2011年05月14日
黄砂の空の下
今週は、福島市では黄砂がすごい量です。 うちから外を見ると、遠くの山がかすみ、空は黄色がかってます。 まったく、いろんなものが降るよね、とボラ仲間と話していました。 彼女は鼻をぐしゅぐしゅさせて、総会の間中、ティッシュの箱を手元に置いていて、もしかして放射線?なんていうので、んなバカな~、放射線でくしゃみなんて聞いたことないよ、と笑いながら、もしかしてうちの旦那と同じで黄砂じゃないかなといってみました。 実は、うちの旦那も、近頃の大量の黄砂でぜんそくっぽくて、眠りが浅いみたいです。 でも、ほんとに花粉症?黄砂? これって、もしかして放射線のせいじゃ? と不安に思ってる人は、結構いるんじゃないかと思うんです。 特に、相手が見えない、よく分からないじゃ、疑心暗鬼になるのはもっともなこと。 週刊誌でも、”大丈夫”と言う記事より”危ない”という記事を載せた方が売れるらしいですし。 疑心暗鬼を吹き飛ばすには、事実を知るしかありません。 しかし、その事実も、いろんな目論見の壁に、どれが事実かわかりにくくなっているのも事実。(ややこしい・・) 今の福島は、一難去ってまた一難ってところでしょうか。 今度は間違いなく100%人災ですけど。
posted by じゅうよっつ |14:24 | 暮らし |
2011年05月13日
せめて気持ちだけ
震災後、既にストレスなどで亡くなられた方が500人とか。 びっくりしました。 正直、何十人の単位も想像してませんでした。 せっかく大きな地震を生き延びたのに・・・。 ストレスのかかった生活では、持病の手当がいつものようには行かなかったり、悪化したりもあったのでしょう。 精神的に参って、病気に及んでしまったのかも。 でも、ああ、生きていて欲しかった。 なんとか、ケアして、一緒に生き延びましょうよ、ね。 私は病院のボラくらいしかできないけど、でも、そういう思いを伝えて行きたいです。
posted by じゅうよっつ |19:47 | 暮らし |
2011年05月12日
国谷さん
昨日のNHKの「クローズアップ現代」で、キャスターの国谷裕子さんが原発から20kmのところでレポートしている姿を見ました。 すごいなあ。さすがだなあと思いました。 別に、マスコミに危ないことをしろと言うわけではありませんし、それはまたとんでもない方向違い。 でも、やることに、度胸を据えて、大げさかもしれませんが命を賭けても正しい、と信じるものを伝えることが筋だと思います。 正面を見据える真摯で善良な態度。 いろんなものを受けとめ感じる感受性。 そして、こういう人がやってることや言葉こそ、受け取る側も、本物だと信じられるんですね。
posted by じゅうよっつ |21:12 | 考えごと |
2011年05月11日
あー楽しかった!
今日はボランティア総会、いつもは職員の方も出席されるんですが、こんな時だから、ボラとボラ担当の職員の方一名で、ボランティア室でひしめき合ってやりました。 ボラの時はだいたい同じ曜日の顔しか見ないので、地震以来初めてあった人もいました。 「どうだった?」がいまだ、最初の一言。 やっぱり、ボラの中でも、建て直しを必要としている人や壁がはがれてしまった人、避難していた人もいて、地震の大きさを改めて感じました。 会議の前、みんなで、たわいのないことをしゃべり、バカ言って笑い、原発事故の時みた自衛隊の巨大なヘリのことや、近頃のニュースなんかも話している中、一番元気のいいボラ仲間がふと、「福島は苦しんだよね」とつぶやいて、みんな返す言葉なく頷くということもありました。 でも、やっぱり、おしゃべりは楽しかった。 会議も、予定時間より延びて、普段、職員のかたがいる場ではあまり話せないような、ボラのあり方をいろいろ話し合えました。 会議の後、「何か、あったまったよね」「笑ったからかな」 この頃、笑うことがあまりなかったことに、偶然数人が一緒に気づいたときには、同じ経験を共有した仲間意識のような、新たなつながりのようなものができたように感じました。 な~んて! 年にそぐわず、あまりに話が青春ものすぎるわ~!
posted by じゅうよっつ |19:58 | 暮らし |
2011年05月10日
びっくりした!
