2007年06月26日
監督のコメントはなぜ面白くないのか
コンサドーレについてあれこれと考察してみるコーナーを作りました。第1回目は監督のコメントです。 コンサドーレ札幌の歴代の監督の中で、三浦監督のコメントは格段に味気ない。聞いていてまったく面白くない。他の監督のコメントと比べても、とても当事者とは思えない他人事のようなコメントです。 これは思うに、性格的にぶっきらぼうというのではなく、コメントから相手に何らかの手がかりや、ヒントを与えないようにしている。すなわち、三浦俊也という人の行動は、すべてが「結果」を出すために捧げられていて、監督コメントすらも、「結果」のために、プラスか、マイナスか、という計算づくで出している、そのことの現れなんだと思います。 例えば、審判にゲームを壊された21節のアウェイ愛媛戦で、この時の監督は 「今日は特にありません。質問もなしでお願いします」 ※その後、質疑応答などは行われず、三浦俊也監督は会見場を退席しました。 と珍しく感情的になったとあります。これは審判に対して激しい怒りを見せることで、連勝が途切れたショックから選手たちの心を少しでも離そうという計算の上のジェスチャーだったと思うんです。 逆に今節は、今シーズンを占う大一番で、監督の作戦どうりの、おそらく会心の試合だったと思うんですが、それはおくびにも出さずに、コメントは、 「ヴェルディの方は現実的なサッカーはやっているなと思いましたし、やはり付け入る隙はないという印象は持ちました」というもの。 「つけいる隙はありません」と言いながらも、絶対に「付けいる隙はセットプレイだ」と考えて、そのための作戦を練ってきたんだと思うな。しかし、そんなことは一言も言わない。 ところで、Jの監督の中で三浦監督ぐらい選手として実績のない人はいないんです。大学時代は駒澤大学のサッカー部でしたが、終生控え選手だったようで、大学卒業後は養護学校の教諭になっています。そんな人だから、監督として、プロサッカーの世界の中で生き続けるためには、「結果」を出し続けるより無い、というところがあると思うんです。(このことについては、これからいろいろと考察してみたいと思います) 逆に、選手として実績のあった人は、たとえばジーコのように、純然たる「結果」を超えてロマンみたいなモノを選手やチームに求めたりする。で、そういう人が監督になると、実にコメントに感情があふれていて、面白いんですよね。 たとえば、例えば第4節のラモス監督のコメントはこんなもの。 「遅れてすみません。これは僕が悪いんじゃなく、名波がうるさくて(笑)。勝ったから3日間休ませてくれって言ってきた。しょうがないからベテランは3日間休みにしました」(笑)。
posted by hibari |01:13 | コンサドーレあれこれ | コメント(8) | トラックバック(0)