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2011年05月06日

地震と原発と

福島市はほとんどのところでは、ちょっと見たところ、依然と同じように建物が建ってますが、その実、建ってはいるけど、壁や瓦がはがれたところ、塀が崩れたところ、ビルの鉄筋がむきだしだったり、タイルがはがれる危険があって網が被さっているところ、「頭上危険」とコーンをおいているおうちもあります。

しかし徐々に、確実に、復旧作業も進んで、一番ひどい土砂崩れの場所も、傾いた家々はまだそのままですが、工事の方々のおかげで、道路はもうすっかり前の状態に戻りました。
沿岸の地域でも、きっと、津波さえなかったら、あれだけたくさんの犠牲者もでずに、被害だってこれくらいですんだんじゃないかなと思います。

それに加えて原発。
余震は、だんだん小さく(といっても、大きい余震もありましたが)少なくなりますが、原発が、だんだんひどくなるのには参りました。

地震のニュースをみていたはじめの頃、普通に外に出ている被災者の方々を見てよく、「えっ!?」と思ってました。
それから思い直して、あ、そうか、外に出られないのは原発のせいで、地震のせいじゃないんだから、福島だけか・・・。

そのころは、原発は目が離せない状態どころか、SF映画ならわくわくすること間違い無しのアップダウンの激しいニュースが毎日のように飛び込んできて、しかも「原因分からず」とか「どこからか煙が」というような分からないことづくめ、毎日テレビから目が離せない、一番、精神的に辛い時でもありました。

加えて、放射線についても、危ないという漠然とした、あるいは極端な報道ばかりで、理論で考えてこれはしてはいけないということばかり、どうすれば防げるか、影響を軽減できるかが大事なのに、ちっとも今直面している危機に役立つ事を言ってくれないのは、ストレスでした。

福島市は、原発から60kmほど離れていますが、地形や気候のせいか放射線量が割とあって、あのころは、越してきたばかりのアパートの、隣が、階下が、ばたばたしてるなと思うと、急に静かになるんです。
朝に夜に、アパートの前にトラックが横付けされ、荷物が運び出されていく・・・避難がはじまっていました。

もっともだと思います。
だって、ただ危ないだけ聞いて、危ない程度がどれくらいかなんて誰も言ってくれないんですから、自分の身は自分で守る以外すべがありません。
でも、だんだん静かになっていくアパートに住んでいるのって、何ともいえない、世界に一人だけ取り残されていくような不安感、焦燥感・・・。
こんなことが現実にあっていいものなのか、という理不尽な思いでした。
こんな経験、まずないし、もう絶対、あってはならないことです。

うちも避難を考えたことは考えました。
「早くおいで、部屋はあるから。ペットも連れておいで。アメリカ人は出国してるよ。どうなってるの?」と言う申し出も、私がいい返事をしないので、何度もいただきました。
うちが避難しなかった理由は、一応年相応に責任がある旦那の仕事が一番ですが、入手困難なガソリンと、3匹のネコもありました。
海外はともかく、どこか県外か会津にでも避難するとして、既にガソリンスタンドは長蛇の列でしたし、高速は不通、一般道路は混雑しているだろうし、どこまで行けるかもわかりません。
もし公共の交通機関にのれたとしても、ネコ3匹と一緒には無理です。

そんなとき、1つとても助かったのは、福島県がいち早く、長崎大の先生を県の健康リスクアドバイザーにしてくれたことでした。
これで、すくなくとも福島県では、情報が一元化できたのは、大きかったです。(福島県庁、GJ!)
避難しないのは既に決めてましたが、これで、しっかり、大丈夫だと腹をくくれました。

公共の交通機関がなんとか回復(それでも朝早く並ばないと行けなかったそうですが)したころ、旦那の職場でも、若い方々は避難されました。
そのころはもう、上の長崎大の先生の講演(自分の書いたのをリンクするのは気が引けますが、内容はここにあります)も福島市で行われていて、どれくらいのリスクなのか、正しく予防すれば大丈夫だと分かってはいましたが、それでもこれから先の長い若者は、被爆は少ない方がいいわけですしね。(それに仕事も、当面は片づけが主ですし)

放射線は花粉やゴミと同じように取り扱えばいいということで、私たち(そのころは同伴出勤)も、マスクをしての外出、帰ると、上着や鞄はコロコロできれいにし、手を洗い、頭からシャワーを浴びてました。
着ていた洋服は洗濯。

食べ物も同じです。
洗って食べる、もっとも、野菜や果物って普通あらってから食べますし、汚染されたものは規制を受けているので、問題ないわけですけど。
水は、今まで使っていた(交換時期がとっくに過ぎてますが・・)活性炭の浄水器で十分です。

まだ原発は100%収束なわけではないですけど、多分、これ以上、大気に大きな放射線量をもたらすような事はなさそうで、あとは地面に残る放射線が減ってくれるのを待っています。
(実際、雨の度、確実に落ちています)
もう、今は、避難していたアパートの住人も徐々に、旦那の同僚も帰ってきて、今日から新年度も始まり、やがて新しく同僚になる方々も来られます。

これから一番気を付けないと行けないのは、放射線自体よりむしろ、ストレスかなと思います。
先の山下先生のお話では、チェルノブイリでは、甲状腺癌よりそちらの方が大きな問題だったとか。
ストレスによる肉体的、精神的な病気は、福島県をこれから長く苦しめるかもしれません。
放射線の怖いのは、甲状腺癌(子供)だけじゃありません。そういう風に包括的に健康管理をしないと、意味ありません。
だからこそ、できるだけ、あまりくよくよせず、明るく生活をしていくのが賢明になります。

まだ気を付けないと行けないのは、お子さん。
広報にもでてますが、特に外で土にまみれて遊んだ手をそのまま口に当てたりしそうな小さなお子さんは特に注意してあげないといけません。
大きなお子さんなら、マスク着用で帰宅後、手洗いやシャワーです。
洋服はしっかりコロコロか、洗えばOK。
あと、外出前のビタミンCも有効のようです。
おそれず、ちゃんと食べて飲んで(否、お酒)健康に過ごすことが第一です。

しかし、今回は、地震も、津波も、原発も、神様っているの?と思うほど、度を超していた事だけは事実です。
もう一度書きたい、もうこんなことは今回だけでたくさん!

posted by じゅうよっつ |20:41 | 暮らし |