2016年11月24日
オオドサ闘病記・その1
この2年半の闘病記を書きたいと思います。 まず、病気の前兆、いや、すでに大腸がんが発生していたと、今になって思うのは、2009年にオオドサが北海道に戻った頃には胃腸の調子が悪かったのです。 食事中に急にトイレに行くことがしばしばあり、下痢なのかと思ったら反対に便秘ということですが、ちょっと普通の便秘とは様相が違い、腑に落ちなかったけど、特に病院へ行くとかはなく、放置していました。 2014年8月9日(土)、里塚で墓参りをし、その晩は神戸から来札した知人と共にキリンビール園でジンギスカンを食べましたが、意外とオオドサは飲みませんでした。 その晩は母の家に泊まったのですが、母の家でもう一杯飲むこともなく、すぐにベッドに入ってしまいました。 翌10日(日)はドームでのサンガ戦を見に行きました。3連敗してしまいました。(その次も負けて4連敗) いつもは立って応援するのですが、この日は体調が悪いと言って、珍しく(初めて?)座って応援。 このとき、かなり我慢していたのでしょう。 11日(月)から普通通り仕事をしましたが、あとになってみたら食卓に胃薬の空袋が大量にあったので、かなり腹痛があったのに病院へも行かずに我慢したことが想像できます。 8月15日(金)、オオドサはお盆休みはないものの、仕事は少なく、午前中の勤務だけだが、昼近くにいよいよひどくなり、美園の取引先の駐車場で車をとめ、救急車の手配を依頼。 救急車内では血圧が80を切っている状態。 平岸のKKR病院へ搬送され、大腸に穴が開いて腹膜炎を起こしているとのことで緊急手術。 私はお盆休みで、家にいました。というか、家内や娘がライブ(石狩で毎年やっているRSR)に行っていて、私は猫と留守番でしたが母から連絡を受け、慌てて車を飛ばして病院へ向かいました。 14時キックオフのオペは4時間コースと言われていたけど、実際は9時間近くかかり、控室で待機していた私と母は、オペが上手く行っていないのか、命が助かるのか、ずいぶん心配したものです。 でも、翌朝ICUに見舞いに入ろうとしたらすでにICU中に響き渡るオオドサの大声のジョーク連発が聞えて安心したと同時に、大声で迷惑かけて困った気持ちになりました。 もういっぺん人工呼吸器をつけたらと思いましたよ。 そのときの様子はこちら。 経過は順調で、早ければ1か月ちょっとで退院できるとのことで、9月23日ドーム岡山戦参戦を目標にし、微妙な感じでしたが、強く早期退院を本人が希望し、20日に退院しました。 ちょっと無理な早期退院で、オペした部位から出血が続いたりはありましたが、23日にはドームへ行くことができました。こちらをご参照ください。 このあと、10月11日の厚別は行かなかったものの、10月26日、11月9日、11月23日のドームには参戦し、2014年シーズンを終えました。