スポンサーリンク

2012年02月05日

東ベルリン

1982年3月26日(金)、東ベルリンへ行きます。共産圏への入国は初めてです。
通常、日本人が東ドイツへ入国するのにはビザが必要ですが、西ベルリンからの日帰り観光に限り、ビザなしで入国できます。
ただし、25マルク(日本円で3000円程度)の両替(西ドイツマルクから東ドイツマルクへ)が強制されます。
しかもそのレートは銀行の1/5の極端に不利な、ぼったくりレートです。
(2000円程度の入国税だと思えば良いのでしょう)

泊まった西ベルリンのホテルをチェックアウト。
20120205-00.jpg
右は前日に知り合った名古屋工業大学の学生で、2日間行動を共にしました。 地下鉄に乗って東ベルリンへ入ることのできるフリードリッヒ通駅で降り、厳重な入国審査と強制ぼったくり両替を済ませて、晴れて入国。
20120205-01.jpg
見えているのは地上を走る鉄道のフリードリッヒ通駅。 西ベルリンと違って車の往来が少ないし、走っている車もトラバントなどのしょぼい車ばっかり。 ホーネッカーは高級車に乗っていたそうだけど。 以前紹介したことがある写真ですが、ブランデンブルク門
20120205-02.jpg
壁のあった1961年から1989年までの28年間はこういう光景でしたが、現在はもちろん、過去も往来の激しい通りだったそうです。 ベルリンテレビ塔へ行きました。
20120205-03.jpg
この写真でも、車も人も往来が少なくて活気がないのがわかると思います。活気に満ちた西ベルリンとは大違いです。 ちなみに、人が多く集まって賑やかだと思った場所があったのですが、賑わうはずです。 商店らしき店で行列しているのですから。何の行列かわからなかったけど、物を買うのに行列するのが毎度のことなのは気の毒ですよね。 ランチはテレビ塔の上にある展望レストランで食事しました。ステーキを食べ、ビールを飲んでもお金が余りました。 25東ドイツマルクは、銀行で両替したら、日本円で600円くらいなのに。(プラザ合意後は400円くらいに) このあとコッホ記念館で入館料を払い、さらにセルフのレストランに寄ることもできるほど、東ドイツの物価(というかレート)が安いので驚きました。それだけ経済力が弱いという証拠でしょう。 東欧の経済は脆弱なのは知っていましたが、東欧の中でも東ドイツは優等生だと言われていたのにこんなレベルでは、他の東欧諸国の経済力は、どんだけ弱いのか。 いかに共産経済が上手くいかないのか、容易に想像できました。 ちなみに、コッホ記念館では北里柴三郎の業績が紹介されていて嬉しかったです。 ただ、ドイツ語があまりわからなかったです。大学ではドイツ語習ったのですが。 セルフのレストランでアメリカからの旅行者と親しくなったのですが、その人は「ブロイラーって何?」と聞くので、「ヤングチキン」と教えて上げました。 アメリカでブロイラーは通じないようですね。 その人、付け合わせのキャベツの浅漬け(ザワークラウト風)がとても美味しいと言っていたので、私はソーセージ(キャベツの浅漬け付き)を食べたら、確かに美味しかったです。 共産圏の体験は、とてもよかったです。1989年以降は北朝鮮など、ごく一部しか残ってないし、ビザなしで気軽に入国できないし、30年前に行っておいてよかったです。 フリードリッヒ通駅から地下鉄で西ベルリンへ戻り、夕食をとり、23:26発の夜行列車でケルンへ向かいます。 もちろん、ちゃんとキップを買いました。


