2008年03月11日
笑いはキジの羽根
唐突な話で恐縮ですが、この頃ぼんやり考えていたことです。 ユーモアとか、他愛ない笑いとかは、生活していく上で絶対必要なものかと言われると、はたして、衣食住と同じくらい必要とは断言できないかも知れません。 確かに、明日のお米にも困っているとか、病気で苦しい思いをしているとか、恋人にふられたとか、目標を前に挫折したとか、「そんな時に笑っていられるか!」と言われたら、「いや仰るとおり」とお答えするしかできません。 でもそんなとき、冗談を言って笑い飛ばす人を、不真面目と呼ぶか?というと、そうとも言えないですよね。 困窮した時でもユーモアを忘れない、笑う余裕がある、というふうにとらえることも可能です。 笑いって、もしかしたら、オスのキジの、あの広げるときれいな羽根と同じかも知れないと思いました。 オスのキジの羽根は、メスを惹きつけるためのものですが、でも、きれいで立派な羽根が、キジとして生きていく上に何のメリットにもならない(むしろ、邪魔かも、目立ちすぎかも)のは明らかです。 ではなんで、そんな羽根の善し悪しなんかで、メスは相手を決めるのか? 生態学の偉い先生は、「そんなでかくて邪魔な羽根を手間かけてきれいに手入れしても立派に生きていけるほど強いんだ、ボクは」ということを示しているのではないかという見解をだしているそうです。 オスのキジの羽根は、生きていく上の”余裕”のあかし。 笑いもそんなんだろうな。 コメディーものが好きでよく見るんですが、その中で生きている人たちは決して希望に満ちた裕福な生活をしている人たちばかりじゃない。 でも、そんな毎日を笑い飛ばせる強い人たちに、きっと私は惹かれるんだろうなと、ぼんやり考えていたのでした。
posted by じゅうよっつ |20:38 | 考えごと |