2014年05月30日
腸閉塞の夜、激痛と苦悶
平成4年の夏。妻と2人の子供は、妻の実家に行っていた。義母の病気見舞いのためだったと記憶している。その日の夕食は餃子だった。冷凍餃子をフライパンで温め食した。少し、中心が冷たい気がしたが構わず平らげた。 その夜、腹部の痛みで目が覚めた。真夜中だったと思う。胃薬を飲んだが、一向に痛みは治まらない。どうにもならず、南郷17丁目のアパートから車を運転して、大通西19丁目の夜間急病センターを受診した。夜中にもかかわらず、数名の受診者がおり、硬いベンチで順番を待った。痛みは激しさを増していた。当直医は、腸炎の診断を下した。痛め止めを処方され、痛みが止まないようだったら、翌朝の受診を促した。私は、餃子が原因だと思い、高を括っていた。そのうち収まるだろうと…。 少し痛みも和らいだ気がした。車を運転して帰宅した直後から、再び激しい痛みが襲ってきた。4時頃だったと思う。それから、引いては寄せる波のように断続的に激痛が襲ってくる。布団に座り前屈みになり、8時までひたすら痛みに耐えた。生きた心地がしなかった。死ぬかと思った。近所の徳州会病院に行き、レントゲン撮影後、医師から腸閉塞の診断を受け、即刻入院となった。医師が説明する際に見せてくれたレントゲンには一部が見事に閉塞した腸が写っていた。 医師には、車を運転して夜間救急にかかったことなどを話すと呆れられた。途中で気絶したらどうするのと言われたと思う。結局、原因は不明で、餃子犯人説は否定された。なぜか腸閉塞の症状の一つである嘔吐はなかったと記憶している。外科病棟に入院したが、幸にして手術はせず薬で完治した。最初の3日間(もっと長かったかも知れない)は絶食状態だった。点滴で水分と栄養を補給していたと思う。あの時の、断続的に襲う痛みは今でも明瞭に覚えている。拷問と言えるほどの痛みだった。 ポールが腸閉塞だったという未確認情報があります。ウィルス性炎症による体調不良とのことでしたが、腸閉塞であったとしたら、大変な苦しみだったと思います。 無理をせず、体力の回復に専念してくださいね。早期の回復を祈っております。
posted by kanchi |17:45 | life | トラックバック(0)