2011年10月14日
ゴールキーパー
GKは、ひとりしか試合に出られない。 戦術によって選手が入れ替わったり、数人を試してみるということも稀。 固定されている正GKが変わることはチームとして良い状況ではないことが多い。 素直にGKの選手の入れ替わりを喜ぶことも難しい。 恐らくみんな、GKになったばかりの頃は、そのチームの誰よりも上手かったんだろう。 小学生や中学生の時に、ほとんど試合に出られない下手なGKだったら 違うポジションをやりたがったに違いない。5年も6年も我慢してGKをやろうなんて思わない。 試合に出られないとつまらないから。 背が大きいからという理由でGKを押し付けられた選手も結構いる。 でもプロの道へ進むと決めた時にGKだったならば、GKとしてプロになる自信があったはず。 自分ならば試合に出られるだろう、すぐは無理でも自分はこのチームの正GKになれる、 そんな自信があるからこそプロを目指したんだろう。 どのポジションもそうだけれど特にGKの場合は 一年目から試合に出ることは難しい。 チームのGKが怪我であったり不調でない限り、消去法でない限り出番はない。 プロのスピードに驚くばかりで、下手をすると自信を失う年となるかもしれない。 最初は「まぁGKだしそんなもんだ」と思っているかもしれないけれど 同期の他ポジションの選手はどんどん試合に出たり、めきめきと上手くなっていく。 そのうち後輩ができると、後輩も試合に出るようになっていく。 焦るし、落ち込むし、なんかやっていることも意味がないと感じてしまったり。 「あー、俺もGKでなければ今頃試合に出てたかもなー」なんて思ったり。 そうすると、GKのメンタルは気づけばどのポジションの選手よりも強くなっている。 他ポジションの選手に対して、試合に出られないから何だっつーんだよとか、 それくらいでイライラしてんじゃねぇよとか、 たらたら歩いてんなよ死ぬ気で走りやがれとか、思っているかも(想像)。 一試合も出られず、引退を余儀なくされるGKもいる。 どれだけ上手くなっても、上達していても、本人の頑張りとは裏腹に。 だから私は「努力は必ず実る」とか「努力は裏切らない」という言葉が嫌いだ。 努力は、自分の未来を見据えることができるもの、嘘をつかないもの。 一試合も出られなかった選手は、果たして引退の時に何も手元に残らないだろうか。 そうは思わない。 先の人生がサッカーに関わらなかったとしても、素晴らしく逞しい人間になっている。 全員が試合に出られる可能性は他ポジションよりも低い。 それでもチームには3、4人のGKを置く。 試合中にGKが退場になったら困るし、怪我でGKがいなくなったら困る。 競争相手がいなければ上手くはなれないし、目標がなければ鍛えられない。 チャンスは平等。けれどみんなに平等に出場機会が与えられるわけではない。 GKのローテーションなんて、選手たちは望んでいない。 実力がすべての世界だからこそ選ばれたいと願う。 チャンスを掴めるかどうかは本人の努力だけでは難しく、時には運も必要だ。 それでもみんなが正GKを目指す。誰に言われたわけでもなく、自分で決めた道に責任を持つ。 だから私は、そんなGKたちみんなを誇りに思う。 今日の朝刊の斉藤さんのコラムを読んだら、なんだか書きたくなった。 写真パネル展“守護神編”、待ってましたーっ!
posted by ひとみ |23:18 | GK | コメント(2) | トラックバック(0)