2008年02月21日
ナビスコ日程慣れてないので
ナビスコカップの案内があったので つくづくオフィシャルを見て 確認した。 いやはやびっくら。 そうか、室蘭、函館はナビスコだったのか! うーむ。 一番近いので3月23日(日)13:00 川崎フロンターレ戦 室蘭入江運動公園陸上競技場 ときたもんだ。 うーむ。 うーむ。 行くよもちろん! しかし うーむ。 で、次は 5月25日(日)14:00 ジェフ戦 函館市千代台公園陸上競技場。 これは大丈夫だろういくらなんでも。 頑張らなきゃいろいろと。
posted by aru |20:46 | コンサ | コメント(0) | トラックバック(0)
2008年02月21日
故郷1 (日記)
故郷でもなんでもないんだけど 時々 無性に恋しくなり 帰りたくなる場所がある。 あそこだけは なんとなく特別。 わたしが生まれたのは旭川で、結婚して子どもが出来て でもすぐに夫の転勤が決まるまで その土地から離れるということは あまり覚悟していなかった。(←詰めがいつも甘い) 本当は 育児休暇を経て復職するのが希望だったけれども、夫がいないんじゃ話にならない。 いくらつぶしのきく職業に携わっていたとしても、また乳飲み子抱えながら知らない土地で一から やり直すだけの根性がそのころの自分にはなかった。 絵に描いたようなマリッジブルー及びマタニティーブルーを とことん味わった。 (母と祖母は わたしの目につかないように そっと 塩をまいていた 後に聞いた) 初めて住んだ知らない土地。それは富良野。 めっさ 近いわね。今にして思うと。 でも 海外のような気分だった。さみしくてさみしくて。 それも 山すそのようなところに住処があって ベビーカー押すのも一苦労。 免許をとりました。26歳で ぴったり26万円かかりました。 教習所で 仮免落ちました。 泣きました(笑) 一応バリバリ仕事していた名残があったので 怒られるってことに慣れてなかったのかと あとで自己分析。 でも、長男は そこで 新たなジジババに出会う。 こよなく愛され今に続く。 本当のジジ(夫の父)を 「おじちゃん」と言い 富良野のおじちゃんを 「じいちゃん」と呼ぶ。 そのたんびに わたしは気を失いそうになった。 そのあと北見へ。次男はここで誕生(神社じゃないよ ちゃんと日赤で産んだよ)。 そして深川。 そして恵庭。 そして 稚内だ。 (そのあと 札幌の今の場所に) 稚内が無性に恋しくなる時がある。なんでだろう? 海があったからかなあ。とふと思うのである。 内陸育ちの自分にとって 海とは 留萌あたりまで車走らせ(友達の) 泳ぎに行ったり キャンプに行ったり 夏の華やかな そうサザンオールスターズが必ずBGMにあるような そんな場所であった。 ところが。違った。海水浴が出来るのは ある一定の場所で それも2週間ひらければいいとこ。 てか、海水浴した覚えないや。 なんか長くなります。 稚内に初めて行った日のこと。そこでの2~3年。 少しずつ書きたくなりました。画像もなんにもないけれど。 しばし コンサとまったく関係ない思い出話 突入しよう。
posted by aru |20:12 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(1)