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2020年05月06日

スポニチ池内友彦マイメモリーズ(2008年12月6日鹿島戦)

抜粋


 (元札幌DF池内友彦氏が思い出の試合に選んだのは、自身の引退試合となった2008年12月6日J1最終節の鹿島戦(0-1)だ。)

「自分は札幌と鹿島にしか在籍していない。最後に在籍した両チームで試合がdけいたのは縁というか運というか巡り合わせが凄いと感じた。その1、2試合前には戦力外を宣告されていた。札幌でプレーし、鹿島と対戦するのも最後だなと思っていた。
 前半に1点を決められて敗れたが、内容はあまりよく覚えていない。自分を獲ってくれた両チームが最後に地元の札幌ドームで対戦。得点を取った以上に幸せな試合だった。
最後のホイッスルが鳴ると線審が寄ってきて「お疲れ様」と声をかけてくれた。
その後、ピッチを一周したときに鹿島や札幌のサポーターが『池内コール』をしてくれて、とても感動した。
 鹿島はその試合で優勝を決めたので、夜は鹿島の選手たちと飲みに行った。
 札幌はその年の夏に千葉と最下位争いをしていた。実はその時に千葉から1年半計契約のオファーが来ていた。31歳の年齢や地元のチームでやりたいと言う気持ちもあり、断った。
 結果的に移籍していれば引退は延びた。も1年プレーできたけど、今はあの試合で引退出来て良かったと思う。
 札幌もこの何年間で選手の質が変わった。今はまだ監督の魅力の方が強いが、札幌もこれからJ1のトップに割って入っていくと思う。ミシャになって今はそこまで選手の解雇もなく、こういうふうに何年間もかけて土台をつくるとチームは変わる。監督ではなく選手が目立つようになった時にタイトルを獲ると思うし、かつての鹿島のような常勝軍団に近づいていくと思う。
2008年は宮澤が1年目だった。おとなしくて全然離さない子だった。この前、話したら「あの時はみんなが怖かった」って言ってたけど(笑い)
でも人は責任や経験で変われる。だから今の宮澤がある。宮澤のような中堅がチームを引っ張っているのは、とても良いことだと思う。」

  この試合は「屈辱の試合」として良く覚えている。もっとも試合の内容はまったく覚えておらず、試合終了後だけ覚えている。なぜかと言うと、この試合で鹿島に負けて鹿島が優勝して、優勝セレモニーを行われて、最終戦の選手のサンクスウォーキングがなかなか始まらずじりじりとした印象があるからだ。
 

 この年再度降格したが、やはり内容、結果とも悪かった。池内が2度目に来てくれてCBを担ってくれて頑張ってくれたがいかんせん選手の層が薄かった。

 仕方がなかった。最終戦はなんとかして目の前で胴上げだけは阻止したいと思って必死に応援したが届かなかった。鹿島のうまい試合運びにいつものようにやられた印象がある。

 しかし、今は違う。池内の言っていたとおり、タイトルをとれるチームになってきたし、鹿島を追い越すようなチームになれると思う。



                  
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posted by 孔明 |19:49 | コンサドーレ の思い出 | コメント(3) | トラックバック(0)