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2015年01月15日

戦前の北海道地図

某ドラマで、1931年に北海道地図を眺めるシーンがありました。

お断りしておきますが、時代(時代考証)が違っているからといってケチを付けるつもりは全くありません。
単純に、いつの地図なのか興味があって知りたいだけです。

羽幌線が全く開通していないので、1927年10月25日以前になります。

日高線が鵡川付近まで開通しているので、1913年10月1日~1924年9月5日の範囲になります。

室蘭線が東室蘭・長万部間が未開通なので、1923年12月9日以前になります。

留萌線が留萌まで開通していて、増毛方面は未開通なので、1910年11月23日~1921年11月4日の範囲になります。

宗谷線(当時は北見線)が音威子府まで開通していますので1912年11月5日~1914年11月6日の範囲になります。

よって、1913年10月1日から1914年11月6日までになりますので、おそらく1914年に発行された地図なのではないかと思います。
ということは、そのTVは1931年の設定ですから、17年前の、少し古い地図を眺めていたことになりますね。
先日検証した、1936年頃に出版された鉄道地図も再登場しましたね。こちらは5年くらい未来の地図ということになりますね。

以下の地図(高校生のときに買った地図ですよ。新潟や横浜へ引っ越し、また北海道に戻った地図。)は1901年(明治34年)に発行された地図の復刻版です。発行された数か月後に旭川でマイナス41度を記録し、八甲田山での遭難事件が起こった時代ですね。
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札幌の人口は37,464人、函館は74,080人になっています。 北見は野付牛、帯広は下帯広、富良野は下富良野、稚内は宗谷など、現在の市名と違うのが少なくないですね。 鉄道の宗谷線(当時の北見線)は士別までしか開通していません。 小樽・函館間も全く鉄道ができていないので、この頃の北海道の玄関は主に小樽か室蘭だったのでしょう。 札幌から函館に行くときは、室蘭まで列車に乗り、室蘭・函館間は船だったのでしょう。 1904年まで日本郵船が青森・函館・室蘭間に連絡船を就航させていましたから。 私の父と祖父母は1929年に茂辺地村(現・北斗市)から足寄へ引っ越しましたが、小樽・函館間は1902年から1904年のわずか2年の間に急ピッチで開業し、根室線や池北線も、その後、比較的早くに開通したようですから、鉄道で新天地に行ったのだと思います。


posted by かもめ |13:31 | その他・分類不能 | コメント(0) |