カレンダー

プロフィール

北海道から出発してどんどん西へ向かい 2018年はついに国外へ出てしまったが また西の端へ戻ってきた。 9歳、11歳、14歳、そしてhousanと いっしょに暮らしています。 このブログでは日々のつぶやきを 公開中。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

メタ読み

2007年05月28日

東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生:動物化するポストモダン2」講談社現代新書 1883 読了。

「オタク」がどのような志向(嗜好)性をもつ人々なのかはいまいちよくわからないし、この本で紹介されている小説もゲームもひとつも知らなかったが、そのことは措いておいても、現代(日本)社会の潮流を考える上でのヒントが得られる。

私たちの世代(30代前半より下の世代)は、目の前に提示されたモノをそのままの意味で受け取ることはしないし、できない。
必ずメタ読みしてしまうのだ。
「徹底的に原因を究明してほしいですね」ということばにも、それはその通りなのだけど…とそこに言外の意味を読み取ってしまう。ベタな言説にうさんくささを感じてしまう。
そうして「真意」を探るためにメタ読みのメタ読みのメタ読み…と無限後退することに疲れ果て、それでもなお相手と何かを共有したいと願うとき、人々は身体性に回帰してしまう。「泣ける」「笑える」というレベルでしか私たちはもはや共通理解を得ることはできないのだ。

このような説明は決して新しいものではないが、このポストモダン的傾向を現代の「物語」消費の現状において見出した点が興味深かった。
複数のありえる可能性の中でその一つを選択するということは、残りの可能性を見捨てることである。このように考えることができるのは、主体が現実をメタの視点から眺めているからだ。
「選択することの痛みを引き受けよ」「選択を拒否し永遠の幻想を生きることの肯定」「選択による痛みを受け入れつつ瞬間瞬間の生に永遠の幻想を見出す」などが現代の「物語」の主題になっているという。

このような精神構造を直接、現実の社会現象(ニートとか)に結びつけるのはあまりに短絡的だと思うけれど。
しかし現代を自覚的に生きるのは苦しいなぁ。


post by mou3

12:37

コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

kato

Re:メタ読み

2007/05/29 10:39

最近、いろんなとこで何かと話題になってますが、宇野常寛「ゼロ世代の想像力」という連載がSFマガジンではじまりました。 まぁ端的に言ってしまえば、第1回目は東批判です。 この人、まだ20代半ばです。すでに私たち世代も批判されるようになったという意味で記念すべき論文です!

mou

Re:メタ読み

2007/05/31 10:41

そーですかー。自分がいつまでも「若手」でいられるわけじゃないんだよねと最近とみに思います。 今、ずっとまえにkatoくんが紹介してくれた、立花隆の「中核vs革マル」を読んでいます。70年代の思想的雰囲気がよくわかります。 ここらへんから現代までの間に何が変わってきたのか、とか考えてみたいです。

コメントする