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2015年02月12日

竹鶴物語・その6

竹鶴さんは1935年末に余市の工場に蒸留器を設置し、ウイスキー製造の準備を始めました。
札幌税務監督署に日参し、よくやく1936年夏に酒造免許が下り、秋に大麦を買い入れ、ウイスキー製造を開始しました。
リンゴジュース製造より2年遅れで始めたことになりますね。

1937年にはアップルゼリーとグズベリーゼリー、1938年にはアップルワインを発売したそうです。
当時のゼリーは余市のニッカの工場資料室で展示しています。
ブログで紹介している人がいます。こちらです。
  
ゼリーの容器はガラス瓶にブリキの蓋でしょうか。
このブログには、ウイスキー製造初年の1936年に仕込んだ樽(中身が入っているようです)の写真や、販売初年のウヰスキーやブランデーの写真もありますから、是非ご覧ください。

工場では毎朝7時に竹鶴さんが始業の鐘を鳴らしたそうです。
ドラマでは8時になっています。
当時は朝7時くらいから仕事を始めるのが世の常識でした。
だから、私はドラマに違和感を覚えたのですけど、もしもドラマで7時始業にしたのなら、当時の常識を知らない視聴者が不思議に思ったり、とんでもない会社だと誤解しかねないから8時の設定にしたのでしょうか。

ドラマで1940年の設定になると思うのですが、「国産ウイスキーは鴨井商店のだけ」というセリフがありましたが、当時は寿屋のサントリーウイスキーの他、東京醸造のトミーウイスキーが1937年に発売されています。

1940年10月に、ニッカウヰスキーの販売が始まりました。ドラマでも同じく昭和15年10月に初出荷になっていますね。

ドラマではウイスキーが売れないことになっていますが、実際はすぐに良く売れました。
まず、海軍が沢山購入しました。
また、1940年は、すでに物資の統制が始まっていて、清酒などの酒の生産量が減っていたため、酒であれば何でも売れたそうで、サントリーウイスキーや東京醸造のトミーウイスキーは、飛ぶように売れたそうです。
さらに配給制度もこの年に始まり、4月に清酒、6月にはビールが配給品目になっています。
ウイスキーが配給品に指定された正確な時期はわかりませんが、ニッカがウイスキーを販売開始した10月頃は配給品目になっていたようです。
配給品ということは配給組合が全量買い上げてくれるわけです。
だから営業も宣伝もせずに売れ残らずに全量販売できるのです。
もっとも、配給は一般に供出価格を低く設定されることが多いという問題はあるのですが。

そんなわけで、ウイスキーを出荷してからはどんどん経営状態がよくなり、すぐに赤字解消のめどがついたそうです。

まあ、それではドラマのストーリーとしては面白くないのでしょうけど、事実と正反対の筋書きはどんなものかな。

posted by かもめ |09:33 | その他・分類不能 | コメント(2) |