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2011年12月31日

架け橋の3年。

 さて、今年も終わり。

 石崎コンサは3年かけてJ1昇格を果たした。石崎コンサの成果、それは

 トップとユースの融合

 これが最も大きなものと言えるのではないだろうか。ヤンツー体制からコツコツとユース組織を強化してきて、少しずつトップ昇格を果たす選手も現れてきた。そんな中09年には古田が、10年には三上が、今年は荒野がトップ帯同。トップとユースの融合をより踏み込んで行うようになった。
 徳島戦の奈良の颯爽デビューは誰もが驚かされたし、僕も含めてユースにあまり気を配らなかったサポーターにもコンサユースの実力や動向が俄然注目を浴びるようになった。プレミアリーグEASTでは初代王者、奈良をはじめとして5人がトップ昇格。これからコンササポの間ではプレミアリーグと言えば「ユースはどうなった?」が合言葉になるに違いない(笑)。

 もちろん、四方田さんをはじめとする育成スタッフが優秀な人材を育てて支えてくれていたからこそであることは言うまでもないし、ケガ人などでユースの選手を“学徒動員”せざるを得なかったという事情もある。が、実際にユースの選手を見てトップの監督が起用しなければ出場は叶わないわけで、たとえば大迫のようなゴールデンルーキーだったり大卒の即戦力を引っぱってくることが難しいコンサでは(お金の面は抜きにしても地理的なハンデがある点で)いかにユースからトップに選手を供給できるかはクラブの存続に大きく関わってくる。四方田監督と石崎監督のしっかりした連携があったればこそ今年は実りの多い年になったのではないだろうか。

 上里がFC東京にレンタル移籍となってヤンツー門下生がいなくなった。特に将来コンサを背負って立つはずだった大伍・征也を移籍させてしまうことになったのは長期的に見ればマイナスの面が大きいと思う。彼らの移籍に関してはひとつは成績の低迷があるし、もうひとつは経営のまずさがある。成績を出すことができなかったという意味では監督に責任があるということにもなるだろう。
 石崎コンサは宮澤を我慢して使い続けてきた印象が強い。石崎監督(とフロント・経営陣)は宮澤の能力の高さに惚れ込んだこともあるが、同時に宮澤に#10を与えたことからして大伍や征也に代わるコンサの大黒柱を育てたいという意向もかなりあったように思う。活躍すればより上位のクラブに引き抜かれる。それが宿命であるとしても宮澤には札幌の“中心”選手となってもらいたい。
 宮澤は純貴と共に08年の三浦コンサでデビューしている。クラブとしては三浦コンサはいろいろと微妙な2年間ではあったが、それでもここまで2人ともトップの選手として在籍している。僕は宮澤は過去の体制と石崎体制とをつなぐ存在であると思っているので宮澤には能力の高さを見せてほしいと同時にクラブの道筋をつなぐ活躍をしてほしいと思っているのだが・・・。

 鄭容臺・箕輪など三浦コンサの時から補強も単にレンタルに頼るのではなく完全移籍を前提に獲得してきているというのはあるが、石崎コンサではクラブの選手構成の指針も少しずつ確立しつつある。去年から今年にかけての補強は大量離脱を純平の完全移籍、河合・山下の獲得でカバーしたが、これと見込んだ選手をピンポイントで獲るというのが多かった。まあ、これに関しては石崎監督が偉い!ってんじゃなく三上強化部長の手腕が大きいんだけど、このへんも監督の意向とフロントの意向が噛み合ったというのは理由のひとつとして挙げられるだろう。

 いろんな意味でタイミングがうまい具合に重なった。それは間違いない。プロセスで言えばヤンツー体制、結果で言えば三浦コンサの美味しいとこ取りってのはちとシニカルに過ぎるかもしれないけど(苦笑)、ただ、この3年間で作り上げた架け橋はそう簡単に崩れるものではないと思う。単にJ1昇格ができたから成功、というのではなくて、いろんな失敗や回り道をしてやっとクラブの方向性が固まってきた3年間だったのではないか。三浦コンサの時と違う昇格の喜びを味わえるのは選手とサポが一体感を持つことができたからというだけにとどまらず、カッコいい言い方をしちゃえばクラブのアイデンティティとか色とかいうものの輪郭を明らかにしつつある3年間だったのではないか。

 強くなるのも難しいことだけど、強さを維持するのはもっと難しい。
 ともあれ、久しぶりに幸せな気分で年を越せることに感謝することとしましょうか。

posted by フラッ太 |12:00 | ちょっとカタい話 | コメント(2) | トラックバック(0)