2008年08月15日
恩師ツムさんとの再会
8月某日 23時過ぎに僕の携帯電話に一本の電話がかかってきた。 相手はABちゃん ABちゃん「純平さん久ぶりっすねぇ」 純平「久しぶり。元気?」 ABちゃん「今から友達と一緒にお店に行きたいんすけどいいっすか?」 純平「OK待ってるよ」 そして10分後 ABちゃん「ウィ~ス!友達連れてきたー」 ABちゃんの巨体(体全体がデカクなってた)の後ろにいたのはなんとツムさんだった。 ツムさんは、コンサドーレでハングリー精神と緻密な仕事を叩き込んでくれた 僕の恩師である。 ツムさんは仕事の打ち合わせで帰札していて、夜ABちゃんと食事をして純平の店に寄って行こうかと言う流れになったそうです。 ツムさんと前にお会いしたのは昨年の12月。ツムさんの結婚式。それからは電話で何度か話したくらいで久しぶりの再開だった。 久々にツムさんと飲んだ。ABちゃんとは初めて飲んだ。お互いの近況やABちゃんのおめでたい話で盛り上がった。 家族のように一緒に生活していた仲間と一緒にいるととても懐かしい気分になった。自分で店をやるようになって一年間親方をやっていると、ツムさんの説教が懐かしくなった。子供だったABちゃんがいつの間にか大人に・・・なっていなかった・・・。 ツムさんに会うと何故かホッとするのはどうしてだろう。 次はツムさんの話を書こうかな
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2008年04月03日
浜松の親父 その4
スタッフの送別会の席での事 その日は飲みなれない日本酒(八海山)を相当飲み(飲まされ?) 僕は酔い潰れてしまった。 帰りに監督が、酔い潰れた僕をタクシーに乗せようとしてくれた・・・らしいが、 通行人に監督がばれはじめた為、コーチ陣が気を使って監督を最初にタクシーに乗せた・・・らしい。 普通はお酒の入る席でも、監督がいればスタッフは気を張っていて、酔えないものだけど・・・その日の僕は・・・やらかしていた・・・らしい・・・ その日の記憶は全く無く、次の日にスタッフから聞かされた。
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2008年03月25日
浜松の親父 その3
監督はカラオケが得意。 何度か監督とカラオケに行った。 最初の頃は 「俺はカラオケに行ってもあまり歌わない」 と言っていたのに、実際に行ってみると大嘘でカラオケ大好きだった。
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2008年03月20日
浜松の親父 その2
監督の自宅にてお好み焼きパーティ 札幌ドームのサブグラウンドでの練習後にスタッフルームで 純平 「お好み焼きが食べたいですね」 ツムさん 「俺のお好み焼きとネギ焼きはうまいよ、大学時代によく作ったから」 純平 「じゃあ今日監督の家でお好み焼きパーティでもしますか?」 と冗談で言った。 すると 監督 「じゃあ俺ん家に19時な」 え??本当にやるの?? 洗濯が終わるのは早くても20:30位 小さい声で 純平 「ツムさん本当にやるんですか?」 ツムさん 「お前が言い出したんだろ!」 純平 「じゃあ強制でタケ(当時サブマネージャーの竹原)も参加ね」 クラブハウスに戻り洗濯物を放置し、後で帰ってきてからやるしかないなと腹を決め ホットプレートを担いでタケと地下鉄で監督の家に向った。 ツムさんは買出しに行ってくれた。
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2008年03月13日
浜松の親父
前コンサドーレ札幌 監督 柳下正明 氏 僕が3年間仕えた監督。現ジュビロ磐田コーチ マスコミや練習場でのイメージでは厳格な人。 常に厳しく、真面目で、サッカー人という印象があると思いますが、 僕の印象では面倒見がよく、お茶目な人。 ああ見えて、コンディションのいい日は、超ハイレベルなオ○ジギャグを連発する。 そんな前監督のプライベートな一面を書いてみようと思います。
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2008年03月07日
開幕戦
いよいよ開幕ですね。 毎年、期待と不安でドキドキされている方が多いのではないでしょうか。 開幕1週間くらい前から選手の目も戦闘モードに入り 練習にもよりいっそうの緊張感が増してきます。 長いキャンプを終え、体も頭も追い込んできたチームと 充電満タンのサポーターが明日鹿島スタジアムで爆発する事でしょう。 残念ながら僕は現地に行けませんが、TV観戦にて応援します。 ケガ人の分までみんながんばれ!!
