2011年04月27日
目に見えない宮澤の姿
ホームでは内容が悪くても勝て、とも思うのだけど 実際内容が悪くて勝ったら、こんな内容で勝っても意味ないなんて言っちゃう。 勝ったけど面白くなかったな~なんて勝手なことを思ってしまう。 その都度の成長や出来たところを、しっかりと見極められるようになりたいものだ。 成長というのは必ずしも結果に繋がらなく観ていても判りづらいので、 なんだよ何も変わってないじゃないと思ってしまう。 こんな堂々巡りは、サポーターとしていいかげんやめなければとハタと気づく。 選手が成長しているのに、サポーターが成長せず足を引っ張っていてはいけない。 「またあの選手がミスをした」 と思うことは、心のどこかに「またあの選手がミスするんだろう」という思いがあるから。 ひとつミスをしただけでも「ほら見ろミスした」とつっつく。 例えば宮澤がミスをひとつしただけで、「また宮澤か」なんて言われてしまう。 いつまででも去年と比べるなんて、選手がかわいそうだ。 そういうミスはひとつも逃さず目ざとく見つけるのに、 良かったところには全然気づいてもらえない。すべての行動がマイナスにとられてしまう。 今回の失点は宮澤がボールをとられたことがキッカケだったけれど その前後もなかなか問題で。平川さんが少し宮澤をフォローしてくれていたけれど。 チームプレーなのだから、誰かひとりのせいで負けるなんてことはあり得ない。 狭い狭ーい偏見を捨てて、今のコンサドーレをしっかりと観ていなければ。 それができなければ、例えコンサが優勝してもアジアNo.1になっても いつまででも悪いところ悪いところを探し続けるに違いない。 そんなサッカー人生じゃつまらない。 1点もとれなかったらそりゃ勝てない。 私には、チームを背負っていく宮澤が、 もっと有名になって大きな舞台で活躍する宮澤の姿が見えるんだけどなぁ。 「また」という言葉を使ってしまう時は、目に見えるものしか信じられていないんだろう。 頑張っても頑張っても認められないのなら、 頑張る方も疲れてしまうだろうなぁ。頑張る気力を失ってしまう。 選手に聞いてみたら、宮澤を戦犯にする人はいないだろうと思う。 むしろ逆なんじゃないかな。宮澤みたいにプレーしたい選手はたくさんいるはず。 サポーターとして、それをわかってあげられる眼を持ちたい。
posted by ひとみ |23:59 | 選手戯言 | コメント(7) | トラックバック(0)