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2007年06月11日

なんだこれ?<変なトラバ

今まで、実に平和に過ごしてきたコンサ隊のブログでしたが、
本日のエントリーにわけのわからないトラバが付きました。

削除しましたが、
また付きました。

いたちごっこも疲れるので、
しばらく、トラバを受け付けない状態にいたしました。

なんだかなあ・・・<`~´>


他のブログにも付いているようで・・・・
せっかくの楽しいサポ交流の場を荒らすな!!

posted by No.1 代表:くー |22:52 | コメント(0) |

2007年06月11日

『龍時』を読んで我が監督を思う

週末に『龍時』3巻を読破しました。

リュウジは17歳。
リーガエスパニョーラの「ベティス」というチームにいて、
途中出場で、流れを変えられる選手として、スーパーサブの位置にいる。
(ちょうど、今のスナさんのような)


「これからリュウジはどんな選手になっていくんだろう」と、
続きが楽しみな終わり方なのですが、
作者の野田尚さんは2004年急逝されており、
本当に本当に残念ながら、この続きはないのです。
無念。



野田さんは、アドバイザーである中西哲生さんとの対談の中で、
この3冊の本の狙いをこう語っていらっしゃいます。

1巻~日本人のアイデンティティーを描く
2巻~スペインを熱く伝える
3巻~監督論


3巻の『龍時 03-04』で、

リュウジは飛び級で「アテネ五輪」の代表選手に呼ばれ、
アテネ五輪で強豪国と戦います。

そのアテネ五輪チームを率いる監督として
「平義楯夫」なる人物が登場します。

その監督の経歴。

中盤の選手だったが、Jリーグ開幕を待たず、30歳で現役を引退し、
私費でドイツに渡り、コーチ留学を始める。

苦労して国家試験に合格し、ドイツのライセンスを習得する。
ドイツ二部のクラブのユースチームの監督になり、成績を残す。
その後、解任された監督のあとを受けて、トップチームの監督となり、
3年目に1昇格を果たす。
日本サッカー協会の招聘を受けて帰国し、五輪代表監督となる。


上のような経歴な人なので、
その監督哲学は、<ドイツ仕込み>なわけで、

読み進んでいくと、我がチームの監督と重なってしまう部分が出て来ます。


「守備に自由は存在しない。
 攻撃は個人で局面を打開できるが、ディフェンスは1人ではできない。
最終ラインというのは、自由を追い求めると責任ばかりが強くなってしまうポジションで、個々の判断でやってはいけない」
(平義のドイツ仕込みの守備哲学)

「DFというのは、ボールと相手をできるだけ同一視野に入れるのが鉄則だが、
どうしてもボールを見なければならない瞬間がある。
その空白のタイミングで、相手FWは視界から消えてしまう。
これがDFにとっての『魔の瞬間』で、失点につながってしまう。
それを防ぐには、前にいる中盤の選手が、敵の展開を予想できるようなプレッシャーのかけ方をしなければならない。
サイドに振られると予感したら、パスコースを消し、サイドチェンジのボールを予想しての寄せが必要になってくる。
それができると、いい視野の中で守備ができるようになり、予想できる形でボールを奪えて、効果的なカウンターアタックになる。」
(平義の守備練習)


「守備のオートマティズムはよりよい攻撃につながる。」
(平義の理想)


最後に、平義がドイツでのプロコーチ養成コースで思い知らされたこと。

「何がコーチにとって最も重要な資質なのか。
知識や理論を越えたもの。
ドイツではそれをパーソナリティーと呼ぶ。
単なる個性とか人格を超えたもの。
ピッチにいる選手たちに力を与え、ひとつにまとめる<魅力的な何か>だということ」


サッカーって、本当に奥が深い・・・・

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posted by No.1 代表:くー |11:37 | コメント(2) |

2007年06月11日

スポ新大人買い⑭

どうした?スポニチ!公の記事より大きい!(微毒)

でもニッカンは一面(^-^)/


20070611-01.jpg


<追記>
PCを立ち上げて、見たら、
写真に自分の足が写っていた。。。。(>_<)
あわてて差し替え。。。(大汗)


posted by consatai |09:30 | コメント(0) |