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2008年03月04日
2004グァムキャンプ その5
グァム滞在中のある日の夕食後、 いろいろと買出しを頼まれて一人でレンタカーを運転して Kマートに行くことになった。 ホテルのフロントで行き方を聞いて、地図をもらい出発。 慣れない左ハンドルの車に右側通行 右左折の度にどの車線に入っていいのか混乱した。 ようやく運転にも慣れて来た時にとても恐い思いをした・・・
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2008年02月21日
2004グァムキャンプ(その4)
キャンプのスタートでは毎日、午前、午後の2部練習がおこなわれる。 午前はフィジカルトレーニング。当時のフィジカルコーチは東海林さんでとにかくよく走った。選手はハートレートモニター(心拍数を測るもの)を身につけトレーニングを行い、そのデータを東海林さんが分析して次の日のメニューを組む。 午後はボールを使ったトレーニング。これはすべて監督が行う。 午後練習が終わると、柳下監督の指示で疲労回復のためプールでのウォーキングをした。 「今日はプールを○往復」と練習後に指示する。 筋肉を冷やしたりといろいろ効果があるらしい。 その時、事件が起こった。
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2008年02月15日
2004グァムキャンプ その3
グァム到着後預けていたチーム荷物を一人4個くらいづつ受け取り運ぶ事になった。 流れて来る荷物を選手もコーチも手分けして運び、出口付近で僕が荷物リストにチェックを入れていき、予め荷物につけて置いた番号を選手に読み上げていってもらった。 荷物がすべて揃っている事を確認し、手配してあった現地の運転手付きのトラックに積み込んだ。そしてホテルに向うチームバスに乗り込もうとした時マネージャーは言った。 マネージャー 「何かあった時のために純平はトラックに乗っていって」 純平 「わかりました」 正直困った。 運転手はグァム人、僕は英語が話せない。 まぁなんとかなるだろうと、トラックの助手席に乗り込んだ。 見るからにボロボロで、いつ止まってもおかしくない様なトラック。 窓はない。暑い。スピードメーターも動いていない。無言の車内。 それでも合宿地になんとか到着。 ホテルのスタッフが荷物を運んでくれた。 トラックの横でこれはマッサージルーム、これはエキップルーム、グラウンド等指示をしているとマネージャーがやって来た。 マネージャー 「今日の練習時間が確定した、40分後に練習開始、間に合うか?」 純平 「なんとかします。」 到着から40分後というのは相当厳しかった。 練習着をスーツケースから出して選手、スタッフに配り、ランニングシューズを渡し、水を用意してボールに空気を入れて・・・・・ マネージャーにグラウンドの準備をお願いして僕は選手やスタッフに急かされながらなんとか配り終えグラウンドに向かい、練習開始前のグラウンドミーティングにギリギリセーフで間に合った。 無事キャンプスタート。 続く・・・
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2008年02月13日
2004グァムキャンプ その2
グァムへは新千歳空港→東京一泊→成田→グァム。 キャンプ出発の2日前に東京のホテルに荷物を送り、練習用具は当日チームバスと飛行機で運んだ。東京のホテルに1泊し翌日成田空港からグァムに出発。東京のホテルでも荷物がすべて揃っているか最後の確認(もう何度も確認したが心配だった) グァム出発の朝、チームがスムーズにチェックインできるようにチームより一足先に運営担当の渡部さんと門脇さんと僕の3人で成田空港に向った。荷物を預けるカウンターには長蛇の列。100個位の荷物をどうしようか、もたもたしているとマネージャーの雷が落ちる、どうしようと考えていると 門脇さんが「ちょっと待ってろ」と言い残し空港関係者と話している。 するとなんと荷物カウンターをチーム専用にあけてくれた。 さすが門脇さん。 チーム荷物を預け終わるとチームも到着。すべてがスムーズに流れ飛行機に搭乗。 グァム到着までスケジュールを確認し爆睡(移動は寝る時間)。 ここまでは順調だったが到着から練習開始までが大変だった 続く・・・
