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2007年11月29日

戦力外通告 それがどーした

教は じゃなくて今日は 更新意欲がわいて困る。
心にあることを どこかで吐き出さないと 自分の胃がやばいのだ。
ひと月は過ぎると思うが 胃の調子が悪くて お酒のせいだと思って 適当に流して
いたんだけど、普通の粉の おおたいさんみたい系の薬は全然効かず。
結局 ガスター飲んだら効いて。
夫に言われた。 コンサの決着がつくまで仕方ないねと。
胃潰瘍症状そのものでした。現在 朝夕 ガスターのお世話になっております。

戦力外通告がいいタイミングでやってくる。
決められているものを いくらどうこう言っても しゃーないでしょう。

選手たちに伝えたい。届かなくても 書いておきたい。
戦力外通告は 決して あなたを否定した結果ではないということを。

同じような出来事は サッカー界に及ばず どんな職種でもあり得る。

それは 人生の上で 数回 (数十回とかじゃ あんまりだけど) 訪れる岐路。
もちろん、そんなことは プロのスポーツ選手となったならば 当然わかっていることだろう。
じゃなきゃ、プロじゃないよ!

先日の秋田豊選手が引退セレモニーで プロフェッショナルとは何かについて述べていた。
人よりひいでているものはなかった。でも 自分は闘争心があった。
そんなようなことを言った。

プロは自分になんらかの誇りを持っているはずだ。じゃなきゃ やってらんないよね。
その誇りを持っているならばどんな場所でもやっていけるだろう。

戦力外通告 って言葉は 残酷な文字に見えたり 聞こえたりするけれど

ち!が!う!

岐路に立てたことをむしろ喜ぶべきだ。
だらだらやってるより ぜんぜんいいと思う。
まあ 奥さんや彼女がいたり子どもの学校のこととかで悩むくらいならベリーグッド。
あなたたちは 全員 間違いなくスター。
サポーターが馬鹿みたくついてる。だから心配しないで!

鈴木隆行を見よ。 自信が湧くでしょー。 コンサに来ないかな!
へへ ヨートクさんのブログ読んで よだれが出た私でした。

posted by aru |23:45 | サッカー | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年11月29日

コンサ教 辻褄合わせ

思い出す。
初めてゴール裏に行った時のことを。
サルトして、歌って、選手のそれぞれのコールをして。
歌もいろいろあって、覚えてなきゃ 思い切って歌えないし、
選手のコールも覚えなきゃちゃんと出来ないし、
攻める時の応援の仕方、守る時の応援の仕方、
フリーキックやコーナーキックやキーパーが蹴る時の応援の仕方、
なーんにも あやふやなまま、ゴール裏に飛び込んだ。

見よう見まねでやりながら思った。

宗教のようだ・・・ ちょびっとのけぞりそうになったこともあった。

熱烈ゾーンに入った暁には さらに思った。
泣き女にはなりたくないと。

でもある時思った。
これは自分の意思でしていることなんだよな。
決して強制されてここに来たわけじゃないよな。
だから、洗脳でもなんでもない。
歌も応援の仕方も それは共通のものだからするんだ。
それが熱烈という場所で今ある唯一の表現方法なのだ。
一人が増えれば 少しは違う。そんな一人が増えればもっと違う。
そう信じることが出来た。

それを宗教のようだと思う自分と戦いながら 結局は そこが大好きだ。

人が泣こうがわめこうが悲鳴をあげようがため息をつこうが、
許せなくても、そんな感情に支配されている時間があるなら 応援する。
これは、教えてもらったことでもあり、しっかり体得してきた気持ちでもある。

応援は、わたしは信じることの表れだと思っている。
だから、どんな方法でもいいと思っている。場所が違っても。

あの場所で 歌もうたわない、手拍子もしない、でもとりあえず立っている。
いわゆる地蔵と言われる若い男性を知っている。覚えてしまった・・・。
野次だけは凄い。怒ってる。物凄い怒る。
今、思い出した。そうだ、彼は コンサの選手をとても怒る。
近い場所に何度かいたので 避難したこともある。 感性が合わない。つらいぞと思って。

でもなんだか、今は おこがましいけど許せる気持ちになった。
いや、書いててそう思った。 彼もコンササポなんだと、なんか初めて気づいた。

書きながら展開がころころ変わる。

コンサ教 万歳だと そういうことを書きたかったので まあなんとか辻褄あわせは出来たかな。

posted by aru |22:49 | 応援 | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月29日

「コンサ教 」 の前に宗教

敢えて言おう。
自分はこれといった宗教には属していない。
こういうコミュニティーで 宗教の話なんかはタブーかもしれないけど
たいした内容ではないと思うので書く。 書きたいのは コンサ教 なんだが。

母方は 洗礼を受けた人もいたし他界した祖母はミサにも通っていたらしい。
幼い頃 聖書がそばにあった記憶もある。
が、祖母の再婚した夫が真言宗だかで その夫が長男だったので 先祖の仏壇があり
マリア像が家にありつつも 般若心経を唱えていたらしい。

でも、ある吹雪の日に、モルモン教の若い青年2人が扉をノックし、
祖母は 可哀想にと思い家に入れてあげて 話を聴き、(わたしも いた 高校生頃)
○○家に幸あり!みたいなことを唱和した覚えがある。 それだけだが。

勧誘宗教というものは、吹雪や大雨や嵐の時に何故かチャイムを押す。
しかも ランドセルを背負った小学生連れとか とにかくちびっ子を連れて来るケースが多い。
何かこう せこいシチュエーションではないか?と思うこともあるのだが、たまたまだね。
いや、別に 非難しているわけではない。 人生いろいろと想う。

夫のところは 日蓮宗っぽい。← っぽい?! やばくないか?
義理の姉は 日蓮宗のお寺に嫁いだ。どんつくどんつく。
結構 有名なお寺だ。
どでかいしゃもじのような 小さな太鼓のようなものをやおら持ち出し
みんなで叩き出した時はのけぞった。

いやはやもう、典型的庶民というのか、仏様も何様もキリスト様もごっちゃごちゃ。
所帯を持った暁には 普通に神棚設置が念頭にあり 誰かに 「若いのに偉いねえ」と
言われたものだが、 実は 埃をかぶっている・・・やばいよ!
うちだけですか? ひきましたか?

コンサ教に たどり着けませんでした。 (続きあり たぶん)

でも思うのです。 きちんと信仰を持ってらっしゃる方もいると思うんです。
しかし そういう信仰に関したことや 勧誘めいたものをわたしは目にしたことが
ありません。
偉いな、みさなん、違う みなさん。

コンサというひとつのことで繋がっているコミュニティーに 本当に感動している自分です。
なのに、お返事ひとつ返さず よそにいちゃもんつけてるだけの暇はある自分です。

神様 仏様 仁王様 お不動様 空海様 親鸞様 キリスト様 アラー様 ごちゃごちゃ。
もう誰でもいい 許してつかわして。そいでもってコンサを J1にお導きたもうぜよ。

posted by aru |20:37 | 応援 | コメント(2) | トラックバック(0)