と、ふと思った。 おそらく気質的に「あきらめること」が苦手な上に、発達上の課題も重なり、その上さらにじんたろう(仮名)が出現したという、彼女にとって今はとても苦しい時期なのだ。そんなわけで今、母を独占したい気持ちが最高潮に高まっているtomo。そんな我が子をかわいいと思う反面、そのあまりの激しさに負けてしまいそうになる。 育てる側にも理性と自然の葛藤がある。 こういうことをもう少し情緒的記述ではない方法で説明してみたい。
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