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2007年06月08日

コンサレーレへの道・第1回『マラドーナを見た(1)』

 サッカーとの出会いは、間違いなくマラドーナです。
 あれは、小学校だったか、中学校だったか、高校生だったかの、夏。
 メキシコ・アステカスタジアムでの5人抜きを、私は生放送で見たんです。

 家の商売の関係で、うちの両親は早く寝ます。
 深夜放送に目覚めたばかりの私は、両親が寝たことをいいことに、深夜に起き出して、イレブンPMだとかの、子どもが見てはいけないテレビを見ようと2階からテレビのある居間に下りていきました。つまり私は、不良の入り口にいたんですね。

 その日、いつものように両親が寝静まったのを確認し、居間のテレビのスイッチを付けて、音量を最小にした。ややしばらくして映ったのは(昔のテレビは映るのに時間がかかりました)、見たこともない巨大なスタジアム。ビッシリと埋め尽くした観衆の熱気と歓声に、思わず引き込まれてしまった。偶然、86年のメキシコワールドカップの中継を見てしまったんです。

 今では、ワールドカップが始まる何年も前から大変な騒ぎになるのに、当時は今、まさにワールドカップの決勝トーナメントが行われているというのに、新聞やテレビでもほとんど話題にされませんでした。プロレスのように深夜にマニアだけが見る番組でした。当然、次の日学校でも、だれもワールドカップのことなど話題にしません。

 しかし、私は何か引かれるものがあって、次の日も、両親が寝静まるのを待ってテレビのスイッチを付けました。その時、ちょうど放映されていたのがアルゼンチン対イングランドだったんです。
 
 この試合、マラドーナの1点目は「神の手」ゴールとして、マラドーナの狡猾さを示すものとして語れますが、すごかったのはゴールのシーンではなくて、「神の手」にいたる直前の動きなんですね。
 
 マラドーナは、ディフェンスラインでボールにさわったかと思うと、スルスルと敵味方のプレーヤーをかき分けてあっという間にキーパーと一対一に。その間、数秒の動きがとても人間とは思えなかった。回りのプレーヤーは本当に時間が止まっているかのように凍結して見えた。リアルタイムで見ていた私は、トムから逃げるジェリーのようだ、と思ったことを、今も記憶しています。
 
 自分がサッカーを見ているという自覚もない、ましてこれがワールドカップということですら解っていない子どもの私でも、マラドーナの動きに、スゲーと思わず引き込まれてしまいました。

 明らかなハンドですので、イングランドから執拗な抗議があったりするはずなんですが、その記憶がありません。おそらく、スタンドも、選手も、マラドーナの動きにキツネにつままれてしまったんだと思いますよ。
 
 でも、本当にすごかったのは、この後です・・・・(続く)

posted by hibari |00:15 | コンサドーレへの道 | コメント(3) | トラックバック(0)