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2016年12月01日

オオドサの想い出・その5

2011年は震災はあったものの、兄は仕事もコンサ観戦も調子良く、室蘭も函館も日曜開催だったので、全ホームゲームに参戦し、コンサは昇格を決めることができた、良い年でした。

兄は貧乏生活なので、アウェイゲームになんか行けるわけないのですが、私が負担して、10月22日の鳥取に遠征しました。こちらで紹介しています。

遠征だけが目的でなく、関西に友人が多いので、友人に会う楽しみもあります。

短い日程もあって、猪が近所に出没する神戸の友人にしか会うことができませんでしたが、とても有意義な旅でした。 試合は負けてしまいましたが・・

室蘭遠征も楽しかったし(横浜に負けたのはおいといて)、函館遠征は美味しいそばを食べたり、路面電車のハイカラ号に乗ったり、温泉に泊まったりと、とても楽しかったです。

4万人近く入った12月3日のFC東京戦は、兄が最も興奮した試合だったと思います。

この年は18回、兄と試合観戦をし、22回、ディナーを楽しむことができました。コンサは昇格できたし、貧乏でも楽しい時期だったと思います。

このころから発病する2014年夏までが最も充実したコンササポ人生だったと思います。

まとめると、
第1ステージ 2009年7月から約1年間の就活の時期

第2ステージ 2010年6月から4年ちょっとの安定期

第3ステージ 2014年8月から2年3か月の病気療養期

トータルで7年4か月ほど、大阪から戻って札幌で生活したことになりますが、あっという間に感じます。

2012年も豪華おせち。
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正月早々、元旦から兄と一緒に東京へ行きました。 私が義妹の車をもらうため、東京に取りに行ったのですが、兄も同行したのです。 せっかく車を東京から北海道へ運ぶのですから、ついでに兄に東北の旅をさせてあげようと思ったのです。 昼の飛行機で東京へ行き、荻窪で車をもらって即刻、石巻まで移動しました。 石巻に兄の大学の同級生がいて、震災被害にあったので、見舞いをかねて会いに行ったのです。 翌日、三陸の被災地を巡って秋田まで移動しました。 そのときの様子はこちらをご覧ください。 秋田からフェリーで苫小牧に着き、3日に札幌に着きました。 兄に生の被災地を見せることができてよかったと思います。 2012年も兄はホームゲーム全試合見たと思います。J1のこの年は負けてばかりでしたが・・ お盆にドームで日本代表のベネズエラ戦を見たのも良い想い出です。 この年は私の引っ越しもあったりで、兄と試合観戦したのは13回にとどまり、17回しかディナーにできませんでしたが、楽しい日々を送ったと思います。 2013年も正月は恒例の豪華おせちで年が明けました。 おせちは廉価版にして、かわりにアワビやカニなどで豪華にしました。
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でも、実は2012年12月30日の晩、遅い時間に問題が発生しました。 22時ころ、兄から電話があって、腹痛がひどいとのこと。 救急車を呼んで病院で診てもらったら、原因は単なる腸の蠕動運動が亢進しているだけとか。 31日の朝には症状も落ち着き、予定通り大晦日の夕方恒例の豪華おせちにありつくことができました。 再発防止に(あるいは再発したときのため)、漢方の桂枝加芍薬湯を兄に上げましたが、それ以来、しばらく特に問題はありませんでしたが、今になって思うと、大腸がんの影響なのかも知れません。 この年は長女が北広島の大学に進学で千葉から戻ったので、観戦や食事のときの人数が増えたこともあって、より楽しくなりました。 私は娘のところに泊まる機会が多くなり、兄と宴会をする機会は減り、11回に留まりますが、一緒にコンサ観戦したのは17回もあり、ランチを一緒に食べる機会は多かったし、姪っ子(私の娘)が兄のところに泊まったりで楽しい日々でした。 でも、コンサの順位は8位で、1年でのJ1復帰はなりませんでしたね。 終盤はレコンビンで盛り上がったのですけどね。 経済的には相変わらず大変な状況だし、うちは娘の大学進学もあって、財布のひもを緩めることはできず、2012年から引き続き、兄のアウェイ観戦はなし。(私は2012年に千葉にいた娘に会って一緒にカシマへ行きました。0-7で負けた試合です。) それでも充実した年だったと思います。 コンサドーレがなかったら、どんなにつまらない生活だったかわかりません。


posted by かもめ |10:31 | その他・分類不能 | コメント(2) |