2013年07月24日
劣勢時こそ声を出す
松本山雅戦のアウェイゴール裏は、ビッグフラッグからの~12のタスキー!をやった。 この流れ久々なかんじ。 これに至るまでには札幌から重たい布の運搬、たくさんの時間をかけてのタスキの準備、 長さを計算したうえでフラッグ上部を持つ人たちへの声かけ、協力呼びかけ、流れの確認... などなどたくさんの工程と力が必要とされている。 フラッグやタスキを出した下では「ねじれないようにだけ気をつけてー」「そこ離れてるー」 「もうちょっとだから頑張れー」なんてやり取りがされている。 これを見たり参加したりするたびに、中心となっている彼らの頑張りに感謝をする。 コレオもそうだけど、頭で描くのと実際に行うのとでは大きなギャップがあるのだと思う。 実行に移すまでにはこちらに見えない失敗や陰の努力が本当にたくさんあるんだろう。 USへは何かあった時の批判ばかりが目立ってしまうのだけど、 こうやって応援の良い雰囲気をつくってくれていることを心に留めていたい。 別にUSやゴール裏が偉いのだと言いたいわけじゃない。 自分とは違う応援スタイルの人がたくさんいるけれど、みんな同じサポーターなのだからと。 松本山雅戦でのハーフタイムだったと思うのだけど、 コールリーダー氏がののと話す機会があったということを話していた。 応援はどうかと聞いてみたところ、ののは「劣勢の時にもっと声がほしい」と言ったという。 劣勢の時の声が小さくなっていることに気づいていたんだな。流石ののだわ。 それを受けて、「前半は1-0で勝っているけれど後半に必ず劣勢の時間が来る」 「良い時間も悪い時間も来る」「その時をしっかり後押ししよう」という話をしていた。 (正確な言葉は覚えていないので私の解釈と思ってもらえれば) 劣勢時に声が小さくなるのは私もいつも気になっている。 最初は意気込んで声を出していた人たちも、 相手に押されている時や失点後は黙って手拍子もせずに腕を組んでしまったり。 アウェイよりもホームでよく見かける光景。 なんでよー!こういう時こそ声を出さなきゃでしょー!って思う。 極端なことを言えば、勝っている時にサポーターは必要無いというのが持論。 流れが良い時は黙っていても選手はノって良いプレーができたりする。 点数が入れば私たちが喜ばなくても選手は喜ぶ。 サポーターの力が試されるのはむしろその逆の時間。 こちらも嫌になるようなやられっぱなしの時間、帰りたくなるような腹立つ時間、 野次りたくなるような覇気のない時間...。 そういった時こそ力を届けることができるのがサポーターではないのかと思う。 力を与える、というよりも"一緒に気持ちを盛り上げる"という感覚に近いかも。 コールリーダー氏はこうして、より良い応援を常に模索しているのだなと感じた。 そしてその気持ちを汲んで言いづらいであろうこともはっきり言ってくれたのの社長。 お互いに信頼関係がなければできないこと。 チームと同じく応援もこれから色々なことに挑戦していくだろうから、失敗もある。 その時に単に失敗を批判して終わらせるのではなく、 じゃあどうすればより良くなるかなという方向に気持ちを持っていけたらいいなと思う。 良くないなと思うことがあればネットで彼らを中傷するのではなく、 自分の意見を伝えて話し合うことができれば尚良い。良い雰囲気をつくっていきたい。
posted by ひとみ |22:01 | コンサ徒然 | コメント(4) | トラックバック(0)