コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2008年06月22日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~第5章~

初めて生観戦した試合で、コンサドーレが勝ったものですから、この日以来私の心は「いつか、札幌でコンサの試合が見たい」、そんな思いがふくらんでいくばかりでした。
しかし、北海道は遠い!旅費も馬鹿にはならない!ということで、参戦を泣く泣くあきらめていたのです。

そして2002年、岡田監督が去り、H氏が新監督として宮崎に来ました。キャンプ地王国の宮崎にいながら、生まれて初めてキャンプを見に行ったのがコンサドーレのこの年のキャンプだったのです。

しかしこのキャンプで、H監督に対して凄い不信感を持った出来事を目にしてしまったのです。ある日、コンサドーレとホンダロックとの練習試合が計画されていたので、期待して見学に行きました。
ところが行ってみると、コンサドーレ対ホンダロックではなく、コンサとロックをかき混ぜて二つに分けての練習試合だったのです。どういう事情や理由があったのかは、分かりません。
「馬鹿にしている!」と思いました。J1のチームとの「試合」を楽しみに来たロックの選手や観客に対して大変失礼なことだと思ったのです。その次見に行った時、キャンプ視察に訪れたラモス氏に対する親密な態度を見て、さらにH監督への不信感、嫌悪感が増していったのです。この年の成績不振前から、H監督と私は合わなかったようです。

でも、コンサに対する思いは全く変わりません。むしろキャンプで選手達を目の当たりにしたことで、ますますコンサへの思いが募ってきたのです。
そして、2002年3月9日のホーム開幕戦、高知春野総合運動公園での対仙台戦に参戦したのです。この時は、大学生の頃に訪れたことのある高知市に、また行ってみたいという気持もありました。

結果は0-1の敗戦。J1の先輩として勝っておかなければならない試合でした。私は、ホーム側のスタンドで一人で「応援」というか観戦していました。
知り合いが一人もなく、かといって応援の輪の中に入っていくのが恥ずかしかったのです。

その夜、また一段と私とコンサを結びつける出来事がありました。そうです、

「大炎会」に初めて参加したのです。

初めは後悔しました。だって、知っている人は一人もいないのです。おまけにコンサのことについて詳しく話せるだけの知識も持ち合わせていません。仕方なく、一人で周りの人にお酌をしながら静かに飲んで食べるばかりでした。

しかし、宴の半ばになりいろいろな企画が進むにつれて、私も酔った為か会場の雰囲気のよさに酔ったのか、だんだん周りの知らない人たちと自然と会話するようになったのです。オークションが始まってからは、もうノリノリになってしまいました。だいぶん顰蹙を買ったと思います。しかし・・

こんな楽しい飲み会があったのか!

しかも、コンサのファンというだけの共通点で集まった人たちだけで・・

試合には負けたけれど、楽しく飲むことができました。酔ってしまいました。ちょっと出しゃばったところもありました。佐賀に住んでいるFさんを知ることもできました。Fさんとの初めての出会いで、私を覚えて頂き、それ以来お世話になっています。

コンササポって、こんなに楽しいんだ!
なんて素敵なチームなんだ!
なんていい人たちなんだ!

まだコンササポ!と呼べるまでにはいっていない私でしたが、コンサドーレサポーターの持つ雰囲気に、魅了されてしまったのです。

高知から宮崎に帰る飛行機はとても小さくてちょっと怖かったのですが、私の心の中は、いつ札幌に行こうかという思いで一杯だったのです。
春野での最後の試合に参戦したのも、何かの縁だったのかもしれません。

私の心の中は

札幌デビューをいつにするのか?

