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2014年12月14日

ギャップ

ノーベル賞授賞式を見ていて、人類の歴史が始まって以来、科学は間違いなく、めざましく進歩してきたけれど、果たして人間の精神的なものって、進歩しているんだろうかとふと思いました。

近頃CSが発達したこともあって、2、30年~半世紀ほど前の映画やTV番組を目にする機会も増えてきましたが、戦争から開放され、その傷跡や反省を背負っていたそのころの日本人の考え方と、今の考え方は、僅かな年月の間に大きく変わってきたことがよくわかります。

今は、日本が戦争を始める前、あるいは戦争中の考え方に似ている感じ。
つまり、人間の考えることって、進歩するのではなく、ある時間を経て、巡り巡っているだけなんじゃないかしら、と思うんです。

ただ、その間にも科学や技術は進歩し続けて、もうとうの昔から地球上のほとんどの人が、その発展についていけてない、仕組みも理解しないままに、恩恵に預かっています。

それを使う人間の精神力とのギャップがどんどん開いていっているわけで、それってとても恐ろしいことかもしれません。

科学・技術の発達って、人間の歴史にとって、最終的には本当にいいことなのだろうか?
よく言われますが、もしかして、そのギャップのために、人間は人間を滅ぼすことになるんじゃないかしら。
最近よく、よくこんなひどいことができるものだというような事件が起こりますが、それも、ギャップが関係するのかも。

今の日本では、お金さえ出せばなんでもそろうけど、何も自分では作っていない。
物が満たされても、気持ちは空っぽのまま。
その満たされない気持ちが、うまく昇華できないでいる人間が増えているのでは。

スポーツや趣味や、仕事や家族や、何か打ち込めるものがあればいいのだろうけど、見知らぬ人に危害を加えたり、いじめたり、周囲に攻撃的になったり、逆に自分の内側に閉じこもったり、やり場のない怒りや悲しみや苦しみを、あらぬ方向に向けてしまう人がふえてきているのかもしれません。
近頃の日本の好戦的な傾向も、ネガティブな昇華の1つに見えます。

科学技術や物で生活が満たされているって、ほんとに豊かだってことなんでしょうか?

例えば小さなことですけど、心やすまる家で手作りの夕飯を食べるような、そんな、本当は自分の手でできる、しなければいけない日常の小さなことを沢山放り出してしまって、自ら埋められない隙間を作ってるようにも思えます。

じゃあ原始時代に戻るのかというと、何千年積み重なった人類の歴史を今更捨てるわけにはいかないですが、せめて衣食住に関して、基本的なことって、やっぱり自分で出来る限りのことをしないと、それなしに何かを求めていくのは本末転倒のようで、本物の人間でなくなっていくような気がします。

なんだか、とりとめなく。

posted by じゅうよっつ |16:20 | 考えごと |