posted by かもめ |07:45 | 海外旅行 | コメント(2) |

2012年02月04日

ベルリンへ

西ベルリンではほとんど写真を撮らなかったので、今日は写真はありません。

ドイツのアーヘンでモスクワ行きの列車に乗り換えたわけですが、空いていて、コンパートメントはベルリンまで貸し切り状態でした。
気楽と言えば気楽ですが、アーヘンまではサンフランシスコの人と楽しく会話していたので、ちょっと寂しい気分になりました。
それと、ちょっと不安が募ってきました。何に不安なのかと言うと、ユーレイルパスは東ヨーロッパはエリア外でした。(現在はでもポーランドやスロバキアはダメではなかったかな)
だから、ベルリンに行く際、東ドイツ内のキップを買って乗車しないといけないようなのです。
ところが、地球の歩き方に「ユーレイルパスを見せただけでフリーパスだった」との情報が載っていて、上手くいけばキップを買わずに済むと思ったのです。ドイツが分断されているから仕方なく東ドイツを通らないといけない事情から大目に見てくれるのかという気持ちからであって、無賃乗車してやろうという、ずるい気持ちはあまりなかったのですが。
アーヘンを22時くらいに出て、ケルン、デュッセルドルフ、エッセンを通り、日付が変わった頃にドルトムントを通りますが、すでに眠っていて、目が覚めたのは西ドイツと東ドイツの国境での停車で未明の4時頃。3月ですから夜明け前ですが、もの凄く明るいのです。監視塔がいくつもあり、凄い数の照明と兵隊で厳重に監視しているのです。
東西冷戦が終わる7年前で、まだベルリンの壁もあった時代ですから。
ここで降りず、西ベルリンに行くのならビザは不要ですが、キップを持ってないし、なんだか不安になってきました。
ここで列車から引きずり降ろされて収容所に収監されることはないだろうけど、銃を持った兵隊が大勢で列車を監視しているので、とても怖かったです。こんな光景は生まれて初めてですから。
20分くらいして発車しましたが、それでも不安でした。ベルリンへ行かず、列車ごと収容所へ行くのではないかと。
そうこうしているうちに車掌さんがきました。
ユーレイルパスしか持っていないと知り、たいそう怒りました。もちろん、割増運賃を払いました。
かなり怒っていたので、きっと地球の歩き方を見て、キップを買わずに乗る日本人が激増して問題になっていたのでしょう。
無事、朝7時頃にベルリンに着きました。西ベルリンの中央駅はBerlin Zoo駅という名称だけあって、駅前にベルリン動物園があります。朝食後、動物園へ行きました。
ここで初めてパンダを見ました。最近有名になったクヌートはこの動物園です。
駅前(町のど真ん中)に大規模な動物園があるのは凄いです。

東ベルリンは翌日に行くことにし、この日は西ベルリンを観光。
地下鉄が面白かったです。ここもスリリングだとは予想してなかったです。
西ベルリンが運行しているのは数路線あるのですが、そのうち2路線は始点と終点が西ベルリンですが、途中、東ベルリンを通るのです。
1路線の1駅だけは東ベルリン内で乗り降りができ、東西ベルリンを行き来できるのですが(もちろん出入国審査は厳重ですが)、それ以外の駅は徐行で通過するのです。
薄暗くて広告等もなく殺風景な、まるで廃墟のようなホームに監視の東ドイツの兵隊が立っている横を電車がそろりそろり通過するという、なんとも異様な光景です。もちろん、兵隊は銃を肩から下げています。
写真を撮ったら問題になるのではと心配で、写真を撮らなかったのですが、撮っておきたかったです。
この光景はベルリンの壁が崩壊する1989年秋まで続いたはずですが、この時代に見ておいたのは貴重な体験でした。
幽霊駅とも言われていましたが、こちらに詳しく書かれています。

