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2007年11月22日

選手はやった。サポーターは?:京都戦

自力昇格のかかった京都戦は、ご存知の通り3万2千人超の大観衆。
「ONE HEART」のコレオグラフィもバッチリ決まり、
試合前の大塚コール、選手への応援、非常にいい雰囲気に見えた。


試合は一進一退の状況で先制を許す苦しい展開。
後半、監督の大鉈と言っていい選手起用が見事に嵌り、
ボールも人も動くサッカーで京都を完全に圧倒。
岡本の同点、ドーム沸騰。そしてPK奪取、ドーム沸騰!
このまま歓喜の坩堝はその温度を更に上げるかと思われたロスタイム、
裂帛の気合で押し込んでくる京都に耐え切れずPK献上。
今節での札幌昇格はならなかった。


で、引き分けたからと言う訳じゃないが、やはり気になる事がある。
「ゴールが決まれば大声を上げ、失点すれば声が無くなる」
という、いつまでも解決されない例のアレである。

幾度と無く、何処ででも言ってる事で、
特に今回のように「お客さん」或いは「ファン」が多い試合では
その割合は更に多いのだろうけども、やはり苦言を呈さざるを得ない。
自分は、後悔をしたくないのだ。

綺麗に崩され失点した。
でも、何でそこで静まり返る必要があるのか。
そんな事は絶対にない。いや、あっちゃいけないんだ。

選手の後押しをするには「何をやっても応援する」
そういう態度が最低限必要だ。叱咤だ何だは試合の後にすればいい。
なのに、愛媛戦、鳥栖戦、京都戦、見事に不利な状況では声が無くなる。
黙って突っ立って腕組んで、煽られてやっと少し声出して、失点すれば溜息。
それで「札幌のサポーターです。選手を後押ししてます」なんて
どんな精神を持っていれば言えるのだろうか。どんな図太い人が言うんだろうか。


観客数が増えるのは当然喜ばしい事だ。客が増えれば当たり前に嬉しい。
今回の状況がやはり観客が増える事に付随して大きくなる問題なのも解っている。
でもやっぱり「札幌のサポーター」を自認して、
B自由の「熱烈サポーターゾーン」で立ちっぱなしで「応援してる」人には言いたい。

「いい加減、選手から貰うだけの態度は捨てないか?」と。


「気持ち見せろよ」とか、「もっとやれるだろ」とか、
そういう言葉が聞こえてきた事は幾らでもあると思う。
或いは「選手を後押ししよう」とか「何の為にここに居るんだよ」とか。
その都度あなた(無自覚な地蔵)はどう思っていたんだろう。俺には解らない。

そういった言葉を言う側が、何故そういう事を言っているか、
苦しい中、ヘトヘトになりながら、それでも人に聞こえるよう
精一杯の声を張り上げて「選手じゃなくサポーターに」叫ぶ理由を
想像した事はあるだろうか?


「声が全く出てないから」「ゴール裏なのに『応援』が出来て無いから」
「そんな状況で選手にゲームをさせたくないから」「選手の後押しをしたいから」
「絶対に、目の前の試合に対して悔いを残したくないから」

自分の場合は、大体これぐらい。
だから一生懸命、みんなにやって欲しくて、そうやって叫んでいる。
つまり、叫ばれてる段階で、全然隙だらけであると、そう思って欲しい。
そして「今回は極力気にしないで居よう」と思った京都戦でも
結局俺は叫んでしまった。だって真ん中から外れていった先のバック側は

それはもう見事に氷点下と言っていい大地蔵峠だったんだから。


人数が多くて素晴らしい雰囲気だった。
岡本が決めた時、凄い盛り上がりだった。
謙伍が決めた時、涙が溢れた。

色んな感想があるだろうし、否定はしない。
俺だってやっぱり決めた時は喜んだし、それはもう嬉しかった。
ただ、だからと言って「あの試合に悔いは無い」なんて口が裂けても言えない。
何故か?選手がやったのに、サポーターはだらしなかったからだ。
ロスタイムにPK取られた瞬間、ドームは静まり返った。
PKを決められた瞬間、やはりドームは静まり返り、溜息に包まれた。
あれは、果たして「応援」だっただろうか。

何度でも言おう。

選手は昇格に値するだけやっている。
サポーターである俺達は、そこまでやれているんだろうか?

もう一度自分を振り返って、
どこか言い訳をするようなバモりっぷりをしてなかったか、
次の試合である水戸戦までに、自分の答えを見つけて欲しいと思う。

2004年の開幕戦で実現したドーム沸騰みたいな、
サポーターの心の底から湧き出るような一体感と熱さを持って
今年の最後を全力でバモれればなぁと、本当に思います。
(まぁアレは切欠が聊かアレ過ぎたが・・・)

posted by アラブ |01:12 | 観戦記 | コメント(20) | トラックバック(2)