地震のちょっと前、嫌々ながら携帯を持つ羽目になったんですが、結果的には、地震の直後は固定電話は通じず、携帯だけが唯一の連絡手段だったので、持っていてとても助かりました。 でも、まだ携帯はなんか苦手。 特に、メールは、あの小さなキーを操作するのが苦手で、誰にもメルアドを言ってません。 (実際、地震の時にあのキーで旦那に電話しようとして、何度、隣を押してしまったことか!) したがって、どこからもこないはずなんです。 で、今日、洗濯物を干しているとき、突然、どこからか音がし始めました。 もう久しく聞いてなかった緊急地震速報の、あの、ぴらりんぴらりんという音にとてもよく似ていて、「わっ地震だ」と思わず身構えました。 しかし、ラジオから鳴ったと思ったのに、ラジオは普通に番組を続けています。 おかしいなー?じゃあ、音源はどこ? と見ると、机の上に置いていた携帯の画面が明るくなってて、メールが来たと告げていました。 メルアドを知ってるのはそれを設定してくれた旦那だけ。 でも、メールの見方も知らないので、旦那に電話すると、「あ、間違って押したかも。じゃあね」ですと。 なんだ、人騒がせな。 それにしても、あー、びっくりしたあ。
posted by じゅうよっつ |10:50 | 暮らし |
2011年05月09日
放射線に政治が絡まったとき
ツイッターなんかでは、まだ、これから福島市から市外(たぶん県外でしょうが)に避難する方もおられるようです。 私も同じ場所にすんでいるので、放射線については、長崎大の先生の講演に始まり、研究者の話やニュースなど、いろいろと注意してきたつもりです。 もちろん、いろんな情報を集めた上で、何を信じてどう理解し、対処するかは、各人の自由ですから、避難する、しないもその一つ、それぞれが納得して決めればいいことです。 ただ、その情報が、原発反対(や賛成、いればですが)に利用するために操作され、情報が曲げて伝えられるのは、決してあってはなりません。 それは、原発の反対の力にはなるかもしれません。 ただでさえ放射線は危ないという方向の情報は、受け入れられやすいですし。 でもこれは、今、放射線に苦しめられている我々の存在をあまりに無視したものです。 今、一押しされればパニックになるかもしれない気持ちを抑えながら、この場で働いて、暮らして、生きていることをまったく尊重してくれてないことになります。 たとえば、そうやって今から避難しようとしている家族は、ここでの生活も仕事も家も友達もあとにして、出て行くわけです。 これから1からやり直しかもしれません。 もしかしたら、今までここで重ねたキャリアを生かせず、そこでの生活は苦しいかも。 影響はたぶん、その方が関わっていた方にも多少とも及ぶでしょう。 でも、それが、必要以上に恐怖をあおった情報からきたものだったら、その家族の新しい場所での生活に慣れるまでのエネルギーや、お金や、いろんなものを誰が謝ってくれるんでしょう?保証してくれるんでしょう? ほしいのは、正しく解釈された正しい情報。 素人考えや中途半端な解釈ではありません。 そうでないと、そんな人や家族に大きな犠牲を強いることになることをわかってほしいと思います。
posted by じゅうよっつ |20:55 | 暮らし |
2011年05月08日
疑問がいっぱい
5月の午後4時で29度というのは、やっぱり札幌から来た選手には、堪えたんでしょうか? 連戦の疲れはあっても、チーム状態は上向きでしょうから、モチベーションとしては、いい具合に持って行けるのではとおもったんですけど、やっぱり疲れも見過ごせなかったかなあ? 今まで、いい形はできてもなかなかフィニッシュまで行かなかったのが課題でしたが、今日は、そのいい形も見られなかったのは残念です。 相手にとって怖かったのは、始まりの近藤選手のシュートくらいかも。 (あのときは、今日もおもしろくなるぞ!と期待したんですけど) どうも、熊本の選手がいいポジションを取ってるのに対して、コンサはボールを追ってる感じで、熊本の選手の後手後手になってました。 せっかく自分のボールにしても、その先の味方ともあわないことが多くて、それならドリブルで持って行くということも考えられるのに、それもあまりなくて・・・。 前半は暑さ対策かなとも思っていたんですが、後半もボールに対する執着心が熊本に負けてる感じでした。 どうしたんでしょ? 日高選手が戻って、アンドレジーニョ選手がけがで出られず、若干これまでのままで行かなくなった事もあるのでしょうかね。 あと疑問なのは、うちにも結構背の高い選手はいると思うんですけど、ハイボールがなかなか自分のものにできないのは、ジャンプのタイミングでしょうか? 体の強さで競り負けてるんでしょうか? あれももったいないですよねえ。
posted by じゅうよっつ |17:55 | コンサ |
2011年05月07日
明日に向かって
明日は熊本戦ですね! 前回、前々回の、集中力をもってすれば、きっと明日もいい試合を見せてくれるはず。 まだ先日の勝利も日がたってない、今のコンサには、それができる! この時期はもう、北海道と九州の気温差はかなりのものでしょうが、開始が16時というのも、味方してるかな? 思いっきり見てる方も集中できる試合、希望!
