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HN:たじ たこ焼きの移動販売「ほっと12」の店主です。 2001年からコンサドーレのサポートシップスポンサーを継続中。 このブログは旧題「たじ争論」でしたが2010年より「たじの○○な話」に改題致しました。 個人的に好きなことや興味のあること、気になったこと、その他いろいろを特にサッカーやコンサドーレにとらわれずに適当に書いてこうと思ってます。
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2008年01月23日
米米CLUBを聞くようになったのは1993年頃。それまでは「FUNK FUJIYAMA」や「浪漫飛行」といった曲は知っていたけど、特別興味を持つことはなかった。1992年に「君がいるだけで」が大ヒット。しかし、それでも「流行ってるなぁ」と思うだけだった。 それが変わったのは翌正月の音楽番組。「タモリの音楽ステーション」というタイトルだったと思う。この番組で米米CLUBは約20分かけて約20曲のメドレーを歌った。大編成バンドの様々な楽曲を20曲も一気にたたみかけられて圧倒されてしまった。米米CLUBのステージは音楽エンターテイメントショーである。歌あり、踊りあり、コスプレあり、笑いあり、涙あり。楽曲そのものよりもそのステージングに魅せられてしまった。大がかりなセットに小芝居。コンサート全体が一つのストーリー、作品となっていて見るものを飽きさせない。米米CLUBの場合はCDよりもライブビデオが必見である。片っ端からこのライブビデオを買って繰り返し繰り返し見た。もちろんファンクラブにも入り、札幌でのコンサートに行くのはもちろんのこと、代々木体育館や東京ドームにもコンサートを見に行った。 さて、そんな米米CLUBだが、大所帯のメンバーということで、それなりにメンバーの入れ替えもあった。しかし、1995年、初期からのメンバーであったギターのジョプリン得能、ドラムのRYO-Jが脱退したのが大きな転換点となった。ファンの目から見ても、この二人の脱退により米米CLUBは先が長くない事が感じられた。結局1997年に解散することとなる。私の米米CLUB熱も強制終了。 その後それぞれのソロ活動となるのだが、私はエンターテイメント集団の米米CLUBが好きだったのであり、メインボーカルのカールースモーキー石井がソロ歌手石井達也として活動したのを見ても、あまり心は動かされなかった。 米米CLUBは2006年に再結成され、現在も活動している。解散から再結成まで9年。その間に私の中では米米CLUBは「楽しかった思い出」になっていた。先日発売された最新のライブDVD(3枚組)を買って見ると、さすがに懐かしさがこみ上げてくる。やってることは変わらないなぁ、でもみんな歳取っちゃったなぁ、なんて感慨にふけりながら。 【ポイント】 解散しちゃおしまいよ。 【コンサに寄せて】 消滅しちゃおしまいよ。
2008年01月22日
札幌市のコンサドーレに対する支援概要が固まったようだ。 札幌市、コンサ補助金減額へ 貸付金は期限明示 新年度支援 コンササポとしては大変にありがたく、また内容も妥当なものだと思う。 ・80%減資に応じる ・補助金減額、打ち切り年度を決める ・融資は返済期限を定めた長期貸し付けにする ・融資の元金は少しずつでも返済させる ・抜本的な経費抑制策の実施などを条件 最後の「抜本的経費抑制策」というのが具体的にはイメージしにくいのだが、あとは各年限をいつに定めるか、という議論になると思う。期限を定める、ということは大切である。その期限から逆算して計画を立て、遂行していく。そうしなければいつまでもダラダラと計画を達成できないままになってしまう。私は「五段階計画」に対して期限が定まっていないことが問題であると、これまでも批判してきた。今度こそ、きちんと期限を定めた計画をHFCが立てることを期待している。 こうなると、問題は北海道のほうである。道は市よりも一段とHFCに対して厳しいスタンスであることは以前から言われていることである。しかし、できれば、是非とも道にも札幌市と同程度の内容で支援をお願いしたいと思う。期限については札幌市よりも厳しめでもいいと思うが。 