スポンサーリンク

2016年11月30日

オオドサの想い出・その4

2008年の暮れごろに兄は会社を退職したものの、リーマンショックの影響で自宅マンションが売れず、越すのが遅くなって、ようやく2009年7月に札幌に引っ越しました。

結局、売れなかったマンションは銀行が処分し、ローン残債と相殺し、500万円くらいの負債が残ったようです。
(私にはチャラになったと言って心配させないようにしていましたが、亡くなってから書類を見てわかりました。)

質権は住宅債権管理回収機構に移り、当初は月に1万円、まもなく月に5000円、返済していました。

零細企業に勤務しているのなら、安易にマンション(自宅)を買うものではないんですよね。

引っ越し準備で札幌に来たときの2009年6月7日のドーム・サンガ戦以降、この年のほとんどのホームゲームを観戦しました。
宮の沢では石崎さんが焼いた広島お好み焼きを食べるなど、コンサを堪能することができました。昇格はできなかったけど。

しかし、兄の考えは甘かったのです。札幌ではスキルを活かした仕事が見つかりません。

あてがあったとは言っていたもののダメでした。兄の言う「あて」は、どれくらいの確度だったのか・・

そんなことなら大阪で安いアパートに越して、大阪で再就職先を探したらよかったのか?
コンサの存在があるなら貧乏しても楽しい生活になるから札幌にと思ったか。

53歳という年齢で、番組制作以外、これといったスキルはないうえ、リーマンショックの不況が続いていました。

札幌市営地下鉄の車掌に応募し、最終選考まで残ったけど、これもダメでした。
(車掌になれたとしても、ワンマン化を進めているので2~3年の命でしたが)
ちなみに、面接のときに「筆記試験は2番の成績でしたよ」と言われ、合格を信じたんですが・・

ついに失業保険が切れましたが、まもなく郵便局のバイトが見つかりました。でも、3か月くらいで終了。延長はなく、いよいよ路頭に迷うというか、100%、親兄弟の世話になると思ったとき、くじ(ロトなんとかいうやつ)で60万円ほどあたり、少し延命できました。

そんな大変な2009年でしたが、コンサの試合を一緒に見たり、それ以外の用で札幌に行くなどで兄と会う機会が多く、19回も一緒にディナー(宴会?)にしています。
積極的に一緒に飲み食いしておいてよかったです。

9月の5連休のときに室蘭で試合を見たあと、函館に足を伸ばして観光したもの良かったです。
ちなみに、室蘭での試合にはJRで行ったのですが、偶然、淡路さんと相席になりました。
→ 訂正します 淡路さんと相席になったのは2011年6月でした

その年も年末は恒例の豪華おせち。おせちの写真が続きますが、大きな想い出なんです。
1480461727-20100103-02.jpg
北海道に帰ってきてホッとした気持ちと、就活が上手くいかず、焦燥感もある状態の、もやもやした気持ちで食べるおせちだったと思います。 郵便局を退職したあとの仕事がなかなか見つかりません。 2010年春になって、ようやく待望のまともな会社、まともな仕事に就くことができました。 コンサのスポンサーにもなっている立派な会社です。 これは嬉しかったですね。 ところが入社後1か月ちょっとでトラブルがあって退社を余儀なくされてしまいました。 またも浪人生活かと絶望していたら、アパートの近くのクリーニング店に採用されました。主に工場と企業の間の集配業務でした。 スキルを活かすことのできない職種でしたが、病院関係の担当が多く、かつて実家が診療所だったので医療のことがある程度知っていたのは強みでした。 ただし、最低賃金ぎりぎりの超薄給です。ワーキングプアです。祝日の多い月だと手取り10万ちょっとしかないのです。 だからそれ以降、一昨年の発病までの4年ほど、私と姉が毎月、生活費を援助していました。 (病気をしてからは保険がたくさん出て保険金成金になりましたが) 私は援助する余裕はほとんどなかったのですが、どうにかして工面しました。 好きな仕事と思って放送業界に入ったものの、不況で職を失って、こんな結末になってしまうとは、なんとも残念なことです。安定性と言う面からは、良い職業とは言えないのでしょうけど、好きな仕事を選んだのですから、仕方ないでしょうか。 それでも新しい仕事は夕方は17時前に終わるし、土曜午後と日曜は休みなので、コンサの試合は函館開催以外のホームゲーム、全試合見ることができたし、キックオフイベントに初めて行くことができました。 そんな貧乏暮らしでも、コンサドーレという大きな生き甲斐があり、サポ仲間もたくさんできて、それなりに楽しい生活だったと思うので、帰郷して正解だったでしょう。 コンサは昇格できなかったけど。 ちなみにヨーデルさんのご自宅に招待されたのは、10月11日の厚別での天皇杯(鳥取に勝利)の日で、兄はとても喜んでいました。 そのときに乗せていただいたヨーデル号。
1480462912-20091011-01.jpg
宴会後、兄は「酔う出る号」になったと自分で書いてます。 この年は兄と20回、楽しいディナーをともにできました。 年末恒例の豪華おせち。
1480463012-20110101-00.jpg
このときは前年と違い、薄給ではあっても仕事の不安もなく、御馳走を満喫できました。  こんなにホッとした正月はなく、いい気分で2011年を迎えました。


posted by かもめ |12:36 | その他・分類不能 | コメント(7) |