2010年09月08日
許される悪と許されない悪
きっと地元の北海道では、大騒ぎですよね、鈴木議員の実刑確定。 ニュースで見ていて、田中角栄さんの逮捕の時を思い出しました。 あのときも、地元・新潟の反応は、他の地域の反応とは全く違ってました。 それだけ、地方の生活の厳しさというか、ギャップというか、そんなものが、今でも変わらず存在していると言うことだと思います。 どうも今の世界を見ていて(おっきく出たな!)、こんな四角四面でいいのだろうかと心配になることがしばしばあります。 今の世の中、これはいいこと、これは悪いこと、と一律に決めすぎている気がするんです。 人間のすることですからファジーでいい、というか或る程度はファジーであるべきだと思うんですが、それが、世界が大きくなってそんないちいち”気持ち”で決めるようなわけにいかなくなって、条文だけがこの世を采配するすべてのようになると、本当に私たちにとって必要なものまで失われているような気がするんです。 例えば、時代劇の遠山の金さんなんかでは、同じ悪いことをしても、それが利己的な、悪意でやらかしたことか、情や義理にかなったことだったかによってお裁きは違ってくるわけです。 本当に金さんがそうだったかはさておき、そういうファジーだけど誰もが納得できるような許容の仕方って、失われては行けないと思います。 それは人間性を失うことのようにも思われます。 それならロボットでいいわけですもんね。 ならどうするか?というとそれがまた難しそうなんですよね、こんなに大きくなった世界では。 やはり地方分権は、もっと促進されないと行けなさそう。 味気ない世の中って住みづらそうで、すでにそうなりつつありそう・・。
posted by じゅうよっつ |19:43 | 考えごと |