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2012年12月10日

今年を振り返る2(監督と戦術編)

 シーズン当初は前俊のワントップ。4-2-3-1のシステムで前からプレスをかけて、ボールを奪いショートカウンターという昨年と同じ戦術を指向した。

 そして失点が多くなるとシーズン中盤には4-3-2-1のクリスマスツリーのシステムも一時やってみた。リーグ終盤戦は3バックが選手に合っているということで3-4-3をやっていた。

 しかし、いずれも失点がなかなか収まらずにシステムはあまり機能しなかった。

 監督の意向としては守備をしっかりして攻撃に生かすということだったろうが、失点数が88ではまったく守備が機能しなかったいうしかない。

 シーズン当初の前俊のワントップもさほど機能していたとは思えない。前俊の個人のキープ力から後ろのラインを上げて攻撃することに活路を見いだしたが、得点力は上がらなかった。

  監督の目標としてJ1でポゼッション率を上げることを目標としていたはずだがなかなかうまくいかなかった。相手に主導権を握られることはほとんどで、ただただ、最後は後ろに引いて守っていたという印象が強い。

  それでも開幕戦の磐田戦は可能性を見せてくれた。前からのプレスがはまり、無得点ながらJ1でやれるかも知れないと言うことを示してくれた。

 ただ、その後は惜敗が続く。1点差負けの試合が続き引き分けすらできなかったことが響いた。そして根負けをするように大敗が続き、最後まで大敗癖は直らなかった。

  戦術のひとつとして前からプレスをかけてボールを奪うという戦術はなかなか思う通りいったとは思えない。

  試合の初めこそ前からプレスをかけることには成功はしていたが、試合時間がたつうちに後ろで引いてゾーンで守るようになってしまったのはポゼッション能力の乏しいチームの当然に行き着くところだった。

 また、けが人にも泣かされた。シーズン当初から高柳が大怪我。そして主力が次々と怪我をして怪我をしない選手がいないくらい。紅白戦も満足にできなくなってしまっていた。チームの中心になっていた前俊も怪我をしてチーム戦術を見直さなければいけなくなった。

 チームはシーズン途中に外国人を補強した。ハモンを中心に戦術を練ったが、当初は機能していたハモンも守備難や怪我で結局シーズン終盤はまともに出場すらできなかった。

 けが人の多さはチーム成績に連結した。ただでさえ薄い戦力がけが人の影響でさらに薄い状態に。

  そして年間成績はこれまでのJ1のワースト記録をことごとく塗り替えた。

  結局屈辱的な年になってしまい石崎監督も今年で契約満了になった。

posted by 孔明 |19:44 | 今年を振り返る | コメント(4) | トラックバック(1)