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2012年06月18日

ふるさとを思う

北九州市は、震災がれきの受け入れを決めたんですね。

私が住んでいた頃の北九州市といえば、工業地帯。
物心ついた時から、煙突から色とりどりの煙がモクモク出ていて、きれいだなあ、と思ってみていました。
(その頃は、公害なんて言葉も知りませんでしたから)

夕方の時刻を知らせるのも、どこかの工場から流れる音楽。

お父さんが製鉄所で働いている子供は、そのころの教室では、1クラスに10人はいたんじゃないでしょうか。

秋には起業祭という、製鉄所の起業日を祝うお祭りが数日間続いて、祝日だったし、次の図画工作の時間には、起業祭の絵を描くというのがあったことからも(今なら問題になりそうですが、昔はのんびりしてたんですね)、いかに、工業が北九州市にとって大きな地位を占めていたかがわかると思います。

私が通っていた高校も、その昔、製鉄所に石炭を運んでいた川沿いにあり、当時は気質の荒い川沿いの喧嘩校として名をはせていました。

そんな北九州市ですから、当然、高度経済成長の副作用として、大気汚染、海の汚染、喘息などの公害が問題になりました。

その後、私は、福岡市にすみかをかえたり、国外・県外に行ってしまったので、ふるさとのイメージはその時のままなのですが、いまでもそこに住んでいる両親や親戚、友人のはなしから、北九州が変わりつつあることは聞いていました。
公害都市から環境都市へ。
ふるさとがそういうふうに変わっていくのを嬉しく聞いていました。

そして、今回は、西日本で初めての震災がれきを受け入れ方向へ。
それについて反対はもちろんあったはずですが、こういう時に、政治家は、ちゃんとした情報を仕入れて、揺るがないことが、市民の不安を取り除き、理解してもらうためには大事なところです。
(どこかの、岩手から逃げ出した政治家なんてもってのほかです)

ただ、そう言うのはやさしいですが、昨年の原発事故以来の事を見ても、なかなか現実にそうするのが難しいのは明らかで、それを、「自分が風評被害から守る」と言い切った市長さんの言葉に、北九州市民はいい首長を選んだなと嬉しく思いました。

助け合うという意味は、自分に何も損が及ばないことではありません。
精神的にであれ、肉体的にであれ、共に痛みを分かち合うことで、分かり合う事。

北九州市を誇りに思います。

posted by じゅうよっつ |21:05 | 考えごと |