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2011年02月07日

相撲のある国日本

大相撲がまた新たな問題を抱えています。
この影響で春場所の中止も決定、残念なことです。

今朝の北海道新聞3面はその大半、
記事のすべてと社説の半分が大相撲です。

その社説が、不正は微塵も許すまいとの正義感に満ち溢れた強い論調に終始している一方で、
記事の中にあるスポーツライター玉木正之氏のコメント。

「日本にとっての相撲を問え」との大きな見出しとともに、

 ・大相撲は「神事」「興行」「格闘技(スポーツ)」の三つの要素から成り立っているイベント。
 ・この三本柱が、揺れながらもバランスを保ち、修正しながら歴史を重ねてきたのが大相撲。
 ・今回の事件は、十両下位の関取が無給の幕下に落ちるのを回避するための「互助会的取引」だった。
 ・昔から、千秋楽を7勝7敗で迎えた力士の勝率が高いのも「人情相撲」として角界や好角家から容認されていたものだった。
 ・そのような「阿吽の呼吸」も含めて大相撲だった。
 ・「人情相撲」までが否定されればそれはもはや大相撲とは呼べない無粋で味気ない、ただの格闘技に堕してしまう。
 
 そして最後に、
 日本と日本人と日本文化にとって、相撲とは「何か」「どうあるべきか」を徹底的に考え直す必要があるだろう。
と、締めくくっています。

マスコミや世間が騒ぎたてる中、玉木氏も是認するわけではないと言いつつ、このような記述をしています。

なんでしょうね。
玉木氏は「阿吽の呼吸」と言っています。「人情」とも言っています。
曖昧模糊とか、玉虫色、グレーゾーンとか。知らなくても良いこととか。
僕らが子どもの頃だって「人情相撲」はあった(と思われる)し、
実際、子どもが見ていたってわかりましたよね、
「ああ、この取組はこっちが勝つな」って。
それも含めて、楽しんでいたし、それが大相撲でした。

誰かが言っていましたよ、
「大相撲は、興行とスポーツの間に存在する」って。

 社説では、強い論調で「全容解明」を求めていますが、全容解明をしたところで誰が幸せになるというのでしょうね。正義を振りかざして全容解明したところで、皆が不幸になるのならそれは正義とは言えないんじゃないかな。

玉木氏は「相撲」の在り方を問う必要があるとしていますが、僕は「相撲」を通して、日本人、日本文化、日本そのものが問われているような気がしてなりません。

posted by kabao |19:59 | Sports | コメント(3) | トラックバック(1)

2011年02月07日

雪まつり会場にて

福袋に開店前から列ができたそうです。

もちろん今日の分は完売。

僕はドライマフラーを買いました。

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posted by ken1973 |18:00 | Portable phone | コメント(0) | トラックバック(0)