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2008年02月12日
2004年グァムキャンプ
僕にとって2シーズン目で初めてのキャンプがグァムキャンプでした。 監督も柳下監督に代わりコーチングスタッフもみんな代わった。 キャンプの準備をする為に宮の沢のクラブハウスに10日間泊まりこみ準備をした。 その頃は一週間程度札幌ドーム内でトレーニングをしてからキャンプに出発だった為、毎朝6時起床。札幌ドームに向い練習の準備→練習→クラブハウスに戻り洗濯→次の日の練習の準備。 それらがすべて終わってからやっとキャンプの準備が始まる。 まずキャンプに必要な物リストを作る。 練習用具や練習着はもちろん、ビデオデッキ、ビデオカメラ、ビデオテープ、変圧器(日本とは電圧が異なる為)、お世話になるホテルやサッカー関係者へのお土産(白○恋人)。 このお土産は練習試合の対戦相手にも渡したところとても喜ばれた。 トレーナーの治療機械やテーピング関係もすべて預かる。(キャンプの途中から監督のマイ枕も加わった) チーム荷物の数は100個以上。 毎日準備が終わると午前3時をまわっていた。 続く・・・
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2008年02月06日
連載を再開します
一ヶ月以上サボっていましたがブログ更新します。 現在チームがグァムキャンプ中ということで 2004年のグァムキャンプの頃の話を書いてみようと思います。 キャンプの準備から夜一人でレンタカーに乗り買出しに行く途中の怖い想いをした話など。 その後に 「キャンプ秘話」 など、どんどん書いていきますので是非読んでみて下さい。
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2007年12月28日
蹴玉の男達2 外国人編vol2
すべてのきっかけはホベルッチだった。 2003年、MF背番号10番。 当時、ホベルッチは日本にすごく興味があり、日本語を勉強中でした。 覚えたばかりの日本語をよくしゃべっていた。 新人のホペイロの僕に、 毎日新しくおぼえた日本語で話しかけてくれた。 片言の日本語を話すブラジル人が面白く見えた。 そこで、片言のポルトガル語を話す日本人も、 ブラジル人にとって面白いのではと思い、勉強を始めた。 次の日の朝から勉強は始まった。 先生はホベルッチ。(以下ホベ) ホベ 「オハヨウゴザイマース」 純平 「オハヨウゴザイマス、ブラジル何?」 ホベ 「ボン ジーア」 純平 「ボン ジーア ホベ」 これから毎日 「~、ブラジル何?」 「~、ポルトゲース何?」 「~、ポルトゲース オケ?」 と、徐々におぼえて言った。 ホベルッチもまた知りたい言葉を僕に良く聞いてきて、 お互いに勉強しあった。 続く
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2007年12月27日
蹴玉の男達2 外国人編vol1
良いクリスマスを過ごせましたでしょうか? 当店のクリスマス会も無事終わりました。 サポーターの温かい気持ちに大変感謝しております。 蹴玉の男達 第2弾は外国人です! コンサドーレ札幌の 元自称外国人担当だった純平がエピソードをお話します。 コンサドーレには、 毎年いろんな外国人が加入してきます。 実際に僕がユニフォームを洗濯した外国人は、 15人! 2003年 ジョアン マルセロ マザロッピ トーレス チャンさん ウィル ベット ホベルッチ ウリダ ビタウ アンドラジーニャ 2005年 徐 デルリス 2006年 フッキ セバスティアン みんな本当の友達になりました。
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2007年12月26日
蹴玉の男達1 堀井岳也vol.2
岳さんと僕のある日の会話をお話します。
ある冬、
練習場にはいつもベンツでご出勤の岳さんが、
その日はタクシーで登場。
僕は、クラブハウスの玄関前を除雪をしていた。
純平 「岳さん、おはようございます!」
岳さん 「事件が起こったぞ!」
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