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2020年04月27日

スポニチ「砂川メモリーズ2010年12月4日熊本戦」

抜粋

 「2010年シーズンで契約が切れる自分に、9月くらいに来季もコンサでやってほしいという話があった。でも11月末、三上GMに呼ばれ「契約が難しい。お金がない。」と言われ、「分かりました」と答えた。
 自分の口で発表したくて最終戦の何試合か前にマスコミの控室に行き「契約満了になります。」と伝えた。
 例えばその年に10得点10アシストの選手だったら、クラブはどんなにお金がなくても優先的に契約する。そうではないというのは、プロとして自分に責任があるから受け入れなきゃいけない。
 そういう状況もあり、最終戦の熊本戦ではゴール裏のサポーターがでっかく背番号「8」の文字を作ってくれた。
 1人1人のボードに「俺たちの砂川」と書かれていた。

 本当に感動的で、今でも鮮明に覚えている。

  先制点のアシストとFKも決めて最高の形でお別れ。ヒーローインタビューにも立たせてもらった。

 三上さんからは「お金を作るから待っていてくれ」と言われた。その後、三上さんから「今これくらういのお金ができた。」と提示されたが、その金額では厳しく一度断った。

 最終的に12月24日くらいまでずれこみ2010年と同じ給料を用意してくれた。

 正直、移籍先に目を向けてマンションも探していたが、残留を決めた。

 翌2011年にJ1昇格を札幌で味わうことができた。

 後から知ってうれしかった。ゴンさんが石水勲さんに「何とかならないんですか?」と、俺を絶対残した方が良いと言ってくれたみたい。あと石崎監督も。感謝です。
 
  砂川が契約満了になったときには「どうして?」という思いが強かった。その年の最終戦も砂川が初めてFKで点を決めて、砂川のキックの向上も見せてくれた。
 サポーターは「俺たちの砂川」のチャントを繰り返し歌っていた。
 その後急転直下、残留になったのは本当にうれしかった。


 同時にサポーターの1人として砂川に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 砂川は本当に長くコンサにいてくれて、強い印象を残してくれた選手。サポーターみんなから好かれていた選手だった。

 改めてそういういきさつがあったということを知ったのはうれしいことだ。




    
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posted by 孔明 |18:39 | コンサドーレ の思い出 | コメント(2) | トラックバック(0)