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2010年05月19日

S&G「オールドフレンズ」

実は去年の誕生日に旦那からもらったDVDなんですが、今頃感想。
(見てすぐは感動が大きすぎて、ちょっと冷やしました。)

アメリカにいたころ、ポール・サイモンのコンサートに行きました。
ポールの汗さえ見える距離でみたコンサートは、昔のS&Gの曲も織り交ぜ、そのころ傾倒していたブラジルやアフリカの音楽の影響を受けたヒット曲など、コンサの応援じゃないけど、ほとんどたったまま2時間は沸きに沸いて終わりました。

それを翌日、ボラをしていた水族館で話したら、「あの坊やのような人ね」と、ほとんど興味なさそうに言ってのけた友人。
ああそうかもしれないなあと、そのとき思いました。
様々な人種のいるアメリカであっても、平均の体格は日本人の感覚より縦も横もずっと大きい。ポールの背丈では、きっと思春期の頃からそんなコンプレックスをもっていたんだろうなあと、思い当たりました。

S&Gに興味をもったのは、彼らの全盛時代のずっと後で、TVで80年代のニューヨークであった再結成コンサートをみた時からでした。
ポールは曲作り、アートは歌い手として、互いになくてはならない人間がペアを組んだのだから最強であるはずなのに、この2人には友情とともに反発する気持ちも同居しているのが容易に想像できました。
たぶん、アートのほうは、ポールの歌を愛しポールを理解し、ポールあっての自分でもあることも理解していたのでしょうが、ポールは、そう頭で分かっていても、やはり自分の曲なのに賞賛を浴びるのはアートであることにコンプレックスが重なって、受け入れるのが次第につらくなっていったのだとおもいました。

そうやって別れた2人でも、やっぱり互いを必要としていることには間違いなく、80年代の再結成コンサートでは、ポールは、自分が今目指す音楽はアートと一緒だった頃とは違うものだという立場を貫きながらも、やっぱり2人で音楽をやるのはいいなと思う自分がいることを認め、アートもそれを歓迎しているのが、とても美しく思えました。(それで好きになったんですが)

そして、2003年のコンサートのDVDを見ていて、2人の友情はさらに変化したと感じています。
コンサートでの2人のトークも、たとえば、アートが「ポールと会ったのは11歳の時で、劇”不思議の国のアリス”で僕はチェシャネコの役だった。ぼくたちの友情は今年で50周年だ」というと、ポールが「僕は白ウサギの役だった。主役だよ。アートはネコで脇役、もちろん重要なね。一緒に歌い始めたのが13歳で、喧嘩し始めたのは14歳の時だから、今年で喧嘩を始めて47周年になる」と冗談交じりに切り返したりで、2人のそれぞれの互いに対するそれまでの思いをうかがえた興味深いものでした。

既に還暦を過ぎて、やっと、2人、特にポールは、過去の自分たちを口に出して認める事ができるようになったのだと感じました。
ポールにとっては、やっと終わった長い反抗期、アートにとっては遠くなり近くなりしながら見守ってきた時間だったと思います。

そんな2人が奏でるハーモニーは、ゆっくりと真っ直ぐに、伝わってくきました。
年取って過去の唄を唄うとき、経験やそれまでに巡ったいろんな考えが邪魔して、シンプルさを失い、よけいな肉が付く場合が多いのですけど、彼らの音楽は、いまだにシンプルでした。
シンプルなのにさらに深く、切なく感じました、おかしな事に、昔よりさらに強く。

ゲストに出たエヴァリーブラザーズは、あこがれのグループだったそうですが、S&Gはそれを越えていました。
たぶん、EBは意識を一致させるのがそれほど困難でない兄弟であるのに対し、ポールとアートは違っているところから始まった事が、奏でる音楽をさらに人を揺り動かすものにしたのだと思います。
彼らの友情が変化するに従い、彼らの音楽もさらにきわまっていくように思えます。

「自分の曲はアートのおかげで名曲になった」と歌い始める「スリップスライディングアウェー」の2人のハーモニーはとても美しく、また一段とS&Gが好きになりました。
(自分もこんな風に年を重ねたい。)

posted by じゅうよっつ |21:46 | 考えごと |