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北海道から出発してどんどん西へ向かい 2018年はついに国外へ出てしまったが また西の端へ戻ってきた。 9歳、11歳、14歳、そしてhousanと いっしょに暮らしています。 このブログでは日々のつぶやきを 公開中。
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2008年02月12日
鼻腔が開く条件を見出した。 1)湿度が高いこと 2)温度が低いこと 少なくとも私の場合はそうだ。 この2つの条件を同時に満たす環境は3つほどあると思う。 ・冬の雨の日 ・露天風呂 ・アイスを食べる 1カ月近くも鼻炎をやっていると、こういうくだらないことを発見する。 しかし今のわたしにとっては重要だ。 鼻づまりが生活に及ぼす影響は人によってさまざまらしい。かなりつまっていても全く気にしない人もいれば、生活の全ての機能が麻痺するほど甚大な影響を受ける人もいる。私の場合は後者だ。 鼻がつまるというのは、鼻水がつまっているということではない。 鼻腔内が炎症を起こして充血し腫れて隙間無くふさがってしまう、ということなのだ。 鼻炎悪化の原因は、おそらく、医者に忠告を受けたにもかかわらず、再び風邪をひいてしまったことによる。 今は鼻炎と咳のダブルパンチ状態。 上の条件から考えても、寝室は暖かくて乾燥していることが多く、また仰臥姿勢の方が鼻の通りが悪くなるので、寝るときが最も辛い。疲れているのに眠れない。 ところで最近のtomoはますますおもしろい。 父に「ママに、着替えます、って言っておいで」と言われ、母のところへ来てわざと「着替えないです」と言い、にやりと笑う。 スーパーで母がいなくなったのに気づいて「ママいないっぽい」と探し出す。 すべり台で遊んでいる途中「ローラーすべり台は楽しいなぁ!」と言う。 2歳児って本当は興味深い姿をいっぱい見せてくれる。 大変なことも多いけれど。
2008年01月29日
鼻炎をあなどってはいけない。 いや、一番あなどっていたのはわたし自身だった。 耳鼻科に処方してもらった薬をさすと一時的に楽にはなるのだが、3、4時間もするとまた鼻がつまってくる。そして目の奥から鼻の両脇、上顎にかけての顔面痛が発生、さらには首筋までも痛くなってくる。匂いも味もしないのでもちろん食欲もなくなる。特に夜になると症状がひどくなるので、ぐっすり眠れず体力が落ち、つわりまでもどってきた。 最悪だ。 昨日も耳鼻科に行って来た。 前回処方された薬は効果が高い分、鼻の粘膜を荒れさせてしまうので頻回に使うとよくないらしい。ということで今回はもう少し軽い点鼻薬をもらってきた。今は内服薬が使えないから外用薬と通院処置を根気強く続けるしかない。 昨日に比べると今日は少し調子がよい。 とりあえず締め切りのある仕事に手をつけた。 民間療法というのは一般に根拠無く行われていることが多いように思うが、鼻炎・蓄膿に関する民間療法も昔からあって、housanは幼い頃鼻炎を治すのに紅茶を鼻からすすれと言われたそうだ。あとは丸太のまくらで寝るとか。 いくらなんでももう少しましな方法があるのではないだろうか? わたしはこの話を聞いたとき大笑いしてしまったのだが、housanは「虐待だよ!」と憤慨していた。 子どものためとはいえ、親の権力でむちゃなことを強制してはいけないよなぁ。 鼻は実は精神活動の中心点なのではないかと思う。 鼻がつまって顔面痛が起こってくると、思考は完全に停止される。 鼻が悪い人って頭悪そう、と(本当に失礼だけれど)昔思っていたが、こういうところからきているのだろう。 ま、それは現在のわたしですが。 というわけで「鼻セレブ」である。 housanがこういうときは贅沢した方がいいよ!と言ってくれたので、高級ティッシュを買いました。 鼻セレブはカシミアより使い心地いいです。ゴマちゃんもかわいいし。 あまり落ち込まずに明るく考えた方がいいですね。
