2020年12月05日
引退、そのドラマ
この記事は北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2020に参加しています 12/1から日々沢山のコンサドーレサポの方々がそれぞれの思いを記事にしていますので是非ご覧下さいね! また、当ブログは コンサドーレ札幌サポーターズブログ note とで運営しています。内容はどちらも同じなので是非閲覧下さい! 今年のアドベントカレンダー、本日12/5の枠を取りました。 何を書こうかなー? 12/5かー。ダイナマイトキッドの誕生日でもあり命日でもあるな。 昭和プロレスに絡めて何か書こうか? と思ってた先週末から状況が変わりましたね。 「引退」という言葉も目にしましたし。 そうそう、ダイナマイトキッドは身体ボロボロになってフェードアウトして他界しちゃったんですよね。 なので「引退」出来る事は幸せな事なのかも知れませんね。
その日、石川直樹は練習を終え、汗を流す為に風呂に浸かっていた。 冬間近の札幌とは言え、身体を動かせば汗を掻く。 汗を掻いたなら風呂で洗い流す。 何年も過ごしてきた石川の日常だ。 風呂には早坂がいた。 石川は「この男になら」と声を掛けた。 「今年で引退する事にした。監督にはこれから伝える」と。 同じ歳の早坂なら受け入れてくれる。そう思って最初に伝えたのだった。 しかし、返って来た答えは以外なものだった。 「実は俺もそのつもりで考えていた」 男の人生なんで3日先どころか数秒先がわからない。 支えるべきベテランが2名もクラブから去ろうと決めていたのだった。 あの日の事だ。 「なぁ、ナオキよ。お前の役割はわかっているな?相手は1人退場した。ここから15分押さえれば俺達はタイトルを手にする事が出来る。その為にお前をピッチへ送り出すんだ。笛が鳴った時、ピッチに大の字になって喜びを爆発させて来い!」 福森のFKで3-2とリードした延長後半。 そう送り出されたにも拘わらず、3分後にバタバタと同点ゴールを奪われた。 辛うじて同点のまま延長を終えPK戦。 5人目に出番が回ってきた。 直前で相手が外し、これを決めさえすれば、という場面にたったのだ。 こんな場面に立てるだなんて。 決めさえすれば目の前に集まる大観衆を黙らせる事が出来る。 うなる思いである。 だが、男の人生なんて思いを込めたシュートが数メートル先のゴールに届くか分からない。 石川は振り返る。 「あの時は皆に合わせる顔が無くて。荷物纏めて柏に帰って珍来でラーメンでも茹でてろ!なんてミシャに叱責されるんじゃないかとビクビクしてました。でもそんな事は無くて…。あぁ、俺はこのクラブの為にまだまだやらなければ!と思ったんです。」 しかし、理想と現実は乖離しており、思う様に動かなくなってきていた。 「100%でやる」事が出来なくなっていたのだ。 もしかしたらあのPKも無意識の内に100%の自分で蹴る事が出来なかったのかも知れない。 だがその人柄は皆に愛され、PK失敗もネタとして昇華される様になっていた。 誰も恨んでなどいなかったのだ。 初のメジャータイトルに繋がるPKを失敗したものの、皆に愛されながら選手生活を終える事が出来たのは北海道コンサドーレ札幌史上、石川直樹ただ1人である。 石川直樹 現役引退 順調にプロサッカー選手になった訳ではない。 大学を出た後、車を作りながらサッカーを続けた。 夢はあったが叶うかどうかわからない だが、男の人生なんでネジ1本締めた先に何が待っているかなんてわからない。 産まれた街からも働く街からも遠く離れた九州のJ2クラブから声が掛かった。 「ああ、ここでサッカーを続けて終えよう。家族も増えた。暮らしやすく、人々が温かく、子育てのしやすく自分を成長させてくれたこの鳥栖の街で。」 だが彼に北の果てのクラブからオファーが届いた その声に応えて彼、早坂良太は北海道コンサドーレ札幌にやって来た。 若いチームの中で彼は様々な役割を求められたが、厭う事なくやってのけた。 しかし彼は語る。 「自分は具体的なビジョンがないと努力の逆算が出来ない。自分がプロとして成功する為にどれくらい理想を立てて、それを逆算して出来るところが30歳だった。30歳を超えてからは1年1年が決断との闘いだった」と。 そんな彼が決断をした試合があった。 相手は古巣。鳥栖。 同点で迎えた残り10分。FWと交代でピッチに入った。 「やれ!」と言われたならどこでも出来る準備はして来た。 「なぁ、リョウタよ。お前の役割はわかっているな?先制はされたが追いついた。相手はお前の古巣かもしれないが、ここ数年負けていないクラブだ。その記録を続けようじゃないか!俺はお前が決めるのがふさわしいと思うぞ!」 そう監督に送り出された彼に絶好機が訪れる。 そのシュートが決まって勝ち越し!声を出す事が出来ない状況ではあるけれど、大きな拍手に迎えられるんだ! そう思ったとしても何ら不思議ではない。 だが男の人生なんでポストに当たったシュートの様にどこに落ちるかわからない。 「ああ、あれが入らないんだ。それが人生なんだ。おもしろいじゃないか!」 決めさえいれば勝てたシュートが決まらなかったのだ。 「おい!なんで決められないんだ!荷物纏めて静岡帰って車作ってろ!」なんてミシャに叱責されてしまうんじゃないかとビクビクしていたが、皆優しく迎えてくれた。 「あの日、自分の選手としての終わりは決めました。でも最後までやり抜こうとも決めたんです」 「自分の決断を自分で決めてその責任を自分で取るという事を自分の人生のテーマにして来た」と彼は語る。 「年齢が上の僕はチームがうまく行っている時は出る必要がない。若い選手を使うのはクラブにとって正しい事だから。ただ、長いシーズンの中で必ず訪れる苦しい時。その時に向けて仕事をするのが自分の役割。それに向けて常に準備をしています。」とも。 自分の事は自分で決めるとの思いは内に秘め、ピッチに立てばチームの為に身を粉にして駆け回る選手は北海道コンサドーレ札幌史上、早坂良太ただ1人である。
「引退」という事でこんな本がありまして。 近藤唯之というプロ野球関連の作品を多く出してノンフィクション作家の本です。今はもう書いていない様ですが。 この人の文体が独特でして。「近藤節」なんて呼ばれたりして。 「うなる思いである」 「男の人生なんて3日先がわからない」 「〜をしたのは、プロ野球史上○○ただ一人である」 というような一定の表現が頻出するという特徴があります。 ミスをして監督に「荷物纏めて~へ帰れ!」と叱責されると思ったら優しく迎えてもらい、「このチームの為なら」と奮い立つ流れも定番ですねぇw 一方で近藤は現場取材をせず、「美談は創作したって構わない」というスタンスから記者仲間からの評判は悪かったんだとか。 なので私が書いたのもほぼ創作だったりしますw 怒んないでくださいね! でも今日のセレモニーは良かったな。 しっかりと大事な戦力のまま「引退」という形で送り出せたのも良かったと思ってます。 ただまだアウェイ2試合残ってますから出番来るかもしれません。 なので大分に行かれる方、埼スタに行かれる方、彼らが出てきたら心の中で大声で「お疲れ様」と伝えて下さい!