道と市では事情が違うというのは十分わかるのだが、実際には札幌及び札幌圏の人口は北海道全体の4割を占めるわけで、様々な問題について道と市は連携し、足並みを揃えていくことが必要だと思われる。その点で高橋知事は自民党系、上田市長は民主党系ということがなにか足かせになっているのではないか。選挙となれば互いが互いのライバル候補を応援しあう、という関係である。積極的には協調しづらい、距離を置いた関係になるのもやむを得ない。国会も「ねじれ国会」だが、北海道も「ねじれ北海道」といえるのではないか。こういうところも微妙にコンサドーレの問題に影響しているように思う。
2008年01月21日
昨日から急にネット上を賑わせている読売新聞の記事の話。 J1札幌、道・市が10億円無担保融資…事実上回収不能 この記事は北海道ローカルではなく全国ニュース扱い。 それがYahoo! JAPANのトップページにも掲載され、2ちゃんねるの「芸能スポーツ速報板」でもトピが立ち、コンサドーレオフィシャルブログ内でも、このことに言及するエントリーが数多くあがっている。 でまぁ、この記事なのだが、コンサドーレの経営状況を批判した最後に「経営陣は、地元紙の北海道新聞社OBが社長、専務の主要ポストを占める。」で締めているところから見ても、読売による道新叩きの意図が強い。新聞社同士ってのは常日頃から互いの足の引っ張り合いをするわけで、今回の記事はコンサドーレがそのネタに使われてしまった、というところだと思う。コンササポとしては腹立たしい思いもあるが、反面、自分の興味の薄い話題だと、そういう新聞社の意図に気が付かずに「そうなのか」と納得してしまっている事ってたくさんあるのだろうな、という想像もつく。 内容についてはいまさら「19日わかった」じゃないだろうに。読売さんは19日まで知らなかったんですか(笑) 確かに、HFCがいかに公的資金に寄りかかった経営をしてきたか、という指摘自体は間違いではないが、「事実上回収不能」という決めつけは妥当ではない。融資の返済については今のままではいつまでたっても不可能だから、減増資して経営を健全化して、将来的にきちんと返済できる体制を作りたい、というのが今回の話なはず。返す気がないなら問題をただ先延ばしにすればいいのだが、そうではなく健全化するための第一歩としての減増資である。 ただ、今回の減増資問題、HFCのやりかたに問題があるのだと思う。減増資する、というプラン自体はいいとして、「減増資すればその後本当に経営は健全化するのか?」「融資を返済するためにどういう筋道を立てているのか」ということに答えられていない印象がある。減増資して債務超過さえ解消すればなんとかなる(Jからの条件クリア)、みたいな安易な考えは許されない。そもそも、こんな重要な問題は事前に十分な協議、根回しをしておく必要があったはず。減増資計画が公になった時点では関係各所了解済みというところまで進めておかなければならなかった。もし批判があっても、それはそれとして粛々と計画を進められるように。そうすれば、今回のような記事を書かれることもなかっただろうし、仮に書かれたとしても、ダメージをあまり受けずに済んだはず。 さて、そんなことを言っても書かれてしまったものはしょうがない。なかったことにはできない。サポーターの日常の中でも、今回の読売の記事を含めてコンサドーレに懐疑的な批判的な議論は存在すると思う。その時に「読売批判」で反論するのは「議論からの逃げ」「逆ギレ」と受け取られかねない。ここはなんとか理論武装したいところなのだが、児玉社長のいう「コンサドーレは道民の財産で、つぶしてしまえば大きなマイナス。」では通用しないと思う。ここは一つ一つ丁寧に説明をして、理解を求めることが必要だろう。将来的には公的資金に依存しない自立した経営を目指しているということ、一つ一つの事柄がそのベクトルに向けて進められているということ、将来道民に「コンサドーレを潰さないでよかった」と言ってもらえるようなクラブ作りを進めるのだということ、サポーターもそれを目指して頑張っているのだということ、そういうことを丁寧に語っていきたいと思う。 「コンサドーレは道民の財産」というのはクラブ関係者やサポーターが言うのではなく、サポーター以外の人にそう認めてもらって初めて意味のあるものである。そう言ってもらえるように、私なりにできるだけの努力をしていきたい。