2008年01月25日
ずばり蓄膿になりました。 前回の投稿後、咳は治まったが鼻水・鼻づまりはいっこうに良くならず。 水曜日午後から顔面が痛くなり、夜中は頭痛と吐き気でほとんど眠れなかった。 チビのこともあるし、まずは産科にかかることにした。 診察の結果→急性副鼻腔炎。 胎児に問題はなし。 人生で初めて耳鼻科にかかった。 耳鼻科の診察室には細長い恐ろしそうな器械がたくさん並んでいた。 処置は悲鳴を上げそうなくらい痛かったが、終わった後はびっくりするほどすっきりした。 これが正常なんだ!鼻で息ができる!においがする! 初めてコンタクトをつけたときと同じくらい感動した。 ひどくなる前に早く耳鼻科に行けば良かったのかも知れないが、まさか風邪から鼻炎になるなんて思わないし、蓄膿なんて自分とは全く無縁の病気だと思っていた。 炎症を抑えて鼻腔を広げる薬をもらって帰ってきた。 鼻が詰まってきたらさす。 今は命の次くらいに大事な薬だ。やれやれ。
2008年01月18日
先週末の三連休はtomoが風邪をひいて寝込んでいたので、とてもつまらない休みになってしまった。 特に何かを計画していたわけではないのだが、子どもが具合悪いと家中の調子が狂う。 「ママ病」もさらにひどくなり、パパは完全に排除されていた。 近づくだけでも怒り出すってちょっとひどすぎないだろうか。 そんなtomoも昨日あたりから調子を取り戻しつつあるが、代わりにわたしが風邪をひいた。 顔前10cmの距離から咳を浴び続けていたのだから伝染らない方がおかしいというものだ。 熱はないが咳と鼻水で本当に苦しい。 土日はゆっくり休みたいが、休めないだろうな。 病院へ行って来た。薬を飲めば少しは楽になるだろうか。 ところで、バスや電車の中でよく見かけるものに女性の化粧姿がある。 非常勤先へ通うのにいつも決まった時間帯のバス・電車の乗るのだが、ほぼ毎回見かける。 同じ女性として、どのような手順で化粧をするのかには興味がある。 大学生と思われる女の子はクリームファンデーションを全面的に塗りたくった後にコンシーラー(と思われるもの)をニキビ跡にべたべた塗って終わり。 化粧の仕方ももう少し勉強した方がよさそうだ。 40台とおぼしき女性はバスの中で手早くさまざまな工程をこなしていく。 揺れるバスの中での化粧にも年季が入って熟練の技を身につけたのか。 しかし、40台にもなって公共交通機関の中で堂々と化粧をするのは、いかがなものか。 年をとれば分別がつく、というものでもないのだな、と改めて思う。 (最近では暴走老人ということばもあるくらいだし。) 化粧というのは描画や制作に似ている。 絵を描くのが上手な人はきっと化粧も上手だろう。 そういえば、tomoもこのごろ「おけしょー」なんて言って、顔にぺたぺた何かを塗るマネをする。 母のヘアバンドとチタンネックレス(肩こり予防)を首にぶら下げて「ママになっちゃったー」とうれしそう。 子どもにとっての化粧は「ママ」の象徴なのだろうな。
2008年01月07日
いつにも増して落ち着かない年明けを迎えた。 tomoは年末最後の28日朝から咳をしだし、案の定出かける当日早朝に熱を出した。 しかし7度1分では飛行機その他のチケット全てを諦める決心がつかず、とりあえず出発してみる。 が、車の中で熱はどんどん上がり、神奈川県に入ったあたりで北海道行きを断念。山梨へ向かうことにする。 tomoは熱があるのに、泣きながら「オウチ、カエラナイ、サッポロ、イク」と言い、みんなが悲しい気持ちになった。 tomoだって大好きなkanakoとパパとママと旅行に行くのをとてもとても楽しみにしていたのだ。 まだ1歳なのに。せつないなぁ。 結局12月29日から1月2日まで山梨の実家にいて、3日名古屋へ戻ってきた。 