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2011年12月13日

勇敢でなくても

まだまだ世間では、除染のことなんかでニュースにはなってますが、もう自分の中では、放射線のことはとっくに収まっていたので、今福島にすんでいる方々は、皆とまでは行かなくてもほとんどが大丈夫だと納得してすんでいるのだろうと思っていたのですが、今日、ボラ仲間の一人が、「福島では癌が増える」なんてことを真剣に話すのを聞いて、ほんとにびっくりしました。

彼女は、「私はいいのよ、もう」なんて続けて言うので、「なんて勇敢なの」と思わずつぶやいてしまいました。
彼女は事故後、講習会を開いた病院の先生から、大丈夫だという話を聞いたにもかかわらず、その後、テレビの報道を見ているうち、だんだんと危ないと思いだし、ついには堅くそう信じてしまったよう。
(口を一文字に、いつにない真剣な顔なんです)

報道機関というのは、どんな知識も応急のかじりでしかないと言うことがわかったので、そっちのほうが私には危なく感じます。
しかも、事は、考え方なんてものじゃなく、現に福島に暮らしている人間の生きていく問題ですからね。
風邪の予防じゃないんですから、危ないと言っておけば何かあったときには大丈夫なんてことでは決してすまず、そんなことしている内に、家族や生活が崩壊してしまう可能性も大いにあるんです。

その責任を報道機関や環境保護団体が取ってくれるかというと、そんなに後まで面倒は見てくれません。
良心で動いているのではなく、人目を引く関心を呼びそうなことに集まるだけ。
結局は、自分たちのことは自分たちで決めるしかないんです。
すでに、福島ではそれを体験しつつあります。

でもそうやって放射線が健康に大きな影響を及ぼすだろうと思いながらも福島に暮らしているなんて、さぞやつらいだろうなあと思います。
娘が来ても、早く帰りなさいと追い返すと言ってました。
彼女だけでなく、避難している方も、野菜はだめ、米は出すなと言われる農家の方も、いろんな方が、実際の危険性はどうあれ、精神的に苦しめられているのは確かです。
お金でははかれない、大きな、大きな、ダメージです。
こんなのに長く耐えられるなんて、福島県人は偉い!と、他県出身の私は思います。

彼女は、久々に県外の友達に会おうと計画したら、「頭洗って来てね」とも言われたんだそうです。
そのときは何にも考えず、「洗って来たよ」といって会ったそうなんですが、あとで意味を知り、ぐさりときたそうで。
当たり前ですよね。
「事故以来頭洗ってなかったんじゃないの」なんて私は冗談で飛ばしましたが、話を聞いてるだけでもぐさっときましたもん。
親友だったという彼女のぐさりは、なおさらだったと思います。
そういう、形のない失ったもの、今の福島に住む人たちには誰もが、多かれ少なかれあると思います。
そういう損失って、屋根や建物と違って、なかなか修復できないですよね。

posted by じゅうよっつ |16:40 | 健康 |