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2013年04月30日

どこかで見た見知らぬ風景

昨日見た夢。

どこかの街です。
戦争状態で、街が包囲されていて、バスが1台、私は、なんとかそれに乗って、逃げ出そうとしているところです。

そこに、一人のまだ幼い少年。
おもちゃの鉄砲をもって、必死で、誰も近づけまいとしています。
どうやら、誰も少年を守ってやる人はいないらしい。

なんとしても自分を守ろうとしている様子がとてもいじらしくて、「一緒に日本に来る?」とバスに誘いました。
(日本に来る?といったんだから、場面は外国かもしれません。でも、バスで日本に行ける国って?という疑問も。まあ、夢ですから)

誰だったか親切な人がいて、その人のお陰で、なんとか2人でバスに乗り込んだんですが、そのごバスは一旦停止。
緊張をほぐそうとしたのか、何を思ったか、「チョコレート食べようか」と、遠慮している少年をつれて、売店に行きました。

売店でチョコレートを探していると、「バスが出るよ」という誰かの声。
振り返ると、もうバスは、停車場を出て少し行ったところにある門をくぐるところでした。

慌てて必死で追いかける!
これが最後のバスなんです。

でも、門を出たところに待っていたのは、バスではなく、包囲軍でした。

ああ、もうこれはここで運を天に任せるしかないなと、覚悟を決めて・・・目が覚めました。


近頃の物騒な世相のせいかもしれません。
あいや、これは、日本の近未来にとても不安を感じているからかも。

国民の手で作ってないから作り直すなんていう、無茶な理論で憲法改正をしようとするのは、どう見ても、この夢のような場面を日本に誘ってしまいそうで、危険を感じてしまいます。

誰が作ろうと、いいものはそのままでいいわけで。
国民の半分が改正を望んでいるのに、国会議員の3分の2の賛成が必要なのは民意を反映していないという、”国民の半数が賛成している”という前提は、どこからきたのかもわかりません。

本来、3分の2の賛成が必要なのは、憲法が、それだけ慎重に議論されるべきものだから。
それを、過半数でいいとするのは、よりよいものに変えやすくするというよりも、都合のいいように変えやすくするようで、どうにも危険な解釈に映ってしまいます。
そこを変えようというなら、国民の代表たる国会議員の望むものと、国民の望むものとが違っているんです、国を引っ張る知恵者となるべき国会議員の決めることなんてそんな重要なことじゃないんです、と、国会の先生自身が認めているようなもので。(いや、私もしばしばそう感じてますがが・・)

上のような風景、どこかで見たな、どの映画だっけ?だけで終わることを願って。
明々後日は憲法記念日なんですね。

posted by じゅうよっつ |19:25 | 暮らし |