病気の子どもを抱えての旅行は本当に大変だったけれど、kanakoがいてくれたおかげで楽しいこともたくさんあった。 温泉にも行ったし。 札幌へはまた行こう。 tomoは年が明けてまた少し成長した。 何かしてもらったときに、うながされなくても「ありがとう」と言うようになった。 housanの肘とtomoの頭がぶつかったときには「パパだいじょうぶ?ともちゃんはいたくないよ」なんて言っていた。 年末に風邪薬を飲んだことを覚えていて、帰ってきてから、イヌの人形に「おくすりですよ。だいじょうぶよ、すぐなおるからね」などと言いながら薬を飲ませるマネをして遊ぶようになった(このイヌは頭が痛くなったり、腹や足から血を流したりと毎日かなりの重傷を負っている)。 子どもの成長には感心せずにいられない。 名古屋に戻ってきてからおかしな夢をたくさん見る。 わたしはいろんなことに対してとても腹を立てているようだ。 思い通りにならないことにイラついているのだろうか。 ふだんの生活の中で思い通りにならないことなど、そうはないのに。 2008年、やりたいことはたくさんある。 それとは別に生活目標として今年は「ひとにやさしく」というのを考えてみた。 自分が損するなんて思わないで周りの人に親切にしよう。 そして身近な人こそ最も大切にしよう。 Yさんの年賀状に「子どもの成長はあっと言う間でしょ。今を大切にしてあげてね」と書かれていた。 子どもの今は二度と来ないのだ。
2007年12月21日
今日はhousanの誕生日だ。 でもこういう日に限って集中講義の仕事が入っており、また明日もあるので、気持ち的にはあまり楽しくはないだろう。 とりあえず今日はプレゼントを渡しケーキを食べ、明日本格的にお祝いする。 誕生日にホールケーキは欠かせない。 housanは昨日からずっとtomoに「明日何の日か知ってる?」と聞いている。 何歳になっても誕生日は祝われる日なのだ。 今日は一日体の調子がよくなかった。 昨晩housanの集中講義の準備の手伝い(といっても実際には話を聞いていただけ)をしつつ家事をやっていたので少し寝るのが遅くなったのと、tomoが夜泣きで再び眠りにつくまでに時間がかかったのとで寝不足だったからだ。そして腹の中のチビも今日は居心地が悪そう。 みんなママに頼りすぎだよ。
2007年12月13日
12月もまだ中旬なので早い気もするが、2007年を反省したい。 まず研究の面では、投稿論文が1本掲載され新しい実験を始めたので、1歩前進というところだろうか。 しかし相変わらずその歩みは遅い。 とはいえ、焦ってもしょうがないのでまずは一歩ずつから。 仕事面では、前期はまぁまぁだった。 時間割がよかったのでhousanと話したり一緒に食事をする時間が多くとれた。 一方後期はコマ数も出かける日数も前期と変わらないのだけれど負担感が大きい。 車や電車で遠くまで行っているというのもその一因だろうが、それよりも学校の違いが大きいように思う。 とにかく授業が楽しくない。疲れる。 疲れるのは妊娠中だから、だけではない。 大学で常勤として働くことの意味を真剣に考えてしまった。 高等教育っていったい何なのだろう。 あとは教科書の原稿を2本書いた。 同じ時期に同じ内容の原稿が重なったのが辛かった。 加えて妊娠がわかったこと、それにともなってtomoが荒れたこと、 housanも同じ原稿を抱えていたことで、うちはとんでもない状況になった。 11月はいったいどうやって毎日を過ごしていたのか覚えていない。 今となっては原稿を書いてよかったと思うし、TM先生に言われたように、こういう形で自分の研究を別の角度からまとめたことは自分の力になったのだと思う。 そしてこんなふうにしてでも仕事をしなければ結局何も生み出せないのだ、とも思う。 だから仕事をくれる人には感謝しなければならない。 