2011年09月12日
シンポジウム~放射線についての
今日も朝から放射線についてのシンポジウムに参加してました。 7月には、日本の専門家の方々のお話を伺い、今回は、日本と海外から放射線の専門家を呼んでの会議で、このところフル回転してるので、だいぶ頭が良くなった気がするんですが・・・残念ながら、あと2~3日もしたら、元に戻ってるでしょう。(あ~あ) シンポのあとの記者会見も参加できたので、記者会見なんてはじめて生で見るし、どんな質問がでるのかわくわくしてました。 ・・・しかし、ほとんどの質問が、別に、今回訊かなくても、既にどこかで訊いているような質問ばかり。 質問者によっては、シンポジウムには参加してないけど、と言う記者さんもおられて、今、福島では(全国でも)一番と言ってもいいくらい大事な問題なのに、会議の内容も知らずに?と、ちょっと??? 質問の手が上がらなくなるまで、という方針でしたが、海外からの講演者の方々の飛行機の時間で切り上げになってしまい、それでも3時間くらいあったのになあ。 結局、ほとんどの質問は、その前のシンポジウムや以前に専門家の方々のお話で得た知識でこたえられるものでした。 同じ質問を別の人からも訊いてみようということだったとしても、同じ質問ばかりというのは、記者の皆さん、勉強不足は否めないような。 あまりにももったいない感じでした。 結局は、放射線はALARA(As low as reasonably achievable 放射線は合理的に達成できる限り低く)の法則で対処すべきということと、蓄えた情報をもって自分のものさしで判断する事が大事ということを、頭だけでなく気持ちの上でも理解できるか、なんだと思います。 例えば、今の福島では公的にも個人的にも除染に関心がよせられてますが、それは除染を必要とするくらい汚染されていて住民が危険にさらされているのかというと、そうではなくて、放射線はできうる限り低く、という原則にのっとってやってるわけで、効果という意味では、むしろ精神的な不安を取り除く方が大きいということになります。 また避難は必要か?というと、さんざん今まで、福島の線量がどれくらいで、それはどれくらいのものなのかという情報は得ている訳で、それを元に、自分はどうしようと各自の社会的、経済的な物差しで長いスパンで判断することだということなんです。 誰かが決められるものじゃないんです。 (もっと重大な状況だったらべつですけど!) 講演でも会見でもたびたびあがった、チェルノブイリやスリーマイルで一番深刻だったメンタル面での支えが、これから(今でも)福島にも必要になるというのも、心すべき事だと思います。 今は、いろんな情報が入りすぎるのも、辛いところです。 たとえ親切に言ってることでも! 質問の中でどなたか海外の講演者の方が言ってました。 日本の放射線研究は、世界の中でも最高レベルだと。 情報公開も、今まで世界であった原発事故や核実験からみると、比類のないくらいオープンだったようです。 (多分、幸か不幸か、民主党には、自民党ほど隠す力がなかったということもあるでしょうが・・) 誰の言うことを信じていいか分からないと、信頼に値する科学者の言うことまで疑ったり、何か隠していると恐怖感をあおる(つもりはなくても!)のは非現実的で、時に非常に思いやりのないことになりそうです。 北海道のロゴ「試される大地」をちょっといじらせてもらって(御免ね、北海道の皆さん)、「試される福島」です。 負けますまい! 将来、福島の例が原発や大きな災害対処の模範になる事を願って!
posted by じゅうよっつ |21:43 | 健康 |