posted by かもめ |20:05 | 海外旅行 | コメント(0) |

2012年02月03日

パリ市内観光第2日目

1982年3月24日(水)、晩の夜行列車でベルリンへ向かうため、日中はパリ観光しました。

まずはルーブル美術館へ。これが問題の写真。
20120203-00.jpg
ストロボを焚かないつもりが発光してしまい、ひどく怒られてしまいました。 ここは1日では全部見れないくらい、見る物が多かったです。 ランチは手頃なレストランへ。 ここで事件が。 近くのテーブルで食事していた30歳くらいの男性が、食べている途中で急に外へ出ました。それに気づいた店員が走って追いかけてなにやら外で言い争っていましたが、やがて男性は戻ってまた食べ始めました。 無銭飲食未遂なんでしょうか。全部食べ終わる前だから呼び止められても適当に言い訳できるという魂胆なのでしょうか。 後味の悪いランチでした。 午後は蚤の市へ。ソルボンヌの赤いトレーナーが気に入って買いましたが、ガイドブックでは値切るようにと書いてあるので値切ろうとしたら「ノンノンノンノンノンノン!!」と、おばさんが凄い剣幕で怖かったです。 もともと妥当な価格だと思ったので値切らなくてもよかったのですが、日本人は値切ろうとせずに買うカモと思われたら良くないかと思って値切ろうとしました。 ここでまた事件が。 人混みを歩いていたら、前を歩いていた青年2人組の歩きが急に遅くなったのです。2人のうち1人がウォークマンを操作し、故障したそぶり。 すると後方から歩いてきた別の青年2人が、早く歩いてくれないかという感じで迫って(接触して)来たのです。 4人に挟まれてしまったわけです。 私は何か嫌な感じがして横に避難し、友人にも促したのですが、すでに友人のショルダーバッグのファスナーが開いていました。 バッグにはカメラが入っていたくらいで、財布は入れてなかったせいか、何も盗られないですみました。 私と同じくらい(当時私は22歳)の年齢の4人組でした。 危ない思いをしました。 憧れの花の都パリの現実です。 そういえば、歩道は犬の糞だらけでしたが、その後、パリ市は清掃に力を入れていると聞きましたがどうなんでしょうか。 飼い主の意識が変わらないとダメという気がしますが、変わっているでしょうか? 最後に下水道博物館へ。当然、博物館は地下にあります。 レ・ミゼラブルでジャンバルジャンが下水道を走って逃げるシーンがありますが、パリでは下水道網が古くから発達しています。パリの電線が地中化しているのも下水道網のおかげだそうです。 市内観光を終え、パリで最後の仕事。 今回の旅行の最後はロンドンですが、ユーレイルパスではドーバー海峡の船やイギリス国鉄には乗れないので、キップを購入する必要がありますが、事前に学割で買いたいので旅行代理店へ行きました。 今後の行程だと、ベルギーのオステンドからドーバーまで船に乗るのが便利なのですが、フランスの旅行代理店でベルギーからイギリスへのチケットを購入できるのかわかりませんが、ダメ元で窓口のパリジェンヌに聞いたら、This is France と言われてしまいました。やっぱりねぇ。あっ、でも珍しくフランス人が英語しゃべってくれたので、少し嬉しかったです。 ダメだったときはフランスのダンケルクからドーバーへ渡るのを考えていたので、ダンケルク→ドーバー→ロンドンのチケットを買いました。 おかげで数日後に列車乗り換えのため、またもパリに寄ることになりました。 パリ北駅(Paris Nord)の周辺には、殻付きの生牡蛎を売っている店が軒を連ねていました。釧路や函館なら、駅そばで海産物売っていますが、少し内陸のパリでも売っているとは、フランス人は牡蛎が好きなんでしょう。 パリ北駅17:10発のコペンハーゲン行に乗りました。 本当は同じ時刻発のモスクワ行に乗るはずでしたが、列車がありません。 コペンハーゲン行にモスクワ行が併結されているのかと思ったけど、端から端まで車両を調べてもベルリン方面へ行く車両がありません。 じゃあ、ベルリンは諦めてスウェーデン方面でも良いかな? なんて思って乗りました。 時刻表を見ると、ベルギーのオステンド発モスクワ行に、ドイツのアーヘンから乗り換えができることがわかり、そうしようと思いましたが、時刻表を信じていいのかちょっと不安でした。 あとでわかったのですが、季節によってパリ発モスクワ行は17:10から16:20に繰り上がるようでした。 1日パリ観光をし、いろいろと事件もあり、さらにモスクワ行の列車がないなどであたふたして疲れてます。
20120203-01.jpg
最初はコンパートメントに私と友人だけでしたが、途中で満員になりましたが、ベルギーに入ったあたりでは私と友人と、サンフランシスコで眼鏡店をやっているというご夫婦との4人になり、会話が弾みました。英語が通じるのはありがたいです。 とても真面目なご主人で、時事問題なども話題になりましたが、政教分離の話は難しかったです。結局、彼は政教分離が良いのか悪いのか、私の英語力ではわからなかったです。 ご夫婦は終点のコペンハーゲンから乗り換えてスウェーデンへ行かれるとのこと。 で、私と友人はベルリンに行くので、ドイツに入ってすぐのアーヘンで乗り換えです。 本当にベルリンへ行く列車に乗り換えできるのか不安でしたが、サンフランシスコの人がドイツ語ができるため、ドイツ人車掌に聞いてくれ、間違いないと教えてくれました。 オステンド発モスクワ行の列車ですが、ソ連は線路幅が違うので、座席車と食堂車はワルシャワ止まりで、寝台車はソ連国境で2時間停車して台車を交換してモスクワまで行くという凄い(?)列車です。 初めて行く共産圏。想像の100倍スリリングでした。明日紹介します。


