2007年11月30日
持ち株会のこと(すがさんの質問に答えてみる)ー下
岡田コンサドーレが昇格するとき、HFCは市民に出資を呼びかけて、サポーター持株会を作りました。そのとき私は仲間とともに1株分の出資をした。この時、私は髪の毛一本分にしかすぎませんが、でも確かにコンサドーレ札幌の髪の毛一本分のオーナーになったんです。 この時は、エメルソン基金とも言われ、エメルソンが去っていくと侃々諤々の議論が起こりました。その喧噪の中から石水さんが立ち現れて「本当の狙いは、サポーター持株会を筆頭株主にて、名実ともにコンサドーレ札幌を市民クラブにしたかったんだ」と言い、サポーターの集会を指さして「ここは事実上、株主総会だから」と言ったとき、私は今までこの日本にはなかったまったく新しいものが誕生した現場に当事者として立ち会っている、という興奮を覚えました。 クラブをなぜ自分は愛するのでしょうか。 それは、自分の子どもを愛することと似ているんだと思うんですよ。自分の子どもが、劣等生で、運動音痴で、強さ、美しさに欠けたとしても、それを理由に、子どもを愛せなくなる親はいないでしょう。自分の子どもを愛するのは、優れているからなのではなく、その子が自分の遺伝子を受け継いでいるからなんですね。 コンサドーレ札幌を愛するのは、このクラブと私が同じDNAを共有しているからなんだと思うんですね。ここで「DNAとは一体何だ」と追求しないでください。私もわかっていません。でもやはり同じDNAを共有している。愛は合理的には説明できません。 確かに経済的合理性を追求していけば、市民クラブは横道なのでしょう。強くなるためには、徹底した合理性、明快な目標、確かな責任と強力な経営力が必要なのだと思います。しかし、合理性ばかりを追求し、「市民」を排除していくクラブを私は愛せないでしょう。 経済を追求するあまり、経済的な投機の対象、資本家の金儲けの道具となってしまったクラブならば、不採算部門だとリストラされるようになっても、だれも救おうと思わないでしょう。「市民クラブ」という理念は、横浜フリューゲルスの解散やベルマーレからのフジタの撤退という企業クラブの危機に対して、それを乗り越える理念として登場した時代もあったんですよ。 確かに今「市民クラブ」はダメなのかもしれませんが、ダメじゃない「市民クラブ」のあり方を、私たちみんなが知恵を絞って作ることは可能だと思うんですよ。時間はかかるかもしれませんが。 で、それができるのはやはり日本の中ではコンサドーレ札幌であり、明日の勝利はその第一歩なのだと。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー すがさん。 長々と書き散らしましたが、やはり答えになっていませんね。あまりの難問に対して、力不足ということでお許しを。 それはそれとして、明日、頑張りましょう。
posted by hibari |22:59 | コンサドーレあれこれ | コメント(4) | トラックバック(1)