2021年09月30日
源流と継続
石水勲氏の訃報については、既に多くの人がコメントされているので改めて多言はしない。 もう各々の心の中で弔えばいいのだろうとは考えている。
そこから、色々なことを考えるに至って、我コンサドーレの存在意義の大きさを感じ直すというところであろうか。 コンサドーレがあったから、現在我々が道内でプロスポーツに触れる機会が当たり前になったことには異論はないだろう。 うちがあったから札幌ドームができたし。勿論W杯誘致目的もあったけれども、チーム自体がなければ、そもそもそこにも至らなかったわけだし。 札幌ドームがあったから公が来たわけだし(まあ昨今のことはちょっといろいろあれだけれども)。 レバンガにしても、そこに至る経緯は黒歴史の部分が多いけれども、そういやきっかけを作った人物はコンサ関係者でもあったのだし。 今ある姿は四半世紀前には、想像もつかなかったことだけは確かである。
既に物故者である、かつて土曜日のラジオで名の知られたパーソナリティは、この地を「手強い」と評したことがある。 それはまあ「熱しやすく冷めやすい」ということでもあり、また「育てない」という意味も含んでいた。 私自身はその言葉を聞いた時の反発心もあって、なら育ててやろうじゃないかと。勿論出せるのものには限りがあるけれども、やれる範囲で出そうじゃないかと。 結果は今更言うまでもない。
そうね、今はそうでもないのだろうが、この地はかつては新商品の発売にあたってのテストマーケットとしての役割があったりだとか、ヒット曲は北からとか、言われていたくらいではあったから、新しもの好きであることは違いないのだろうがね。 継続は大変。 昨日出たJリーグのレポートでも我サポートチームは財務内容としては注意チームの一つに入っているけれども、乗り越えられるはず。
とっちからってしまったけれども、あれやこれや一日中考えてしまった昨日ではありました。
posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)