posted by かもめ |15:08 | 海外旅行 | コメント(5) |

2012年02月03日

士別は-27.9度

今朝の最低気温の1位は歌登で-32.6度。士別は第8位で-27.9度でした。

ところで、こんなに雪降っても、秋春制にしたいと思っているのだろうか。
各地の9時現在の積雪量は、
札幌市 63cm
山形市 83cm
新潟市 36cm
富山市 60cm
鳥取市 60cm

秋春制論者は今、これらのスタジアムや練習場を見に行ってほしいですね。

posted by かもめ |11:04 | その他・分類不能 | コメント(0) |

2012年02月02日

パリ市内観光第1日目

パリでは2日間、市内観光しました。
1982年3月23日(火)、まずはメトロとバスを乗り継いでル・ブルジュ空港へ向かいます。
フランス語がわからないと、バスに乗るのは少し戸惑いがあります。乗るバスを間違えないか、降りる場所を間違いないかはまだ良いのですが、運賃支払いがわかりにくいのです。
カルネという10枚綴りの回数券を購入し、距離に応じた枚数を運賃箱に入れる方法で、下車するときに6枚入れたのですが、どうも3枚でよかったような気がしました。
パリ市の財政に貢献して無事目的地に着きました。
ブルジュ空港はパリで最も古い空港で、定期便は飛んでいませんが、航空ショーをやる空港として有名です。リンドバーグが大西洋横断したとき、パリに降りたのもこの空港でした。
ここにある航空宇宙博物館に行きたかったのです。
20120202-00.jpg
20120202-01.jpg
モンマルトルの丘はパリらしいですね。
20120202-02.jpg
20120202-09.jpg
20120202-04.jpg
セーヌ河畔を歩いてみました。
20120202-05.jpg
こんびにさんのこの写真と全く同じ場所から撮った写真に笑ってしまいました。
20120202-06.jpg
こんびにさんは電車を入れてますが、私は遊覧船を入れました。 晩ご飯はベトナム街へ行ってベトナム料理を食べるはずだったのですが、ベトナム街を探しているうちに良さそうなタイ料理の店があったので、そこにしました。良かったです。 日本製の電器炊飯器がありました。 帰りはメトロに乗らず、ホテルまで歩いたのですが、途中にノートルダムがありました。
20120202-07.jpg


