2017年04月28日
埼玉遠征記・東武博物館
東武博物館の展示物で、1899年の東武鉄道開業に合わせて輸入した1898年イギリス製のSLです。1965年まで使っていたそうです。連結器は輸入当初のに復元されていますが、自動連結器のままでもよかった気もするけど、イギリスから見に来た人にはこの方が良いでしょう。1924年の電化の際に導入した電車。国産だけどパンタグラフや電機装置、台車などはアメリカ製。1981年まで使いました。日光に路面電車が走っていて東武日光軌道線の名称で1968年廃止。その車両が保存されています。連接車です。前橋・高崎から渋川を通って伊香保まで路面電車が走っていましたが、距離が長いから時間がかかり、営業上不利ですよね。館内にこのアングルからウォッチングできる場所があります。左下はロングレールのつなぎ目で、この写真ではよくわかりませんが、実際はロングレールの構造がよくわかるようになっています。私が子どものころ、よく図鑑に載っていた車両です。とてもあこがれていたけど、北海道に住む子どもにとっては高嶺の花と言うか、遠い存在でしたね。さて、ようやく東向島から埼玉を目指すため列車を待ちます。おっと、リバティーじゃないか。前日(4月21日)に就役したばかりのピカピカの車両です。 26年ぶりの東武特急新型車両です。 JR北海道のSLが東武鉄道に貸し出されて、まもなく営業運転が始まりますが、すでにグッズが売られています。写真は北千住駅キオスクで販売されているものです。JR北海道は商売が下手だったかも。北千住駅のホームですが、この表示は良いですね。札幌の地下鉄は乗る人がドアの前に群がって、降りる人が降りにくいですからね。ホームドアができてからはある程度良くなったけど。北千住で急行に乗り換え、越谷をめざしますがこの車両、前面展望がほとんどないではありませんか。欠陥車です。東武新越谷駅で下車し、JR南越谷駅(隣接しているけど駅名が違う)で武蔵野線に乗り換えますが、東武新越谷駅の高架が、すごく高い位置でびっくりしました。中央が武蔵野線。それもそのはずで、当初は東武が高架ではなく、武蔵野線を建設する際、東武線をまたぐために高架で武蔵野線を建設したのですが、その後東武が高架化をするとき、高架の武蔵野線の上を通すために高い高架になったのです。 東川口で武蔵野線から埼玉高速鉄道に乗り換えます。あと1駅です。いよいよスタジアムが近づいてきました。東川口にはかつて寝台特急北斗星で使っていた食堂車をレストランとして営業している施設があるので行きたかったけど、またの機会にしました。
posted by かもめ |09:05 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |