2011年07月10日
福島で、最近のこと
最近のことつらつら。 福島の放射線量は、期待しているほどの雨はふらないとはいえ、雨と共に、少しずつ下がっているようです。 夕立のような激しい雨だと、短時間(10分くらい)でもちょっと下がるので、それがもう少し頑張って降り続けるか、日数が増えてくれれば、だいぶ下がるのではと思います。 頑張れ、福島の雨雲! 福島市の公園や学校の校庭の土は、ほぼ入れ替えが終わったようです。 これで放射線量はかなり下がって、報告では、10~20分の1以下になりました。 もっとも、子供たちはあまり気にしてなかったようで、うちの近くの中学では、入れ替えの時を除いて、その前も後も変わりなく課外活動に励んでいましたが、これで、親御さんも安心できたと思います。 取り除いた土は、漏れないようにシートをはって、多分校庭のどこかに埋めているはずですが、将来それをどうするのかは気になるところですけど。 人にもよると思いますが、見たところ、もう福島市民はほとんど、普通の生活です。 マスクをしている人も、見かけません。 (暑いですしね) 一時は、100均のレインコートを品薄にしたという雨も、以前通り、少々の雨なら、自転車も歩行者も濡れたまま行ってます。 ボラをやってて、いまだ、放射線について不安の残っている方も割といるのは感じますが、ぱにくるというのは、そうそう長く続くものではないようです。 何より、それでは身が持たないですから。 それよりも、私たちは、ここで暮らして行かねばなりません。 その代わり今は、確実な情報を求めています。 一時マスコミやネットで流れた(今でもあるのでしょうか?)、恐怖心をあおるような異常に”危ないよ””やってはいけないよ”情報、専門家であっても総合的に考慮されていない情報、パニックを連鎖させるような福島を無視した環境保護運動に惑わされることなく、科学的に冷静に理解しようとする動きが、少しずつでてきている感じです。 何もかもが怖く見える状態におかれても、人間、それが長いと、時間と共に冷静さを取り戻してくるものです。 これでやっと、ともすれば政治的意図や環境保護のために利用されて、いかにも福島はその犠牲になってもいいように(内部から見ると)あつかわれる情報に心をいためることなく、生活ができるようになります。 まだ、完全とは言えませんが。 それにしても、原発事故の前から思ってましたが、私たちって、かなりテレビや映画に影響を受けているんですね。 現実に大きな何かが起こったとき、それが、まあ映画のように1時間や2時間で収束するとまでは思ってなくても、誰かが責任とって、誰かを責めていれば、数ヶ月、長くても1年や2年くらいたてば収束するものだと、わりと楽観視しているところがあります。 そうでないことに気づいたとき、それを受け入れる事のできる入れ物を持ってないのは、大変な不幸です。辛い仕事になります。 本当は、それを受け入れることから、始まるんですよね。 受け入れることで、じゃあ何をすればいいのかが、見えてきます。 原発事故が起こったことは事実、放射線が降ったことも事実。 それをゼロにすることはできません。 つまりは、これまで通りに暮らすことが100%できるわけではありません。 でも、必要以上に収縮させることもない。 もともとどこに住んでいたって、ここは日当たり悪いけど広い、ここは一寸環境よくないけど予算には合うなどと、折り合いを付けることはしばしばで、100%の満足など、ないわけですし。 そこの見極めです。 原発が最終的に、何十年とかかって収まるというのは、原発事故の起こった当初も、チェルノブイリや他の事故を見ていても、分かっていたこと。 しかしもちろん、事故当初のような、福島から脱出したほうがいいのか?、というような緊急の事態がそれだけ長く続くという意味ではないということも分かっていたこと。 それなのに、いまでもマスコミで新たな事実のように報道されて、え~っ!と驚くのはもう疲れました。 そう応じればマスコミの気には入るでしょうが、こちとら暮らしています、生きています、福島で。 もうこれからは、少しずつではありましょうが、賢明な方向に暮らしていきたいところです。 ところで、この数日、少し大きめの余震があります。 先日も、アパートのエレベータが久々に止まり、6階まで汗を流しました。 これはきっと、私が、もう大丈夫だろうと、うちの食器を食器棚に戻したのを、地震のやつめが気づいたせいなんです。 お、戻しやがったな、よしよしそれなら脅してやろう、と。 地震は意地悪、忘れた頃にやってくる。
posted by じゅうよっつ |21:37 | 暮らし |