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2017年10月04日

世の常

カナダのモントリオールに引っ越したとき~もう20年も昔~はじめての外国住まいで、夜中に、ぱんぱんと音がして、すわ発泡だ!と飛び起きたことがありました。(ここはカナダだよと、旦那に笑われた・・・)

それくらい、当時でも、日本は安全、外国は危ないという意識でしたが、それ以来6年ほどの海外生活で、実際に命を脅かすほどの危ない目にあったことは幸いにもありませんでした。(マイナーなのをのぞけば)

当時、アメリカ(ボストン)では、私の周囲で銃を持っている人は見当たらなかったと思います。
たしかに、犯罪の多い地域というのはありましたが、そこに近づかなければ、まず、危ないこともありませんでした。

でも、2年ほど前、旦那の仕事場に働きにきていたアメリカ人の女性が、銃を持たないで暮らすなんて問題外という感じで話してたのは、ちょっとショックでした。
あれからずっと多くなりましたもんね、銃の関わる事件が。

一方で、銃規制が叫ばれながら、一方では、ほかの人が持ってるのなら、やはり、安心して暮らすためには、自分も持ってないとと思うのも、当然、考えられることです。
一度銃をもてば、もう持たないでは不安でいられないでしょうし、さらに機能の充実した銃をと買い換えることにもなりそう。
アメリカ全体が、わかっているけどやめられないという悪循環に苦しんでいる印象です。

1国の武力もこれと同じ。
相手がこれを開発したなら、うちもそれに相当する何かをしないと、牽制できないし、いざとなったとき太刀打ちできない。
相手が何か出したなら、それに対抗しないとこっちが危ない。
そうやってどんどん深みにはまっていく悪循環は、どこかで止めないと。

でも、アメリカの銃と同じで、一旦そうなれば、やめるわけにはいかなくなり、そうやって誰もが止められなくなったときに、リセットできるのは、過去の歴史の中では、戦争でこっぴどい目にあった国だけです。
そうなる前に、その波に乗らないことは、とても大事。

そんな状況になってからでは後戻りはできないと、アメリカの銃問題が教えてくれています。

posted by じゅうよっつ |21:00 | 考えごと |