2008年01月21日
浜田省吾。55歳。ロック歌手。 浜田省吾(通称浜省:ハマショー)を聴き始めたのは大学生の頃。友人に勧められたのがきっかけだった。その友人には佐野元春も勧められたのだが、佐野元春には興味が湧かなかった。当時はアルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」が出ていた頃で、その中の曲「MONEY」が結構評判だった気がする。友人に浜省を勧められた私は、とりあえずレンタルレコード(まだCDは普及していない)店で彼のデビューアルバム「生まれたところを遠く離れて」を借りてきて聴いてみた。その1曲目「路地裏の少年」を聴いた時は、衝撃を受けた。「あぁ、これだよ、これ。俺が求めていたのは!」 以後近くにあるレンタルレコード店に置いている浜省のレコードは片っ端からレンタルして聴いた。そうした頃、発売になったのが名アルバムの誉れ高い「J.BOY」。1986年発売。「J.リーグ」をはじめ、この「Jナントカ」っていう呼び方のハシリは浜省の「J.BOY」と言われている。この「J.BOY」は2枚組LPで、その時点の浜省の集大成であり、かつ浜省のアルバムの中でも最高傑作といわれるものである。学生時代はあまりお金もないので、レコードはほとんど買わず、レンタルばかりだったのだが、さすがにこの「J.BOY」は躊躇なく購入した。その後は浜省にどっぷりである。ファンクラブに入会し、札幌で行われるコンサートには欠かさず行った。 浜省は社会派ロックである。広島出身のためか、戦争や核といったテーマの曲もにも正面から取り組む。年齢を重ねても、永遠のロック青年のように思っていた。がしかし、1996年に発売されたアルバム「青空の扉」からは全く違う印象を受けた。永遠のロック青年だと思っていた浜省がなんだか年相応のものわかりのいい中年になってしまったような・・・実際中年なんだけど・・・そんな印象だった。ロックな浜省はどこいっちゃったの?? 自分の気持ちの中では、このアルバムは受け入れられなかった。何事も時間と共に変化していくもの。浜省も年齢相応に変化していく。そういうアルバムだったということなのだろうけど、思い入れが強いとその変化を受け入れられない場合があるのだ。私の場合はこの「青空の扉」がそれだった。 その後はコンサートにも行かなくなってしまった。でも、今でもたまにライブDVDを見ると「やっぱ浜省はいいなぁ」とは思う。 【ポイント】 思い入れが強くて変化を受け入れられなかった 【コンサに寄せて】 結構難しい問題だと思う。コンサドーレも常に変化していく。柳下監督時代に思い入れの強い人の中には三浦監督のサッカーが受け入れられないという人もいたと思う。選手も監督も戦術もチーム状況も、常に変化していくのがサッカークラブの常。できればそういう変化の中でも変わらない「コンサドーレ魂」みたいなものを築くことができればいいと思うのだが。
2008年01月20日
今日は「コンサドーレキックオフ2008」。
いよいよ今期のコンサドーレが始動。
三浦監督も2年目。
その手腕には大きな期待をしている。
コンサドーレには独特の地理的事情がある。
シーズン前のキャンプが長い。
3月、4月は雪のため練習に苦労する。
アウェイの移動が常に長距離。
こうした事情に対して、昨シーズンは三浦監督も時折とまどい、悩むようなコメントをしていたように思う。監督は岩手出身なので、雪や寒さに対するイメージはできていたとは思うが、実際に監督をやってみるとなかなか思い通りにいかないことはあったようだ。
その点、2年目はそういったことも事前にわかっているし、きっと三浦監督なりの対策というのも考えている事だろうと思う。
思えば、岡田監督も柳下監督も1年目より2年目のほうが良い結果を残している。チーム事情がその時々で違うので、それをもってすぐに三浦監督の2年目に結びつくかどうかはわからないが、備えあれば憂いなし、きっと三浦監督は良い備えをしていると思う。
三浦監督の2年目に大いに期待してます!
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