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2020年05月01日

スポニチ大森健作のマイメモリーズ(2000年7月29日J2浦和戦)

抜粋

「99年オフ、あの岡田さんから直接電話が来たから驚いた。話はシンプルで『来季は必ずJ1に上がりたいから、力を貸してほしい。』と。それが始まりだけど、何で俺に?という感じだった
  点のとれるDFではなかったし、セットプレーでも上がらなかった。でも攻撃は好きだった。後になって俺の左足、攻撃的な能力を評価していると聞かされ、見ていてくれたんだと思ってうれしかった。
 思いでの試合で最初に浮かんでくるのは、やっぱり7月の厚別での浦和戦。決勝点を奪って勝って、見出してくれた監督に褒められて。プロでやっていけると自信がついた試合だった。
 前半に1点失ったが内容は悪くなく、ハーフタイムで後半は『もっと攻撃的に行こう』と選手も監督も言っていた。後半18分に田渕がスーパーゴール。それで押せ押せになって、後半41分。ののさんがプレスに行って、ボールが出てくる方向が限定されると俺がボールを奪って前に運んだ。1人かわしてGKと1対1。両足がつりいそうだったけどたえで、角度はなくても空いていたゴール左上に打とうと振りぬいた。
 決めた瞬間は頭が、真っ白。もちろんゴールパフォーマンスなんて全く考えていない。ののさんが最初に寄ってきて、みんなも来てもみくちゃにされて、何か頭から落ちて脳震盪になって、その後ははっきり覚えていない。(笑い)開幕戦から出て勝ってはいたけど、勝利に直結する活躍でやっと1員になれたと思った。『岡ちゃん』と言わせてもらうが、シャワーを浴びた後に『ありがとな、お前の左足は武器だから』と言われたのは今でも忘れない。岡ちゃんはストレッチしている時もみんなに声をかけたり表情をチェックしていた。そういう意味ではミシャに通じるものがある。普段からサッカー以外の話でもコミュニケーションを取り、気持ちよく練習や試合に臨んでほしいというのを踏まえていた。
 あの年のチームは個性の固まりで、練習でけんかばかり。でも岡ちゃんがうまくコントロールし、ピッチ内はののさんが声で統率して最高の結果を出せた。」

 この試合は今でもしっかり覚えている。浦和との首位争いで、この試合に勝てば勝ち点差をさらの伸ばせるといった試合だった。
 当日曇りだったと思うが、厚別は満員で相当な熱気がスタジアムを覆っていた。
前半に先制されて苦しい試合だったが、厚別の満員のサポーターの後押しでかなりチャンスがあったと記憶している。
 
 後半田渕のゴールが出てイケイケに。健作のゴールの後は厚別が壊れたかと思うほど凄まじい歓声だった。
 ピッチ上の選手達も田渕や健作のゴール後は凄い喜びようだった。特に健作のゴール後は健作の上に選手が折り重なって健作を祝福していた。脳震盪を起こしていたらしいがあれではしかたなかったかもしれない。
 

 この試合で今年は行けると改めて思った。ここから独走状態になった。



   
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posted by 孔明 |19:38 | コンサドーレ の思い出 | コメント(2) | トラックバック(0)