posted by かもめ |10:51 | 海外旅行 | コメント(2) |

2012年02月01日

シャモニー・モンブランとTGV

1982年3月22日(月)、シャモニーのホテルをチェックアウトして、モンブランのロープウェイに乗ります。
20120201-00.jpg
フランス国鉄の駅です。ロープウェイ駅まで徒歩10分くらいだったと思います。 シャモニーの駅や町中には日本人の姿は見かけなかったのに、どこから湧いてきたのか、ロープウェイの駅は日本人の団体で超満員でした。 乗車までかなり長時間並びました。 ときどき駅員さんが「マエエ~」と、大声で日本語みたいな言葉をしゃべっていたのですが、やはり日本語なんでしょう (笑 モンブランに興味があったのは、第1回冬季オリンピックが開催された地だということと、私が行く少し前に両親がロープウェイに乗った話を聞いていたこともあります。 ちなみに母が高山病で具合悪くなって下山時は優先乗車だったそうです。 ロープウェイの終点。
20120201-01.jpg
寒くてふるえています。ここの標高は3842m。富士山頂よりも高いです。
20120201-02.jpg
モンブラン山頂はここより1000メートルくらい上の4810m。西ヨーロッパ最高峰です。 (コーカサスはヨーロッパではないとして、モンブランがヨーロッパ最高峰だという考えもありますが)
20120201-03.jpg
山頂のあちら側はイタリアです。10kmくらい左はスイスです。 スキーヤーなんでしょうか、稜線にたくさん人がいました。
20120201-04.jpg
シャモニーからジュネーブまで移動しましたが、列車でシャモニー・ジュネーブ間を移動する人はほとんどいないようで、スイス国境からは1両だけで、しかも他に乗っていたのは日本人数人だけ。 そんな路線だから、95kmを3時間もかかりました。そういうところをのんびり行くのも悪くありません。 終点のジュネーブも、TGVが発着する駅ではなく、町はずれの小さな小さな駅で、本当にここがジュネーブ?と心配していたら駅員さんが乗ってきて、なにやらフランス語で言うのですが、きっと「終点だけど、折り返すのか?」と言っていると思ったのですが、それをフランス語で確認するだけ私はフランス語はしゃべれないのですが、とっさに「フィニッシュ?」と言うと、駅員さんも「フィニッシュ!!」。他の日本人も私に続いて下車しました。 ちなみに、競技等でゴール地点に到達することを「ゴール」というよりも欧州では「フィニッシュ」の方が通じると聞いていたからです。 「ゴール」というとあちらの人は得点を連想するかも知れませんね。 ジュネーブからパリ・リヨン駅まであこがれのTGVに乗りました。 開業して半年くらいだったので、最高時速は260kmでしたが、翌年に270kmになりました。
20120201-05.jpg
20120201-06.jpg
中間車は連接台車です。
20120201-07.jpg
よく、「両端が機関車で中間が客車」といいますが、一番機関車よりの客車の台車(写真中央)にもモーターが付いています。 なお、2階建てのは中間台車(連接台車)の一部にもモーターが付いているし、開発中の新型車は全軸駆動軸だそうです。
20120201-08.jpg
初期の東北新幹線と同様、座席は回転しないので、中央に向かってお見合いの座席配置です。(東北新幹線は反対に背中合わせ)。 ちょうど中央の席だったので、向かい合わせ4人の場所になり、半固定式テーブルが付いています。広げるとこの2倍の面積になります。 食堂車はなく、飛行機のように座席に食事を運ぶ方式のミールサービスがあります。 機内食のように、温めるだけで出すのかと思うような食事で、ちょっといまいちでした。食器もまるで機内食ですから。 デザート(ケーキ)がいるかどうか聞かれたのですが、別料金なら不要と言いたかったけどフランス語がわからないこともあって注文しました。 激甘ケーキだったので、やっぱり断ればよかった。 無事、パリに着きました。 パリは物価が高いので安いホテルにしようと思い、すぐに安宿が見つかりました。


posted by かもめ |12:27 | 海外旅行 | コメント(0) |

前へ