posted by じゅうよっつ |20:13 | コンサ |
2011年05月06日
地震と原発と
福島市はほとんどのところでは、ちょっと見たところ、依然と同じように建物が建ってますが、その実、建ってはいるけど、壁や瓦がはがれたところ、塀が崩れたところ、ビルの鉄筋がむきだしだったり、タイルがはがれる危険があって網が被さっているところ、「頭上危険」とコーンをおいているおうちもあります。 しかし徐々に、確実に、復旧作業も進んで、一番ひどい土砂崩れの場所も、傾いた家々はまだそのままですが、工事の方々のおかげで、道路はもうすっかり前の状態に戻りました。 沿岸の地域でも、きっと、津波さえなかったら、あれだけたくさんの犠牲者もでずに、被害だってこれくらいですんだんじゃないかなと思います。 それに加えて原発。 余震は、だんだん小さく(といっても、大きい余震もありましたが)少なくなりますが、原発が、だんだんひどくなるのには参りました。 地震のニュースをみていたはじめの頃、普通に外に出ている被災者の方々を見てよく、「えっ!?」と思ってました。 それから思い直して、あ、そうか、外に出られないのは原発のせいで、地震のせいじゃないんだから、福島だけか・・・。 そのころは、原発は目が離せない状態どころか、SF映画ならわくわくすること間違い無しのアップダウンの激しいニュースが毎日のように飛び込んできて、しかも「原因分からず」とか「どこからか煙が」というような分からないことづくめ、毎日テレビから目が離せない、一番、精神的に辛い時でもありました。 加えて、放射線についても、危ないという漠然とした、あるいは極端な報道ばかりで、理論で考えてこれはしてはいけないということばかり、どうすれば防げるか、影響を軽減できるかが大事なのに、ちっとも今直面している危機に役立つ事を言ってくれないのは、ストレスでした。 福島市は、原発から60kmほど離れていますが、地形や気候のせいか放射線量が割とあって、あのころは、越してきたばかりのアパートの、隣が、階下が、ばたばたしてるなと思うと、急に静かになるんです。 朝に夜に、アパートの前にトラックが横付けされ、荷物が運び出されていく・・・避難がはじまっていました。 もっともだと思います。 だって、ただ危ないだけ聞いて、危ない程度がどれくらいかなんて誰も言ってくれないんですから、自分の身は自分で守る以外すべがありません。 でも、だんだん静かになっていくアパートに住んでいるのって、何ともいえない、世界に一人だけ取り残されていくような不安感、焦燥感・・・。 こんなことが現実にあっていいものなのか、という理不尽な思いでした。 こんな経験、まずないし、もう絶対、あってはならないことです。 うちも避難を考えたことは考えました。 「早くおいで、部屋はあるから。ペットも連れておいで。アメリカ人は出国してるよ。どうなってるの?」と言う申し出も、私がいい返事をしないので、何度もいただきました。 うちが避難しなかった理由は、一応年相応に責任がある旦那の仕事が一番ですが、入手困難なガソリンと、3匹のネコもありました。 