でも…すさんでいたなぁ…あの1カ月は。 原稿を書くのに苦労したのは自分の中にストックされている知力(?)が底をつきかけているからでもある。 今年は全く本が読めなかった。1冊もまともに読んでいないのではないか。 新しいことを考えられなくなったら研究者は終わりだ。 本が読みたい。研究会で議論したい。 今は頭の中まで乾燥しているみたいだ。 最後に生活について。 tomoは1歳からもうすぐ2歳になろうとしている。 0歳の時もそうだったけれど、とにかく寝ない子で、今でもほぼ毎日夜泣きがある。 そのおかげで、わたしも続けて眠れない体質になってしまった。 でも早寝早起きが身について、朝の時間が少しずつ使えるようになってきたのはよかったことのひとつ。 tomoにとって、わたしは母親だが、パパは友だちもしくは兄弟みたいな存在のようだ。 2人で本気になってケンカしているのを見ると、この家に大人は1人しかいないのだ、と思ってしまう今日この頃。 3人の子どもを抱える肝っ玉母ちゃんになるには、わたしはまだまだ神経が細すぎる。 あと今年中に残っている仕事は2つ。 ひとつは研究会のレポーター。これは本当に楽しい仕事だ。 もうひとつは集中講義。まぁこれも何とかなるだろう。 これらが終われば年末の旅行。 体調は気がかりだが、これを楽しみに今までがんばってきたのだから絶対行きたい。
2007年11月30日
ついに、やっと、原稿を2つ出し終わった。 この2カ月は本当に苦しかった。 つわりは相変わらず続いている。 いろんな種類のつわりがあるようだけど、私はおそらく標準的なタイプだろう。 食後に胃がもたれて吐き気がする。 それがずっと続いて、気持ち悪くなくなったな、と思ったら、おなかが空いている。 特に油ものと乳製品を食べた後が悪い。 コーヒーもおいしいと思えなくなってしまった。悲しい。 リンゴ酢と冷たい緑茶だけがおいしい。 tomoのときはまったくつわりがなかったから、今回は結構ダメージが大きい。 しかしまぁ、ともかく出せてよかった‥‥。
2007年09月18日
9月16日に35歳の誕生日を迎えた。 前日は何年かぶりで旧友に会い、当日はハンニバルで家族と食事をした。 たくさんの人におめでとうと言ってもらい(もちろんtomoにも)チュニジア風のケーキを食べた。 すてきな誕生日だったと思う。 誕生日を迎える前に、35歳か、と思ったとき漠然とした不安を感じた。 それはたぶん選択肢が狭まることに対する不安だったのだと思う。 若いときにはこれがダメなら違う道もあると思えた。 実際に違う道に進むかどうかは別にして、他に選びうる可能性があるとどこかで思えることで何事も思い切りやってこれたように思う。 でも35歳という年齢は、今やっていることをやめて一から新しく何かを始めるには、遅すぎる。 houさんと、もし今子どもがいなかったら、という話をした。 夫婦共働きならお金も時間も十分にあるだろう。 海外旅行にばんばん行き、衣食住で贅沢をする。そんな生活をしているのではないか。 自分はそういう生活を望むだろうか。 今はとにかく時間がない。全ての行動が自分の思い通りにいかない。 それでもtomoのいない生活は考えられない。 どういうふうに生きたいのかは年をとってからではなく、むしろ若いときにもっと考えるべきなのではないか。 でも若すぎると自分の行動の意味がよくわからない。 無限の可能性があるように見えても現実にできることは少ないものだ。 そして年を経るほどにその可能性はますます少なくなっていく。 しかしそれはけっして悲しいことではない。 ひとつの道を深く生きることは豊かなことだと思うから。 もっとはっきり人生のVisionを描いてよい、そして現実的に描くことのできる年齢になったのだと思う。
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