2006年10月13日
もう少しコンサでプレーを見たかった木島
1996年11月3日天皇杯和歌山大学戦。紀三井寺公園陸上競技場において試合後、試合にはでなかった彼がピッチからスタンドにいた知り合いと思われる人と言葉を交わしていた。
そして次に手を横にして首を切る動作をした。私は彼のその行為を今でも鮮明に覚えている。
「俺は首になった。」ということを動作で示していたのだ。
彼は、切れ味するどいプレーが持ち味でたびたびコンサの勝利に貢献した。そしてその瞬発的なスピードは目を見張るものがあった。
彼は社員選手であったが、シーズン後半からレギュラーに定着し、チームにはなくてはならないメンバーになっていた。
翌年の1997年10月22日コンサがJリーグ昇格を決めた厚別のピッチに相手方の選手として立っていたのもなにかの因縁だろう。(ちなみにこの試合では川合、加藤、後藤静臣といった前コンサの選手もピッチにいた。)
彼もまた川合などと同じく札幌に戻ってきてくれて、解説者やらサッカーの仕事にも携わっている。
彼はたった1年しかコンサにいなかったがもう少しコンサにいてほしい選手だった。
posted by asa3804 |20:13 | コンサドーレ の思い出 | コメント(2) | トラックバック(0)