2011年04月08日
「自己犠牲」しないで
阪神大震災の時に、被災地を助けたい一心でボランティアに向かったけれど 無理をして体調を崩してしまう方々がいたという。 なんと表現して良いかわからない心苦しさ。 この先もみんなで生きていくためのボランティア、支援活動であるはずなのに。 一生懸命頑張ってくれて本当にお疲れさま、ゆっくり休んでねという思いと 自分を犠牲にしてまで一生懸命になってしまっては命が勿体無い、という思い。 自分の命の危機と隣りあわせで仕事をする消防士は、自分が生きて帰ることが大前提だという。 自分の命をかけて要救助者を救っても、 現場で負傷してしまっては自分が"要救助者"になってしまう。 もちろん救出を諦めるわけではなく、2人分の命を救うということだ(実際には3人とか4人かも)。 そのために日々訓練を行なっている。自分を犠牲にしないためにも。 健作が時々、チームのために黒子となって走り回る芳賀ちゃんのことを 「自己犠牲」という言葉で表現していた。 あまり聞かない言葉だけれど、意味はなんとなくわかる。 確かに芳賀ちゃんは試合終了の笛が鳴るまでびっくりするくらい走るし、 練習を休養にあてても試合はまず休むことがない。 それをチームのために自分を犠牲にしている、という見方もある。 でも芳賀ちゃんの頑張りを、犠牲と言ってしまうのはなんとなく違和感がある。 得点が足りないから、自分でも点を取りたいといっていた。 無回転シュートを(誰にも求められないながら)決めたくて練習している。 クライトンの分も走れと言われて2倍走っていた(←懐かしい話)。 チームのために自分ができることを探して極めているのであって、 決して犠牲プレーをしているわけではないはずだ。 自分のポジションを確立するために、自分がチームに必要となるため頑張っている。 自分を犠牲にしてまで走るというにはちょっと語弊があるのだ。 芳賀ちゃんの素晴らしきプレーの数々は、多くの若手選手に見習ってほしいところ。 というかあんなにすごい選手と一緒にプレーしていたら 自分はその倍頑張らないとなどと自然と思ってくれないと困るんだけどなー。 いつまでも"自分なりの頑張り"では、 芳賀ちゃんと同じ年までプロで居られると思うなかれ(←偉そう)。
posted by ひとみ |23:56 | 選手戯言 | コメント(3) | トラックバック(0)