海外はともかく、どこか県外か会津にでも避難するとして、既にガソリンスタンドは長蛇の列でしたし、高速は不通、一般道路は混雑しているだろうし、どこまで行けるかもわかりません。 もし公共の交通機関にのれたとしても、ネコ3匹と一緒には無理です。 そんなとき、1つとても助かったのは、福島県がいち早く、長崎大の先生を県の健康リスクアドバイザーにしてくれたことでした。 これで、すくなくとも福島県では、情報が一元化できたのは、大きかったです。(福島県庁、GJ!) 避難しないのは既に決めてましたが、これで、しっかり、大丈夫だと腹をくくれました。 公共の交通機関がなんとか回復(それでも朝早く並ばないと行けなかったそうですが)したころ、旦那の職場でも、若い方々は避難されました。 そのころはもう、上の長崎大の先生の講演(自分の書いたのをリンクするのは気が引けますが、内容はここにあります)も福島市で行われていて、どれくらいのリスクなのか、正しく予防すれば大丈夫だと分かってはいましたが、それでもこれから先の長い若者は、被爆は少ない方がいいわけですしね。(それに仕事も、当面は片づけが主ですし) 放射線は花粉やゴミと同じように取り扱えばいいということで、私たち(そのころは同伴出勤)も、マスクをしての外出、帰ると、上着や鞄はコロコロできれいにし、手を洗い、頭からシャワーを浴びてました。 着ていた洋服は洗濯。 食べ物も同じです。 洗って食べる、もっとも、野菜や果物って普通あらってから食べますし、汚染されたものは規制を受けているので、問題ないわけですけど。 水は、今まで使っていた(交換時期がとっくに過ぎてますが・・)活性炭の浄水器で十分です。 まだ原発は100%収束なわけではないですけど、多分、これ以上、大気に大きな放射線量をもたらすような事はなさそうで、あとは地面に残る放射線が減ってくれるのを待っています。 (実際、雨の度、確実に落ちています) もう、今は、避難していたアパートの住人も徐々に、旦那の同僚も帰ってきて、今日から新年度も始まり、やがて新しく同僚になる方々も来られます。 これから一番気を付けないと行けないのは、放射線自体よりむしろ、ストレスかなと思います。 先の山下先生のお話では、チェルノブイリでは、甲状腺癌よりそちらの方が大きな問題だったとか。 ストレスによる肉体的、精神的な病気は、福島県をこれから長く苦しめるかもしれません。 放射線の怖いのは、甲状腺癌(子供)だけじゃありません。そういう風に包括的に健康管理をしないと、意味ありません。 だからこそ、できるだけ、あまりくよくよせず、明るく生活をしていくのが賢明になります。 まだ気を付けないと行けないのは、お子さん。 広報にもでてますが、特に外で土にまみれて遊んだ手をそのまま口に当てたりしそうな小さなお子さんは特に注意してあげないといけません。 大きなお子さんなら、マスク着用で帰宅後、手洗いやシャワーです。 洋服はしっかりコロコロか、洗えばOK。 あと、外出前のビタミンCも有効のようです。 おそれず、ちゃんと食べて飲んで(否、お酒)健康に過ごすことが第一です。 しかし、今回は、地震も、津波も、原発も、神様っているの?と思うほど、度を超していた事だけは事実です。 もう一度書きたい、もうこんなことは今回だけでたくさん!