それだけでした。

posted by クラシック |21:28 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月22日

あと30分で・・・

決勝リーグ進出が決まったもの同士の対戦です。
バーレンの選手達は、前回の顔ぶれと代わっているそうです。一部には「手抜き?」という見方もあるようです。

しかし、私は「全力で、勝利を目指して欲しい」と思っています。
そうすることによって、サッカーの神様がついてくると思うからです。

2-0・・・希望する結果です。もちろん日本の勝利です。

posted by クラシック |18:31 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月22日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~第4章~

2001年、J1に昇格したことにより宮崎にも少しは、コンサドーレの情報が入るようになりました。ご近所さんから、「岡田監督を見た」というキャンプ情報も手に入るようになりました。しかし、まだこの頃には、キャンプ見学に行こうという興味も関心も起こりませんでした。

私にグッズをプレゼントしてくれたGさんは、HPを開いていました。私もいつの間にかサッポロビールのHPから、GさんのHPに移って掲示板に書き込むようになりました。

GさんのHPは、いろいろな話題が登場しましたがメインはやっぱりコンサドーレでした。シーズンが開幕すると、余計にコンサの話題で掲示板が盛り上がっていきました。

そして私も、少しずつコンサの話題の中に、入っていくようになったのです。もちろんコンサの話題の核にはいることはできませんので、周辺部をうろうろしていただけでした。それでも、少しずつ少しずつコンサのことが分かるようになってきました。

コンサのことがだんだん分かるようになってくると同時に、「試合を見たい」という気持がわいてきました。そんなことを、掲示板に書き込んだりしました。

そんな時掲示板で知り合ったKさんから、「一緒に見ませんか?」というお誘いを受けました。Kさんは、学生時代を北海道で過ごし、その時は諫早の歯科病院で働いていました。掲示板でのやりとりから、アドレスを交換するようになりました。そして、

2001年7月14日 対アビスパ福岡戦(博多の森)

これをKさんと一緒に見ることになりました。

今では考えもしないことですが、当日飛行機で博多入りしました(!)空港でKさんと初対面。私よりも若いのに安心感を与えてくれる人でした。Kさんと一緒に空港前からバスに乗り、博多の森へ・・・

初めての博多の森、初めてのスタジアム、私は修学旅行で初めて都会を訪れた小学生のような気持でした。なにもかもが新鮮で、なにもかもが珍しかったです。

試合開始が19時1分。その前に夕立があり、スタジアムはほんのりとした爽やかさと草いきれに包まれていました。アウェイ側ゴール裏に座りました。目の前の芝生がとてもきれいで、中に入って触れたくなりましたがさすがにやめました。

試合開始前にコールリーダーが「中央に集まって応援しよう」というようなことを言っていましたが、Kさんがちょっと移動しただけでしたので私もほんのちょっぴり移動しました。

この試合までの私の両チームについての情報は、全く無に等しいものでした。ウィルだけは知っていたと思います。コンサとアビスパとの因縁や、アビスパを苦手にしていることなど、全く知りませんでした。多分Kさんも、内心では私の無知識さに呆れていたのではないかと思います。ところが・・・

ビギナーズ・ラック!

2-0で勝ったのです

10年史によると7分と78分にウィルが得点しています。確実に1点は目の前で得点シーンを見ることができたのです。

初めて見たコンサの試合が、勝利!

こんなことがあっていいのか?と思いました。嬉しかったです。感動しました。もう興奮するだけでした。
嬉しさと感動のために、試合後Kさんからの「飲み会」のお誘いを断ってしまうという大変失礼なことをしてしまいました。「試合後は、飲む」という習慣を知らなかったのです。今だったら、自分から誘っていたのにと後悔しています。

Kさんとはその後も、博多の森や鳥栖スタジアムでご一緒させてもらいました。Kさんが大分の方に移られてから、その後やりとりが無くなり残念に思っています。ただ、Kさんが後押しをしてくれたから、コンサの試合を観る気持になったことだけははっきりしています。GさんとKさん、二人のサポーターの存在があったからこそ、私のコンササポとしてのスタートをきることができたと思います。

初観戦が勝利、しかもアビスパを相手の勝利。競技場の雰囲気、選手同士のぶつかり合い、ボールの音、芝の臭い・・・もはや私の心は
「自分とコンサは、つながっている」
そんな思いで占められていったのです。



※ この文章も大円団に近づいてきました。もうすこし、おつきあいく ださい。
よろしくお願いします。

posted by クラシック |06:57 | コメント(2) | トラックバック(0)