コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2007年12月29日

教えてください

今年も、残り少なくなってきました。
三浦監督の続投も正式に決まり、平穏な気持ちで新しい年を迎えることができます。

と、思っていたら、あることを思いだしてしまい気になり始めました。このままでは、気になって夜眠ることができなくなりそうです。

それは「フッキは、ラモスから車をもらったのか?」

私の記憶によれば確か「得点王になったら、車をプレゼントする」とラモスは、フッキに約束したはずなのですが・・・

どんな車をもらったのかなあ?ちょっぴり、気になります。
情報をお持ちの方、教えてください。

posted by クラシック |18:19 | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月29日

福袋、あ~福袋

オフィシャルの告知で、福袋の販売を知りました。
J1昇格が決まったので、J2仕様のグッズの大量放出が期待されます。何が入っているのか凄く興味がわいてきます。

最近の福袋は、最初から中身が分かっているものもあります。おまけに中身の金額を教えている福袋もあります。そんな福袋は、ちょっとつまらないなと思うわけです。「当たり」か「外れ」か、購入したあとに中身を調べるのが福袋の楽しみだと思うのです。

それからいけば「コンサドーレ福袋」、とても楽しみですね。でも・・
「そんなの、関係ね」
と、札幌や函館から遠く離れているサポーターは、嘆くわけであります。
1月2日に札幌にいれば、必ずや福袋を求めて店の前に並ぶものを・・
本当に、残年です!

ちなみに我が家が狙っている福袋は「ワチ・フィールド」のダヤングッズであります。でも、だんだん厳しくなってきています。

今年は、「ニトリ」様の福袋も購入しましょうか?
あるのかな?

posted by クラシック |17:52 | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月29日

広島、頑張っています!

ガンバ相手に3-1で勝利しました。
見事!としか言えません。
ようやくチームの歯車が、噛みだしたということでしょうか。
これがリーグ戦で出ていたら・・とサポは思っていることでしょう。

一応広島を応援してみようかというくらいの気持ちであります、コンサのいない天皇杯は・・

川崎ー鹿島戦、広島の試合よりも醒めた目で見ています。

posted by クラシック |15:08 | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月29日

20万アクセス記念 お礼の意を込めて 古今泰西審判列伝

神は初めにボールを作り賜いし。次に選手、更に観客を作り賜うた。最後に審判を作り賜えり。ゆえにピーター・サッド列伝第一を作る。

 全てのサッカー関係者及びサッカーを愛する全ての人に、謹んでピーター・サッド氏の死去を伝えなければならない。
 私とサッド氏の関係は、私が「イブニングフットボール紙」の記者としてスタートした年に始まる。取材した人たちに「坊や」と呼ばれていた私に、初めて「ミスター」をつけて話してくれた人がサッド氏であった。その時彼は、こう私に話してくれた。「いいか、君がスポーツジャーナリストとしての道を歩みたいと思うなら、決して選手や関係者と一緒に飲んではならない。何故なら、君が書く記事に必ずや私情が入るからである。そしてそれは、君にも読者にも決していいことではないからだ」この言葉を聞いた時の状況を私は、今でも鮮やかに思い出すことができる。

「神の目と聖母の心を持った審判」といわれ、選手には「ゴッド・ホイッスル」観客には「エンジェル・ホイッスル」といわれ、ある意味で選手よりも愛された審判、それがサッド氏であった。

サッド氏のエピソードを語れば何巻もの書物を必要とするが、私が知る範囲での限られた逸話を紹介したい。

そもそも「壊し屋サッド」と呼ばれていたサッド氏が、なぜ名審判と呼ばれるようになったのか?若き日の彼は、自分が試合をコーディネートするのだという自負に満ちあふれていた。だから選手や観客からどんな罵詈雑言を浴びようと平気だった。しかしある年南米を訪れ、小さな路地で紙を丸めて作ったボールを無心に蹴り合う子どもたちの姿を見た時、サッド氏は思わずその場にひざまづき神に許しを請うたという。「自分が試合を作る」、その傲慢さに我が身を責め、恥ずかしくなったという。

しかし皮肉なことに、それ以後彼は「試合を作る審判」としての道を歩み始めたのである。選手も観客も後半が過ぎ次第に試合終了が近づくにつれて、残り時間を気にし始めた。それは「逃げ切ってほしい」とか「残り時間で、逆転してほしい」ということではなく、「この素晴らしい試合をいつまでも見ていたい」という思いから来るものであった。

イヤーズベストマッチのベストテンの中に、ある年は6試合も彼が審判を務めた試合が入ったこともある。国際大会の重要な試合の審判に呼ばれたことは、数限りない。彼の審判には、絶大な信頼が寄せられていたのである。

今では「史上最強のストライカー」と呼ばれたドーデェ・ゴンザレス選手が初めて彼の審判で試合をした時、氏の判定に抗議をした。その時監督はゴンザレスの活躍が必要だったにもかかわらず、彼を交代せしめたのである。ゴンザレスは当然「なぜ交代させられたのか」、不満であった。しかし自分のプレーを顧みた時、確かに自分の落ち度があったことに気づいたのである。
次にサッド氏に会ったとき、ゴンザレスは謝罪を行った。その時サッド氏は「全てのプレーを神は見ている。そして君の親も同じように見ている。だからこそ、私たちは良心に恥じることなくプレーしようじゃないか」と言ったという。ある意味でゴンザレスが「史上最強のストライカー」の一歩を踏み出したのはこの時だったと言っても過言ではないだろう。

限られた紙面では、これ以上氏の功績を述べるには無理がある。最後に氏に質問したことがある。「あなたは、神の目と言われるほどにその公正公平な審判ぶりを評価されているが、間違ったことはないのか?」と。氏は答えて曰く「私は、人間だ。言えることは、サッカーを愛することには誰にもひけは取らない。だからこそ、プロにはプロなりのプレーを要求し、アマチュアにはアマチュアなりのプレーを要求してきた。」重ねて質問してみた「では、プロとアマの違いは何か?」と。「アマはただ勝ち負けだけを追求していけば、素晴らしい試合になる。プロは勝つことにこだわるだけでは無く、観客を満足させなければならない」「私は私なりに、その状況にあった審判をしてきた。そのことは決して、神に恥じることではない」

ピーター・サッド、今彼は天国のピッチで笛を吹いていることだろう。
我々は彼の死去を悼みつつ、彼の審判ぶりを見ることができた幸せをかみしめよう。

ピーター・サッド、ありがとう。そしてさようなら。

posted by クラシック |00:37 | コメント(0) | トラックバック(0)