posted by じゅうよっつ |20:41 | 暮らし |
2011年05月05日
ライフラインと料理
幸い、電気やガスはずっと出ていましたが、ガスはなんとなく怖くてしばらくは使わず、料理はレンジと電気オーブンでやってました。 水は、止まります、というお知らせの車が回っていましたが、実際に止まるまでに1~2日あったので、それまで水道水を使いながら、風呂桶や洗濯機、ありとあらゆる鍋ややかん、バケツに水をくんでおきました。 風呂桶も水を張る前に洗って、飲料用の水として使いました。 どれくらいで水が戻ってくるという見通しが立たないので、できる限り節水しました。 (以下の1段落は、お食事中の方はとばしてね) 食事の際のお皿類は、なるべく数を少なくして、洗うときは、ティッシュで汚れをきれいに拭き取ってから、100円ショップで買っていたスプレー(これ、便利!)に水を入れて、それでしゅっしゅっとかけてティッシュでこすり、もう一度しゅっしゅっとかければ、結構水を使わずにきれいになりました。 お風呂は風呂桶を使ってますし、シャワーも出ないので、体はウェットティッシュで拭いて。 トイレは、汚いけど、大の時にまとめて流す。 洗濯は、これも汚いですけど、なるべく3日くらいは換えずに。 下着だけ、水で手洗いであらって、洗濯機で絞ってました。 生理用品を下着にあてて、それを換えると便利でした。 水が止まったのが1週間くらいだったので、実際に使ったのは、鍋ややかんの水と風呂桶の水の3分の1くらいですみました。 今回、感じたのは、電子レンジって結構料理できるんだということ。 調理用には、レンジ可の、大きめのプラスチック容器(20cm×10cm×4cmくらいの)3つや来客用の大皿(直径30cmくらい)を使いました。 よけいに火を通さないと行けないものから先にチンして、蓋やティッシュ(どれくらい水切りすればよいかによって使い分け。あらましなら蓋で、完全になティッシュで)を使って水気を切り、さらにその次に通りにくい材料も加え、また水を切り、その次・・とチンしていきました。 たとえば、肉じゃがなら、まずお肉とダシ、お醤油、みりんを混ぜてプラスチック容器でチン(煮汁はそのまま)。 別の容器で、玉ねぎのスライスやニンジンをチンして、水気を蓋で切り、ジャガイモをいれてさらにチン。 この両者を併せて、もう一度チンします。 ちょっと灰汁がでますが、この際、それはご勘弁ということで。 ポテトサラダだったら、適当な大きさに切ったジャガイモをプラ容器でチンして、そこに、キュウリや玉ねぎリンゴをいれたり、もっと簡単には、冷凍野菜とマヨネーズを混ぜて再び蓋をしておくと余熱でできあがりました。 焼き魚やローストチキンは、もちろん、そのままオーブントースターでできますし、あげずにフライのできる粉と言うのをたまたま買ってたんですが、それをまぶして焼いてフライ風もできました。 シュウマイも、普通につくって、チンで大丈夫でした。 順番と水切りさえちゃんとしてれば(水切りしないと、味がうす~くなっちゃいます)、結構いつもガスで作っていた料理もできちゃいました。 あ、ガスが使えないので、油はドレッシングにいれるくらいで、ほとんど使ってません。 ご飯は、洗い物を減らすために、1日~2日分まとめて炊いて、翌日分は冷凍してました。 冷蔵庫には、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、ゴボウのような日持ちする野菜なら、使い切るより余分に入れておくと、便利です。 それだけでも、いろいろな料理ができますし。 あと野菜や果物の缶詰や、味のあまり付いてないツナ缶などシンプルなものが応用が利きそうで、もう少し買っておくべきだったなと思いました。 やはり、こんな大きな事があったときこそ、食べる事って大事だなと実感しました。 温かい料理を食べるとほっとして、さあ、頑張ろうという気持ちにもなります。 うちは、地震以来、朝ご飯がおにぎりなんです。 食欲のなかった朝も、おにぎりにするとたべられたので。 常備食で作っていたらっきょもそえるとグーでした。 まさに食事って、明日へのエネルギーなんですね。 料理すること自体も、電子レンジで試行錯誤しながら(例えば、ゆで麺はゆでこぼさないととーってもまずい!と分かった・・でも食べましたが)作るのは、結構気分転換になりました。 動いていると、ちょっとの地震だったら感じないですしね。 ただし、ご紹介したのはあくまで非常時の料理ですから、普段ならちゃんとフライパンでいためたり、あげたり、お鍋で湯がいたりしたほうが、やっぱりおいしいですけどね~!
posted by じゅうよっつ |15:06 | 食べ物 |