2015年09月30日
博多遠征記・その6
西条から松山へ戻るのに乗ったのはJR。今治で普通列車から特急に乗り換えました。アンパンマン列車を見ると、かつて丸亀で天皇杯をやったときに九州から移動するコンサの選手が乗ったのを思い出します。 たしか2004年12月で、大分に勝って、そのまま九州で調整していたのでしたよね。 大分から四国に飛ぶ航空便はないし、福岡まで出れば松山・高知・徳島へ飛ぶ便はあっても高松便はないし、大分から丸亀への移動は近くて遠いのだなと思った記憶があります。 列車はがらがらでした。新居浜や西条、今治で下車する人も多いだろうし、連休中は自由席が2両から3両に増えることもあります。 連休だから混雑すると思って指定席をとる人が多く、かえって自由席は空いていることも案外ありますけど、ここまでがらがらとは驚きました。愛媛は正岡さんが多いのかと思ったのですが、少ないけど、少しいるそうです。ところで、今治駅では改札を出なかったので今治FCのポスターなどを見かけなかったのですが、また何年か後に愛媛で学会があるはずだし、あるいは今治でコンサの試合があるかも知れないし、また来る機会があるでしょう。 今治は造船業が盛んなのでクレーンが林立していますね。予讃線の堀江駅(松山市内)です。ライブドアとは関係ないようです。 かつて呉の近くの仁方から国鉄連絡船が出ていて、学生時代の34年前に乗ったことがあります。とても連絡船接続駅という感じはありませんが、34年前ですでに連絡船は1日3往復しかなかったし、道後温泉行の接続バスもあったので、当時からこんなものだったはず。 その翌年(33年前)には廃止になりました。そもそも、宇高連絡船の補完の目的の航路だし、広島・松山間の移動には呉・松山間のフェリーの方が便利ですから。 港までは徒歩5分と、少し離れているので港は列車内からは見えませんでした。 今度来たときはゆっくり歩いて港を見てみたいです。(仁方駅と仁方港も)松山へ戻り、まだ乗っていない路面電車の城北線(運行形態としては環状線)に乗ります。環状線の北側の城北線は専用軌道で単線とは予想外でしたが、もともとは軌道法(路面電車)ではなく、普通の鉄道としてJR松山駅から道後温泉への直通線だった経緯だと知って納得。古町(こまち)駅では単線の上、郊外電車との平面クロスもあるので停車時間が長く、坊ちゃん列車に追いつかれます。本町(もとまち)線は30分に1本しか運行していません。だから事前にダイヤを調べてスムーズに乗換できるようにしました。1945年7月26日に大空襲があり、松山は焼け野原になったそうですが、そのせいか広い道が多いですね。
posted by かもめ |05:43 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |