2016年12月06日
オオドサの想い出・その9
私は参加していませんが、5月28日のドーム山口戦のあと、タイプB会があって、10名ほどで楽しく歓談できたようで、4月23日のアウェイドールズの飲み会と同様、兄は大満足だったようです。 このような機会をいただけて、とても感謝しています。 タイプB会の3日後には松本へ飛び、アルウィン遠征だったので、体調が心配でしたが、このときはまだ平気だったようです。 8月14日からいよいよ悪くなり、入退院を繰り返し、9月10日に私がお刺身とタラのムニエルなどを作ったのと、9月24日に焼き牡蠣、うつぼのたたき、鮎の甘露煮などの夕餉が最後となってしまいました。 鮎の甘露煮。(私が熊本で買ったもの)うつぼのたたき。(私が徳島で買ったもの)焼き牡蠣。9月24日は、食事中に具合が悪くなり、全部食べないうちに食事を終え、酒もあまり飲まなかったです。ワインをボトル1/4くらいだけでした。 普段、ボトル2/3くらい飲んで、「飲みすぎだからもうやめなさい」と言うと、「じゃああと1杯だけ」と言って、結局8割くらい飲むのですが、沢山飲むのも心配だけど、こんなに少ししか飲まないのも心配でした。 翌日もあまり食べることができず、26日から入院して、二度と自宅に帰らなかったので(骨になって帰ったので)これが最後の御馳走になりました。 この食事のあと、自宅アパートへ送ったのですが、エレベータのない4階で、私が支えながらでしたが、自分で階段を上がることができました。 でも、そのあと急激に悪化し、26日から入院したのですが、9月30日に引っ越しの予定がありました。 9月29日に引っ越しの準備をしたいので、どうしてもアパートまで行くと言い、入院中の病院から外出してアパートへ行ったものの、歩いて階段を上がることができず、私が抱きかかえて苦労して上りました。 重かった! 4階までたどり着いて、処分するものと運ぶものの選別などをやったのですが、今度は降りるのが困難、というか、体調も悪くなって、救急車を呼んで病院まで搬送してもらう羽目になりました。 このあと、11月18日まで病院を出ることはなかったです。 ところで、多くのコンササポと親しくなれたのも、オフィシャルブログがあるおかげですから、このブログシステムにも感謝しています。 兄は、死んだらブログを閉じてと言って、私にIDとパスワードを教えましたが、閉じる必要はないと思います。 いつでも兄のことを思い出して見れるよう、このまま残しておきたいと思います。